かっこよい人

坂東眞理子インタビュー【後編】
コロナをチャンスに変える生き方

行政官として働くかたわら、旺盛な執筆活動で女性問題を訴え続けてきた坂東眞理子さん。そのほかにも、埼玉県の副知事として地方行政に関わったり、女性初の総領事として豪州ブリスベンに赴任するなど、つねに多忙だった坂東さんは、どのようにして仕事と子育てを両立してきたのだろう?
後編では、そんな自身の働き方について話をうかがうとともに、ベストセラー『女性の品格』(PHP新書)を執筆することになったきっかけ、昭和女子大学の改革にたずさわることになったいきさつなどについて話を聞いていこう。

前編記事はこちら→坂東眞理子インタビュー【前編】マッチョな組織の中で生きのびる

坂東眞理子(ばんどう・まりこ)
1946年富山県生まれ。昭和女子大学理事長・総長。東京大学卒業後、69年に総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事などを経て、98年、女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)になる。2001年、内閣府初代男女共同参画局長を務め退官。04年に昭和女子大学教授、同大学女性文化研究所長。07年に同大学学長、14年から理事長、16年から現職。330万部を超える大ベストセラーになった『女性の品格』ほか著書多数。
目次

「おばあさん仮説」は私にとって
仮説ではなく実体だった

つねに多忙だったはずの坂東さんですが、どのようにして2人のお子さんの子育てを両立していたのですか?

坂東
果たして両立できていたかどうか、私には自信をもっては言えません。2人の娘は小学生のころから中学、高校に至るまで、「働いているママなんて嫌い。ほかのお家は、いつでもママがいて『おかえりなさい』と言ってくれるし、おいしいお弁当も作ってくれる」と文句を言い続けていましたから。

とはいえ、社会人になってからは2人ともワーキング・マザーになりましたから、私のことを多少はお手本にしてくれたのかなと思っています。子どもを産んだときは、2人とも1年から1年半くらいの長期間の育児休暇をとっていましたので、私よりもずっとうまく仕事と子育てを両立していたと思います。

娘さんたちにとって坂東さんは、「家にいることの少ないお母さん」だったのですね?

坂東
そうです。今の世の中なら、「女性と男性には違いがあるのだから、女性は女性らしい働き方をすればいい」と声を大にして言いたいところですけど、私が社会人としてのキャリアを築いていたころにそんなことを主張すれば、「男性と同じように働けないならやめればいいでしょ」と言われてしまう時代でした。

そこで私が頼りにしたのが、母でした。長女の保育園の送りむかえから熱を出したときの看病まで、郷里から上京して父と交代で面倒を見てもらっていました。

やがて長女が1歳くらいのときに父が亡くなると、母の上京する頻度と滞在日は少しずつ延びていって、ほぼ同居と言ってよいくらいの生活になりました。

母は昔の人でしたから、「嫁に行った土地に骨を埋める」という考えをもっていたはずですが、子どもたちはすっかりお祖母ちゃん子になって母に懐いていましたし、私の助けになるならと同居を承諾してくれたのです。
もし、母の存在がなかったら、ハーバード大学に留学するなんて選択肢はそもそもなかったでしょうし、仕事で成果を挙げることなんてできなかったでしょう。

進化生物学の分野に「おばあさん仮説」という考え方がありますが、坂東さんはまさにその仮説に助けられたわけですね?

坂東
そうですね。おっしゃるとおりです。

生物としてのメスが生殖年齢を過ぎたあとも長く生きることは、哺乳類の中でも非常にまれな現象だと言われますが、ヒトの場合、閉経後の「おばあさん」が子どもの子育てを助け、経験や知恵を伝えた。それによって社会規模を大きくすることができ、地球上で繁栄した、というのが「おばあさん仮説」ですね。
私の家庭に当てはめた場合、それは「仮説」ではなく「実体」だったと思います。

「このままではいけない」という
危機感が生んだ昭和女子大学の改革

坂東さんは総理府(現・内閣府)の行政官以外でも、埼玉県の副知事として地方行政に関わったり、女性初の総領事として豪州ブリスベンに赴任するなど、さまざまな仕事をしていますが、中でも平成19(2007)年、昭和女子大学の学長に就任したことは、大きなターニングポイントだったのではないですか?

