かっこよい人

山田邦子インタビュー【後編】
大事なのは「生き抜く力」と「息抜く力」

前編では、浮き沈みの激しい芸能界を明るく、たくましく生き抜いてきた邦子さんの半生を語ってもらったが、後編では60歳を過ぎた今、なおも精力的に新しいことにチャレンジし続けているエネルギーの源泉について話を聞いてみよう。
読めば元気になる、迫真のインタビューだ!

前編記事はこちら→山田邦子インタビュー【前編】 60歳からの超ネアカ生活宣言!!

山田邦子(やまだ・くにこ)
1960年、東京生まれ。1980年に芸能活動開始。『オレたちひょうきん族』『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』などで人気になり、多数の冠番組を持つ。2007年、乳がんに罹患し、その体験からがんに対する知識と理解を呼びかける講演活動を開始。2008年、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」メンバーとなる。2020年には、YouTube「山田邦子 クニチャンネル」を開設した。
山田邦子 クニチャンネル
目次

東日本大震災をきっかけに
「第二の故郷」を見つけた

2011年3月11日、東日本大震災が起こったとき、邦子さんはいち早く被災地を訪れ、ボランティア活動をします。何かきっかけがあったのですか?

山田
直接のきっかけを与えてくれたのは、モノマネタレントのコロッケちゃん。私が素人番組に出始めたころからの知り合いで、お兄さんみたいな存在なんですけど、不思議なことに彼は私のほうが先に売れた先輩だと思っていて、とても謙虚な人でもあります。

私がテレビに映し出される震災の惨状を見て呆然としていると、そのコロちゃんが知り合いのタレントをたくさん引きつれて、いろいろな被災地をまわっている様子が紹介されていました。そして、彼がテレビに向かって「芸能人のみんな、どこでもいい、どこでもいいから被災地に行け!」と叫ぶのを聞いて、ハッと我に返ったんです。

行き先に選んだのは、岩手県の山田町。私の名前と同じだから、山田邦子のことは知ってくれているはずだと単純に考えました。ホントは山田の名のつく町は他にもたくさんあることを後になって知りましたが、最初に目に入った町だったので、ここを応援しようと決めたんです。

岩手県山田町は、津波だけでなく、火事による被害も大きかったそうですね。

山田
最初に山田町に行ったのは、地震から1カ月後のこと。ラサール石井さんやお友だちの助けを借りて4トントラックで訪ねてみると、ぷんぷんと焼け焦げたような臭いがまだ漂っていました。

私たちはトラックで寝泊まりできるようにして、マットレスや大人用と子供用のオムツ、おもちゃ、お菓子、缶詰、水などをかき集めて避難所をまわりました。

驚いたのは、どこの避難所を訪ねても、「おー、邦ちゃん邦ちゃん、ラジオ聞いてるよ」って明るく話しかけてくれたこと。みんな、笑顔で明るいんです。

何か歌ってよと言われて、アカペラで歌を披露すると、わーっという歓声でこたえてくれて「元気をもらったよ」と喜んで握手をしてくれました。

そうこうするうち、「次はいつ来るの?」という話になり、「じゃ、来月来ます」と約束しました。1回目は被災地に何が足りないか、わからずに訪ねましたが、2回目以降は「お弁当が配られるけど、それ温める電子レンジがない」とか、「時計がなくて不便」といったヒアリングをしていたので迷わずに通うことができました。

そんな活動が認められ、邦子さんは2013年10月、山田町復興ふるさと大使に任命されましたね?

山田
うれしかったですね。東京生まれ、東京育ちの私には、親しい田舎がありませんでした。でも、震災をきっかけに山田町が私の第二の故郷になってくれたんです。行くたびに「おかえりなさい」と言ってくれる人たちがいる、大事な心のふるさとです。

今はコロナで気軽に行くことができなくなりましたが、事態が落ち着いたら真っ先にお訪ねしようと思っています。

事務所を辞めるなら、 元気なうちに辞めたほうがいい

ところで、2019年6月、邦子さんは40年近く所属していた太田プロダクションとの契約を解消してフリーになりましたが、その背景にはどんなことがあったのですか?

