人生は人とどう繋がるかにつきる。映画監督、時代劇演出、大道芸、生業は歯科医師・大内千里さん

大阪の北部にある池田市には、かつて甲賀谷(こかたに)町という地名があり、そこには多くの職人がいたという。忍者発祥の地“甲賀”と同じ地名である。ならば大阪の池田市にも忍者が住んでいたはずだと。この発想から時代劇映画『池田に風カヲル』が誕生した。映画監督、時代劇ができる役者を育てる研究所の指導・運営、大道芸人、そして歯科医師という多彩な顔を持っている大内千里さんは「実はどれも人とどう繋がるかにつきます」と言う。何をやるにも手を抜かず本気で取り組む大内千里さんに話を伺った。

- 大内千里(おううち・せんり)さん
1965年生まれ 大阪府池田市出身・池田市在住。本業は大内歯科医院・院長。その傍ら1999年より大道芸人として活動開始。井上泰治監督(『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』など、多くの時代劇作品を手掛けている)と出会い、役者としての表現や映像作成について学ぶ。自主製作映画『KENZOKU』(脚本・監督作品)、『ぬが・びん・さん』(3部作)を製作。2015年『戦国の勝者』(井上泰治 脚本・監督)をプロデュース。2021年・時代劇映画作品『池田に風カヲル』(脚本・監督)を製作。井上監督の意思を継ぎ「関西時代劇研究所」を運営し、時代劇を演じられる役者の技術向上を目指している。
1円の重みを知った大道芸人デビュー
大内千里さんは大阪府池田市で「大内歯科」の院長を務めている歯科医師である。その合間に映画監督、時代劇を演じられる役者を育成する「関西時代劇研究所」を運営している。しかも30代のときにはジャグリングの大道芸人として全国を回っていた。多彩な趣味ですねと言えばそうだが、趣味も仕事もすべて本気、決して手を抜かない。そこには大内さんの人生哲学があり、すべて大内さんの人生になくてはならないものなのだ。
大内
歯科医師も映画も大道芸も全く違うもののようですが、人を喜ばせたいという気持ちは共通しているんです。大道芸は目の前にいる人が笑ってくれるという喜びがあります。映画は観た方が何かを感じて感動してもらえることを目指して製作しています。歯科医師も同じで制約のある中でどう工夫すれば患者さんに喜んでいただけるかを考えています。
表現方法は違っていても根底にはいつも人に喜んでもらいたいという気持ちを持っていた大内さんは、30代で大道芸デビューを果たす。
大内
ちょうどジャグリングが流行しかけたときでした。半年くらいジャグリングの師匠であるミス・サリバン(日本一と言われる女性プロジャグリングパフォーマー)さんに習い始めて半年ほど経ったときにベテランの大道芸人と一緒に舞台に立つことになったんです。最初の頃は分けもわからないですし、どうやって人を集めればいいのか分からずに戸惑いました。
厳しい世界ですよね。
大内
そうです。その瞬間で人垣を作っていかないといけないので、目線だったり空気感だったりが必要です。 どうやって人の心を捕まえるかということをやりながら体感で覚えていきました。これが何に役立つかというと生業(歯科医)に役立っています。人と話をするときにも役立ちますし、映画を撮るときにも役立っています。投げ銭で帽子にお金を入れてもらうのですが、この経験で1円の重みを知りました。
実はこの頃、「大内先生の大道芸はすごい」と患者さんの間では評判になっていた。最初は戸惑いながらも始めた大道芸であったが、そのうちに声がかかり始め、全国に巡業するようになった。もちろん、医院が休みの日にである。
大内
この頃、大道芸ブームになってパフォーマーが爆発的に増えて、ジャグリングをする人も増えてきました。どうも僕はみんながやりだすと面白くなくなるタイプなんですよ。技を見せるより笑いを取る方なんで、当時、チャンバラを使った大道芸はほとんどなかったので取り入れようと考えました。チャンバラをやるのに何からやろうと思って探したらミクシー(mixi。2004年に創設された日本発祥のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)でチャンバラが学べそうなところがあったんです。
FacebookやTwitterもなかった時代、様々なジャンルの掲示板が用意されたmixiは大きな人気を得ていた。大内さんがmixiで見つけたのが『水戸黄門』や『大岡越前』『江戸を斬る』など、多くの時代劇作品を手掛けた井上泰治監督の時代劇のワークショップであった。これが後に映画に着手するきっかけになっていく。
『水戸黄門』の最後の監督・井上泰治監督との出会いがきっかけで映画監督への道へ
大内
まだ自分で映画を撮ろうとは思っていなくて、ただチャンバラを教えてもらえるくらいの気持ちでした。ところが、井上さんはプロの監督ですから、時代劇のワークショップで映画を製作するということはどういうことなのかを生で体験させてもらいました。
元々武術や武道に長けていた大内さんであるが、時代劇の殺陣と武術とは別の者であり、殺陣は人の数だけ種類があるということを知ったという。さらに、映画監督とはなにかということを吸収していく。
最初の映画作品はどんな映画だったのでしょうか。
大内
最初は『KENZOKU』というファンタジー映画を撮りました。 この頃はまだ映画を製作してみたいなあ程度だったんです。2作目は『ぬが・びん・さん』という日本の神様の話を3作シリーズで製作しました。貧乏神が問題を起こしながらいい感じに終わっていくっていう話です。
そして、2015年には井上監督の映画のプロデュースを引き受けることになる。戦国時代の摂津(大阪)を舞台にした映画『戦国の勝者』のプロデュースである。商用作品以外で自主製作の映画で戦国時代を撮るというのはかなりお金もかかる無謀な挑戦だった。
大内
大変でした。僕はプロデューサーとしての役割でしたが、衣装の手配、小道具、撮影場所の確保と、なんでもやりました。
製作費はどう工面されたんですか?
