かっこよい人

久夫さんとカメのボン。月島をともに歩んだ人生史(三谷葬儀社・三谷久夫さん)

昔々あるところに…ではなく、令和の東京・月島に、それはそれは大きなカメがおりました。名はボンちゃん。もんじゃストリート周辺をお散歩するのが大好きな、雄のケヅメリクガメです。
ボンちゃんと肩を並べて歩くのは、飼い主の三谷久夫さん。祖父の代から86年続く、老舗葬儀屋の3代目です。

月島の地をたしかな足取りで歩んできた、ひとりと1匹の人生について尋ねてみました。

三谷久夫さん
昭和28年生まれ。現在69歳。有限会社三谷葬儀社の3代目代表取締役。月島生まれ月島育ちの生粋の江戸っ子。ボンちゃんの飼い主。
三谷ボン
平成8年生まれ。現在26歳。雄のケヅメリクガメ。好きな食べ物は、りんご、バナナ、ブロッコリー。女性のペディキュアに惹かれがち。
目次

20歳で家業の葬儀屋を継ぐ

昭和11年、久夫さんの祖父・亀治さんは、三谷葬儀社の前身・三谷商店を創業。以後86年に渡り、三谷家は月島で葬祭業を営んできました。

久夫さんが入社したのは約50年前。当時20歳の久夫さんは、亡き祖父の跡を継ぎ、葬儀屋になると決意しました。

「うちの親父は魚河岸で働いていたからね。じいさんが亡くなった後に家族会議をして、長男の俺が継ぐことになったんだ」

幼い頃、久夫さんはおじいちゃんっ子でした。しかし、葬儀屋の仕事を教わった経験はありません。入社当時を振り返り、「わからないことだらけで怖かった」と語ります。

「まだ若造で、半人前でしょう?仕事もまともに教わってないから、右も左もわからない。それはお客さんにも見抜かれていて、ロクに相手にしてもらえなかったね。家に帰って悔し泣きしたこともあったよ。当時の葬儀屋は年配者が多かったし、お客さんには『身内の大切な葬儀をこんな若い奴に任せられない』という思いもあったのかもしれないね」

久夫さんは仕事を覚えるため葬儀屋のバイトを掛け持ちし、現場経験を積みました。さらに地域に根ざした商いをしようと、地元の町会や消防団にも積極的に参加。入社から10年が経ち、ようやく葬儀屋として認められた実感があったといいます。

「俺が入って最初の数年はね、名前も呼んでもらなかった。だいたい『おいお前』か『葬儀屋』だったね。でも10年経って、やっと『三谷さん』って名前で呼んでもらえるようになったんだ」

葬儀屋は24時間365日体制

地道な努力を重ね、地元の葬儀屋として認められた久夫さん。しかし、この仕事の真の苦労は別のところにありました。

「葬儀屋は24時間365日体制なんですよ。人はいつ亡くなるかわからないから、早朝でも深夜でも、仕事の電話がかかってくる。旅行にも行けないし、気軽に友人と約束もできない」

かつて葬儀屋は、儲かる商売だったといいます。プライベートを引き換えにしてもなお、稼ぎたいと考える人もいたのかもしれません。しかし、久夫さんが継いだ頃から「儲け重視の葬儀屋はほとんどいなくなった」といいます。久夫さんもまた、率直な商いを続けてきました。

「俺はバカ正直なんだよね。だから変な稼ぎ方はできないんだよ。それに悪い噂はすぐに広まる。人から人へ良い評判が伝わって、仕事につながるのが一番いいよ」

「(葬儀屋として顔を売るために)昔は電信柱にだってお辞儀してたよ」と笑う久夫さん

葬儀屋を継いでからというもの、久夫さんの頭からはいつも仕事のことが離れませんでした。それは今も変わらないといいます。

お盆にやってきたカメのボン

平成8年、夏。気が休まらない日々を送っていた久夫さんのもとへ、カメのボンちゃんがやってきました。久夫さんの妻・和美さんがたまたま訪れたペットショップで、小さなボンちゃんと目が合い、連れ帰ってきたのです。

「ボンがうちに来たのは、平成8年8月15日。お盆の真っ最中だったから、名前は“ボン”」

産まれたばかりのボンちゃんは、手のひらほどのサイズでした。しかし10歳を過ぎる頃には数十センチまで成長し、以降どんどん大きくなりました。現在の体長は約1m。体重も100kgを超えました。

産まれた頃に背負っていた甲羅を背中にちょこんと乗せている

「ボンはずっと健康だね。小さい頃に鼻ちょうちんを出したくらいで、大病もしたことがない。こないだ動物病院に連れていったら、『うちにボンちゃんを検査できるレントゲンはありません』って言われたよ(笑)」

大きな見た目に反して、ボンちゃんは意外と少食です。食事は1日1回のみ。この日のメニューは、りんご、バナナ、きゅうりでした。

取材日は10月の初旬。久夫さんは「そろそろ今年のハロウィンの仮装を考えなきゃ」と頭をひねっていました。ボンちゃんは季節ごとにおしゃれなアイテムを身につけます。春はお花見や入学式ルック、クリスマスにはサンタクロース姿。かわいらしいアイテムの数々は、ボンちゃんファンからの贈り物です。