山田
簡単に言えば、「飽きちゃった」ってことなんですけどね。気づけば、私が尊敬するたけしさんは、ずいぶん前に太田プロを辞めて、そのとき作った個人事務所のオフィス北野もさらに辞めて1年くらいが経っていました。

最近、いろんな会社が定年退職の年齢を延ばそうとする動きがあるみたいですが、タレントには定年はありません。生涯現役を貫くにあたって、60歳の手前での再スタートもアリかなと思ったんです。きっと、70歳になるまでズルズルと事務所に残っていたら、もう死ぬまで抜けられなかったと思います。

これって、タレント業だけじゃなくて、会社に勤めているサラリーマンの方々にも同じことが言えると思います。
「定年になったら、退職金で世界一周旅行をするぞ」という目標を立てたとしても、旅行って結構、体力も気力も必要ですからね。知らない場所まで行って、おいしい食べ物にありつけたとしても、元気を使い果たしてくたくたになっていたら味わうこともできません。

ですから、それまでのライフスタイルを変えて、新しい生活をしたいという目標のある人は、元気のあるうちに行動したほうがいいと思うんです。

60歳になってからの私は、さすがに若いころと比べて体力は落ちましたけど、気力のほうは充分過ぎるほど。今まで経験したことのない、新しいことにチャレンジする気持ちも持っています。

そもそも、事務所に所属する前は、フリーの立場で、「(出演料は)いくらですか? (収録は)いつですか?」ってやっていたんですから、振り出しに戻ったようで気分が清々しました。

YouTubeを入り口に 新たな世界と出会ったことにワクワク

2020年2月に「山田邦子 クニチャンネル」を開設したのは、先ほどお話に出た「今まで経験したことのないことへのチャレンジ」のひとつでしょうね?

山田
そうです。実は太田プロを辞める3年前から始めたかったんですが、許可をもらえなかったんです。
ネタをやるようなテレビ番組がなかったので、自分らしい今の姿をアピールするには格好の場だと思っていたのに。

その後、フリー期間を半年ほど経て、2020年1月に業務提携という形で新しい事務所のメンバーになったんですが、「YouTubeやりたい」と言ったらトントン拍子に話が進んで、提携するプロの人を外部から呼んでくれて、その日のうちにチャンネルを開設できました。

テレビを主戦場とする芸能界では、YouTubeなどのネットメディアを脅威ととらえて敬遠したりする空気がありますね。

山田
そういう考えは、もう古いと思います。実際、誰それが結婚した、不倫した、事務所を辞めたというニュースは、新聞やワイドショーよりも、YouTubeのほうが早く取り上げて発信しているのが今の世の中です。

見る側は、好きな時間に好きなチャンネルを選べます。家族そろってお茶の間でテレビを見ていた時代はもう過去のもの。スポンサーだって、広告代理店に高いマージンを払ってテレビ広告を打つより、みんなが見ているYouTubeのほうが宣伝になるって知ってます。

作り手にとっても、テレビと違って、好きなことを自由に発信できるのがYouTubeの強味ですよね?

山田
YouTubeのスタッフとは定期的に会議をして企画を決めているんですが、その人たちはみんな10代前後の若い人たち。チームをまとめるチーフの年齢は、なんと19歳です。

一度、お食事に誘ったら3~4人のメンバーが「コーラ」とか「あ、ウーロン茶で」とか注文してるんで「クルマなの?」と聞いたら、「未成年なんで」と言われてギョーテン!!

価値観やモノの考え方も、昭和の時代を経てきた私たちとはずいぶん違います。今の若い人たちは、クルマを持たない、ゴルフしない、カノジョを作らないと聞いて「ホントかな?」と疑問に思っていたんですが、彼らスタッフたちと接して「ホントだわ」と納得させられました。

そんな価値観の違う若者たちと、対等に付き合うのは大変ではないですか?

山田
だって、おもしろいじゃないですか。19歳のチーフは、中森明菜さんのファンなんですよ。過去の音源や映像を取り寄せて、「当時の芸能界の話を聞かせてください」なんてリクエストしてきたりして。

まぁ、勝手がわからないから彼らに教わりながら、必死でくらいついてる感じです。

山田邦子 クニチャンネル

親の介護で大事なのは
同居している身内のケア

「山田邦子 クニチャンネル」では、86歳のお母さんの介護が始まったことを告白されていますね?