大内
そこです!とても大変でした。プロの映画監督は自分ではお金ださない。いわゆるセルフマネジメントという方法をここで叩きこまれました。ゲー吐きそうになりましたが、多くの方の協力でなんとかなりました。ただ、予算は乏しくてもケータリングはちゃんとしないと全体のパフォーマンスが下がるので充実させました。東映から来てくれている役者さんもいて「東映の弁当よりええなあ」というてくれました。どんなひどいのでてんねん!
余談だが大内さんは料理も趣味で、自らウナギをさばいて焼いて振舞ったりしている。これもみんなに楽しんでもらいたいからなのに違いない。
大内
『戦国の勝者』の撮影中は、自分の用がないときはずっと監督の横にいました。古い監督の映画の作り方を習いましたね。井上監督はモニターを見ないで、全体を見ていました。画角の中に入っていない、スタッフのことも観ていました、そうしないと何が起こるか分からないですからね。最後は監督がすべての責任を持つという、本来の監督という言葉の意味をはっきり教えてもらいました。
映画の監督をするということはどういうことかを肌で感じ取り、学んだ大内さんはついに自身が監督をし、時代劇の映画を撮るという決断をするのである。
無謀な挑戦!自主製作で時代劇の映画を撮る
2020年12月、井上監督が亡くなった。66歳だった。井上監督は亡くなる直前までワークショップを続けていたそうだ。大内さんは監督の遺志を引き継ぎ2021年から「関西時代劇研究所」を運営している。参加者の経験は不問だ。所作から身体の使い方、殺陣まで様々なことを経験できる場所である。目指しているのは映画や舞台でカタチだけではなく魅せられる演技ができることだという。参加費は無料である。
なぜ、無料なのだろうか。
大内
お金は基本いただかないです。僕はそれでご飯を食べていないのでお金を取る立場にはないということです。なぜかというと、大道芸を経験していたからその感覚があるんですよ。大道芸はプロとして扱ってもらえたのでお金もいただいたし、投げ銭もしてもらいました。でも、これは趣味よねと。その代わりに、自分の映画に出てねと。自分がちゃんと育てないと自分が映画を撮ったときにえらいことになりますよという自分への足かせもあります。
参加者は40代から年配の方々までおり、その中にはプロの役者もいる。毎週の練習には平均して7,8人が参加している。参加者は時代劇の映画や舞台の話がいつ舞い込んできても対応できるように訓練をしている。
大内
時代劇の稽古をしていくとみなさん普段の言葉遣いも変わってきます。語尾の上げ伸ばしをしないというのは井上さんは徹底していました。
2021年には大内さん自身の脚本による初の時代劇映画『池田に風カヲル』を製作する。脚本を書いているときは井上監督もご存命で、アドバイスをくれたそうだ。
映画の発想のヒントになるものはあったのでしょうか?
大内
実際に大阪の池田に忍者がいたと言われているんですよ。古地図によると甲賀谷という地名があってそのあたりに職人さんが集まっています。忍者は職人などに姿を変えて生活していましたから、甲賀の忍者が池田市に来ていた可能性が高い。
おもしろいですね。でも時代劇は衣装や小道具もいりますし、ずい分お金がかかったのではないですか?
大内
普通に製作したらたぶん何百万とかかると思います。小道具、衣装が一番大変でした。ただ、衣装に関しては参加しているメンバーが自分で製作したりもしました。甲冑は知人の協力で無料で借りられました。時代劇の衣装を作れる協力者もいました。プロの音声、カメラも協力してもらえました。全部、友達、その友達なんです。人に恵まれて作れたのかなという気がします。井上監督の繋がりがあって歴史学者に出会うこともできたので、学者の目線での話も聞かせてもらうことができました。
人生は人と如何に向き合うのかだ
大道芸をしていたときも映画監督も時代劇研究所も楽しいからやっている。共通していることは人と如何に向き合うのかだと大内さんはいう。
今後も映画製作の予定はありますか?
大内
まだやりますよ。今は遊びでAIですべてをやるという作画もしています。 Youtubeで“神様の我慢比べ”で探していただけたら見られます。
映画は観客に観てもらうことで映画になる。観て語られて映画になるというのが大内さんのモットーである。自身のスタジオ「Art Space 斬」では、自主上映ができるスペースがあり、自主映画上映会を開催している。料金は投げ銭制だそうだ。
妄想することが好きだという大内さんの頭の中には様々な作品のイメージが湧いいるに違いない。映画も人に恵まれたからできたという大内さんの言葉通り、人との付き合いや繋がりを大事にしているからこそ、大内さんの周りには様々な分野の人が集まり、そこから新しいものが生まれてくる。