坂東
そのとおりです。前編のインタビューで、私の時代は女性が就職する際、4年制大学ではなく、短大を出て、「企業戦士のお嫁さん候補」になることをよしとされていたことをお話しましたね。
ところが、1990年代半ばから女性の短大進学率は急速に低下してきました。

世間ではまだ、女性の社会進出が本格的に始まったわけではありませんでしたが、基礎的な学問をひととおり学ぶのではなく、4年制の大学で専門的な知識を身につけ、男性と差別されない仕事に就きたいという志向が強くなっていたのです。
昭和女子大学もそうした時代の流れを察知して、改革を迫られていた時期、「手伝ってほしい」という要請を受けて、それを引き受けたわけです。

大学教育の現場についてはまったくの未経験で、私自身は最初のころ、「改革するといっても、文科省の規制があるし、伝統的な古い考え方に縛られて大したことはできないかもしれない」という印象を抱いていましたが、実際には大学全体の教職員が将来に向けて強い問題意識をもっていて、思っていた以上に改革が進んでいきました。

原則全員が長期留学をする国際学科や、健康のスペシャリストを育成する健康デザイン学科を起ちあげたり、英語でビジネスを学ぶグローバルビジネス学部を設けることができたのは、「男性に負けない能力を身につけた女性を育成したい」という大学の問題意識なくしては実現できなかったことでしょう。

『女性の品格』がベストセラーになった理由

昭和女子大学での改革に着手して間もない平成18(2006)年に発表された坂東さんの『女性の品格』(PHP新書)は翌年のベストセラーとなり、現在に至るまで多くの人に読まれ続けています。なぜこの本は、これほど支持されたのでしょう?

坂東
私がこの本を書いた当時は、安倍晋三さんの第1次安倍内閣が発足したばかりのころで、「ジェンダーフリーは家族の破壊をもたらす」とか、「夫婦別姓は家族の解体を意味する」といった過激な意見が政府の中枢から聞かれるようになって、私の中には強い危機感がありました。

結果として第1次安倍内閣は短命に終わり、安倍さんはその後、第2次政権以降に「3本の矢」の成長戦略の目玉のひとつとして女性活躍を打ち出すことになります。
でもこれが「女性のため」を考えてのことではなく、超高齢化、少子化、人口減少といった社会問題によって「女性に活躍してもらうほかに手がない」という状況が後押しして出てきたことは明らかでした。

そんな風に社会が不安定になる中、女性の社会進出について関心が高まっていたことがこの本の注目度を高める要因になったのかもしれません。

『女性の品格』を初めて読んだとき、女性らしい心の大切さを説いている点で新鮮な印象を受けました。

坂東
女性の社会進出はもちろん、歓迎すべきことなんですが、従来の男性社会のルールに従って、出世のために上司にゴマをすったり、ライバルの足を引っ張ったりする必要はないと思うんです。まして、男性のマネをして乱暴な行動をしたり、粗野な言葉を使ったりするなど、もってのほか。

一般的に女性は優しさや思いやり、忍耐力、持続力があり、節制心があるものだと言われていますが、仕事をしていく上でそうした特性をマイナス面ではなく、プラス面に活かす方法はいくらでもあるということなんです。

「無意識の偏見」によって、
女性は自分自身をも縛っている

坂東さんが昭和女子大学との関わりを始めて、15年以上の月日が経ちました。2016年には総長にも就任されています。その間の女子大学生の職業意識はどのように変わりましたか?

坂東
私が学生たちに訴えているのは、一貫して「女性も一生働き続けるべき」という主張です。
最初のころは、「そんなこと言ってもむずかしいですよ」という反応もありましたが、そのうち、賛同してくれる声のほうが多くなっていきました。実際に、社会の中で働く女性が増えていったことが学生たちの意識を変える後押しになってくれたのだと思います。

ところが最近では、就活のとき「将来は仕事と子育てを両立できるようなワークライフバランスのしっかりした職場で働きたい」という女子学生が増えてきて、違和感をもつようになりました。まだ結婚もしていない、子どもも産んでもいない女子学生が最初の職業選択で「仕事と子育ての両立」を優先したところで、長期的な人生設計ができるとは思えないからです。

確かにそうかもしれません。

坂東
アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)という言葉がありますよね。
例えば男性が女性に対して「女のくせに生意気だ」と思ったり、森元首相のように「女は話が長くてめんどくさい」なんて口をすべらすようなことを指して、そう呼びます。

それだけでなく、女性が自分自身に対してアンコンシャス・バイアスをもっているケースも私はあると思っています。本当はもっと活躍できる場があるはずなのに「私は女だから無理」と尻込みしてしまうようなケースです。

私は、若いときは若気の至りで「ぜひやりたい」、「挑戦したい」、「社会の役に立ちたい」という目標をもって仕事を選び、それに全力投球することが重要だと思います。

なぜなら、人が成長するのは、たとえ失敗をしたとしても、そこからさらに努力をして成功にたどりつくときだからです。そこから自己肯定感や自信が生まれ、新しい挑戦に結びついていきます。挑戦する前からあきらめていたら、成長も自信も得られません。

ですから、子をもつ親、あるいは大学が、「学生は未熟なんだから、保護してやらねばならない」と考えたりするのも、アンコンシャス・バイアスに違いないのではないかと私は思います。大人たちの過保護な見解が、学生たちの成長を妨げるということを知っておくべきです。

コロナを乗りきる上で大切なのは、
今できることを精いっぱいやること

坂東さんの新しい著書『幸せな人生のつくり方 今だからできること』(祥伝社)は、コロナ禍であっても幸せに生きるための方法が提言されています。伝えたかったメッセージを紹介していただけますか?