山田
先輩たちから「ウチの親の介護が始まってね」という話を聞くたび、ウチにもいつかその日が来るんだろうなぁとは思っていました。
でも、実際にやってきたのは「ある日突然」と言ってもいいくらい、急にでした。骨折して足が弱くなったのをきっかけに、あれよあれよという間に自力では動けなくなってしまったんです。

私の場合、早くに家を出て、仕事が忙しくて実家に寄りつかない時期もあっただけに、ありがたかったのが実家で母と同居している8歳下の弟の存在でした。
弟は小さいころ、小児ぜんそくで、ヒューヒュー息をしている彼を母が抱っこしたまま寝る毎日でした。そんな弟が同居していたので、母も心強かったと思います。もちろん私も、実家にはできる限り顔を出して弟の替わりをつとめようとしています。

介護をするにあたって、何か気をつけていることはありますか?

山田
介護は24時間365日、休みなく続きますから、在宅介護は大変です。ですから、何より私が気をつけているのが介護をしている弟へのケアです。

ある日、病院から帰ってきた弟が「腰痛がひどいので注射を打ってもらった」と言うのを聞いて、弟の異変に初めて気づきました。

母の体重は45キロですけど、自分では寝返りも打てないほどですから、姿勢を変えるために持ち上げるのも大変。私も筋肉痛になりましたし、私よりもっと多くの時間を母と過ごしている弟は、無理をしながら母を介護していることがわかりました。

聞けば、睡眠時間も短くなっているようで、「介護うつ」みたいな状態になっているのがわかりました。

そこで、思いきって介護のプロの方々に援助を頼むことにしたんです。
弟はコロナのこともあって、外の人を家に入れることに抵抗感があったようですけど、いざ、プロの方々に訪問介護を頼んでみると、その手際のよさに感心していました。
おむつを換えるのでも、座薬を入れるのでも、ササッと手早くできるんですね。母の姿勢を変えるにしても、小柄な女性が私たちが苦労してやるのより要領よく、「自分は介護されて迷惑をかけている」と母がストレスを感じる前に手早くやってしまうんです。

お泊まりサービスを利用するようになってからも、家で好きな時間に好きなものを食べていたときより規則正しいリズムに乗るせいか、母も元気になって帰ってくることが多くなりました。
弟が疲弊した様子だったとき、「こんな風になるなら死にたい」が口癖だった母も、そういう言葉を言わなくなりました。

乳がんについての啓発活動を今も続けている邦子さんですが、介護についても同じような活動をしてほしいですね。

山田
はい。もちろん、そのことは考えています。家族や身内の介護は、ある程度の覚悟はしていても、急に始まることが多いと思いますので、私の経験が役に立つならば、と思っています。

今回の私の本のタイトルは、「生き抜く力」ですけど、介護に関しては「息抜く力」が必要だと思っています。
辛いなぁと感じて心が落ち込んでいるとき、元気を取り戻すには深呼吸がいいとよく言われますよね。いわゆる、「ため息」の効能です。
そういうときの「ため息」のコツは、「どれだけたくさんの空気を肺に吸い込むか」ということではなくて、「肺の中の空気をどれだけたくさん吐き出すか」を意識することだと思います。空気を外に出して、出して、もう出す空気がなくなったときにプハーッとたくさんの空気を肺に送り込む力が自然に湧いてくるんです。

世間からのバッシング、乳がんとの闘病、母の介護など、辛いことを笑いに変えて乗りこえてきた私の「生き抜く力」は、そんな「息抜く力」とセットにして生まれてきたように思います。

とても元気づけられるお話、ありがとうございました。

好評発売中!
山田邦子・著『生き抜く力』

山田邦子・著『生き抜く力』書影
  • 著者:山田邦子
  • 出版社:祥伝社
  • 発売日:2021年2月27日
  • 定価:946円(税込)

人情味あふれる東京下町で育ったお笑い好きの少女は、”勘違い力”を武器に芸能界デビュー。やがて週にレギュラーを14本抱え、「テレビで見ない日はない」という人気者になった。
本書は、還暦を過ぎてもなお、You Tubeや舞台と新しいことに挑む山田邦子の人生指南書。
夏目雅子さんや島倉千代子さんなど今は亡き大スターとの思い出や、「ひょうきん族」で苦楽をともにしたビートたけしさん、島田紳助さん、明石家さんまさんなどとのエピソードで振り返る山田邦子の生きる力の源とは――。
また、人気ランキングからの転落、乳がんの発覚時に見た人間の本性に対する心構えなど、絶頂と絶望を知るからこその言葉は、SNSによる誹謗中傷が社会問題となっている今、多くの人を勇気づけるものになるだろう。

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=宮沢豪

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