「昔、『誰かボンの洋服を作ってくれませんか?』と応募を募ったんだ。そしたら全国各地から手が挙がってね。秋田県から送られてきたものもあるよ。ありがたいね」

月島の日常に溶け込む散歩風景

晴れた日の夕方。久夫さんとボンちゃんは、決まってお散歩に出かけます。散歩コースは月島の名所・もんじゃストリートです。400mほどの道のりをゆっくりと30分かけて歩きます。ボンちゃんは折り返し地点まで来ると、体勢をぐるりと変えてUターン。自ら三谷葬儀社へと帰ります。

「ボンちゃーん!」「あっ、ボンちゃんがきた!」

ボンちゃんは月島の人気者です。街を歩けばあちこちから声をかけられます。子供たちだけでなく、働く大人から「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねられることも少なくありません。大人も子供も一様に、あたたかな眼差しでボンちゃんを見つめます。久夫さんは、小さな子供たちをボンちゃんの背中に乗せてあげることもあるそうです。

「子供たちを乗せるようになったのは、約15年前から。昔ボンに乗せた子の中には、もう成人した子だっているよ。たまに近所の中学生が『私あのカメに乗ったことある!』って自慢してるね」

この日、三谷葬儀社での取材中に来客がありました。お母さんに連れられた小さな子供たちが、ボンちゃんに会いに来たのです。それも1組だけではありません。月島の親子が続々と尋ねてきます。久夫さんは快く招き入れ、今日1日のボンちゃんの様子を伝えていました。

「きょうはピアノ習いにいってきたの」とボンちゃんに報告する女の子

「うちの前の道路は、近所の保育園の散歩コースなんだよ。『ボンがいるよ、見においで』って声をかけていたら、みんなよく会いに来てくれるようになったんだ」

身内に不幸もないのに、ご近所さんがふらっと立ち寄る葬儀屋は、日本中どこを探しても他にないかもしれません。ボンちゃんは三谷葬儀社の看板息子として、月島の日常風景にすっかり溶け込んでいました。

「このあたりに土地勘のないお客さんから店の場所を聞かれた時は、『迷ったら“カメのいる葬儀屋に行きたい”って言えば、誰かしら場所を教えてくれるよ』って説明してるね」

ボンは人の心を溶かすカメ

久夫さんは仕事柄、決まった休みがありません。しかし、身体は健康そのものだといいます。その理由を久夫さんは「日課のお散歩を通して、ボンから元気パワーをもらっているからね」と笑顔で語ります。たしかにボンちゃんには、不思議な力があるのかもしれません。

「昔よく来てた子供で、すごく怖がりな子がいたんだ。友達とのおしゃべりも、動物と遊ぶのも怖がっちゃう子でね。でも唯一、ボンとだけは仲良くなれた。ボンとふれあっているうちにどんどん明るくなって、犬も触れるようになったんだよ。親御さんにも喜ばれたね」

ボンちゃんの動きはいつもゆっくり。表情がころころ変わることも、突然大きな鳴き声を上げることもありません。だからこそ、揺るぎない安心感があるように感じられます。久夫さん曰く、「ボンとのふれあいで元気づけられるのは、何も子供だけではない」といいます。

「うちは葬儀屋だから、お客さんは“大切な人を亡くした一番悲しい時”に来るんだよね。ボンはそんなお客さんを店先で出迎えるんだ。するとみんな、少しだけホッとした顔をするんだよ。俺はそれがうれしくてね」

そこにいるだけで、自然と人の心を癒すボンちゃん。「しゃべらないし、ポーカーフェイスなんだけどね」と笑う久夫さんは、どこか誇らしげでした。

久夫さんが考える“人生の終い方”

久夫さんは約50年ものあいだ、多くの別れの場に立ち会ってきました。人生には必ず終わりの時が来ることを、誰よりも身に染みて知っている人かもしれません。久夫さんには、いつか迎えるその時を前に、しなければならないことがありました。

「ちょうどいいところで仕事を切り上げたいね。ここ50年、何もない“本当の休日”ってものがないからね。人様と同じような休日を一度は経験してみたいんだよ。女房と旅行に行ったりね」

久夫さんは若くして葬儀屋を継ぎ、家業を軌道に乗せようと奮闘してきました。地元の人たちと関係性を築こうと参加した町会では、いつしか久夫さんが一番の古株になっていました。近い将来、仕事中心だった日々にピリオドを打ち、「電話に怯えることのない夜を過ごしたい」といいます。

もうひとつは、ボンちゃんのことです。久夫さんは「自分が動けるうちに良い引き取り手を探さなくては」と考えていました。

「ボンが俺より長生きすることは、飼い始めたときからわかっていたからね。あと10年もしたら、俺のほうが散歩に行けなくなっちゃうかもしれないだろう?その時は俺が台車に乗って、ボンに引っ張ってもらえばいいかもしれないけどさ(笑)」

ケヅメリクガメの飼育下での寿命は約30年。しかしその期間は環境によって大きく左右され、中には60歳、70歳まで生きる個体もいるといわれています。久夫さんは、愛情を注いで育ててきたからこその心配事も抱えていました。

「ボンは動物園に行ったら、苦労すると思うんだよなあ。産まれてすぐにうちに来て、他のカメと触れあってこなかったからね。自分のことをカメだと思ってないかもしれない」

葬儀社とボンちゃんの将来を考える久夫さんの言葉には、「何かと関わり合いながら営みを続けてきた以上、きちんと幕引きの段取りをしたい」という意志が感じられました。これがさまざまな最期を見届けた久夫さんが考える、「理想的な人生の終い方」なのかもしれません。

三谷葬儀社

取材・文=佐藤優奈
写真=鳥羽 剛

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