坂東
それでは、「Never waste a good crisis(せっかくの危機を無駄にするな)」という言葉を紹介しましょう。

イギリスの首相だったW・チャーチルの言葉ですが、私がこの言葉を聞いたのは日本マクドナルドホールディングス会長のサラ・カサノバさんからでした。
鶏肉偽装問題や異物混入事件などの相次ぐスキャンダルによって同社が経営危機になったとき、カサノバさんは経営陣や社員全体にこの言葉を呼びかけて改革を進め、業績を急回復させました。

どの組織でも、成功しているときや、そこそこ安定しているときは改革に抵抗する人が出てきて「現状維持」を優先しようとします。
すでにお話しましたが、昭和女子大学も女性の社会進出という時代の要請を受け、「このままではいけない」という危機感をもっていたからこそ改革を行うことができました。だから、「Never waste a good crisis」という言葉には説得力を感じます。

コロナを「せっかくの危機」ととらえるべきなんですね。

坂東
そうです。同じことは組織についてだけではなく、個人にも言えます。

大学の授業をオンライン化できることは、アメリカなどに先例があって、みんな知っていました。でも、日本では大学生は教室で教員の講義を聞くものだと信じられていたので積極的にオンライン化が進みませんでした。

でも、コロナのおかげで、オンライン授業は「せざるを得ないこと」に変わりました。オンラインスキルのない教員も頑張ってスキルを身につけ、危機に立ち向かわねばならなくなったのです。
その結果、グループディスカッションにしても、学生個人の質問を受けるにしても、オンラインでもいろいろなことができることがわかりました。その一方で、対面でなければ伝えきれない直接経験があることもわかり、これまで何となくやってきた授業の方法を改めて検討することができるようになりました。

ビジネスの世界では、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)の「PDCAサイクル」を回していくことが推奨されていますが、コロナ禍においてはそんな悠長なことを言ってられません。
そんなときに重要なのは、「今できることを精いっぱいやる」ということ。そして、「過去の成功にとらわれず、新しいことに挑戦する勇気をもつ」ということです。

そうすれば、コロナは単に「思いがけない危機」ではなく、「せっかくの危機」として私たちを成長させてくれるでしょう。


大切なのは与えられた場で、
精いっぱい自分が納得できることをすること

ところで、坂東さんは、2021年8月に75歳になりますね。それでも、こうしてお話を聞いていると、とても溌剌としていてチャーミングな印象を受けます。読者のために、「年をとっても元気で幸せに生きるコツ」をアドバイスしていただけませんか?

坂東
誰だって年をとれば容姿は衰えるし、体力も落ちます。でも、気力についていえば、私はまだまだ自分を現役だと思っているし、衰えを感じたことはありません。

なぜそうなのかというと、社会人デビューしたころから今に至るまで、一貫して「やるべき仕事」があったからです。

前編のインタビューで私が公務員時代、婦人問題担当室に異動になったときは気が進まなかったというお話をしましたね。婦人問題について、それほどくわしい知識をもっていたわけではなかったので、乗り気になれなかったのです。

当時の働く女性にとって、「自分の仕事を選ぶ権利」は非常に限定的でしたから従うしかありませんでした。そこで自分にもできることはないか考えて、『婦人白書』の執筆に取り組みました。アメリカに留学して闘う女性の姿を見るうち、婦人問題を解決することが自分のライフワークなんだと自覚するようになっていきました。

その後、私は公務員をやめて、たまたまのご縁をいただいて昭和女子大学に来ました。大学教育に携わりたいという志をもって応募したわけではなく、自分はこの分野には素人だという意識がありましたが、及ばずながらできること、成すべきと考えることを積み重ねていきました。はじめのころは努力しても成果はあがりませんでしたが、5年ほどすると大学の就職率はあがり、受験生も増え、少しずつ結果が出るようになってきました。

すると、昭和女子大学を魅力的な大学にして、男性と同じように能力を発揮できる女性を世に送り出していくことが私のライフワークにつながっているんだという手応えを強く感じるようになりました。
そのようにして私は、最初は望まない仕事を与えられたとしても、「大した仕事はできないだろう」とあきらめず、努力を続けていくことで「やるべき仕事」を得てきたんです。

そのことは、私だけのケースに限らず、すべての職業人に言えることだと思います。与えられた場で、精いっぱい自分が納得できることをする。それが、年をとっても気力を失わないために大切なことだと思います。

とても感動的なお話、ありがとうございました。

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=宮沢豪

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