かっこよい人

「趣味を仕事にするなら覚悟しなさいよ(笑)」なぎら健壱さんインタビュー(後編)

お待ちかねの後編スタートです。
不遇の時代を経て、タレント、俳優、エッセイスト、写真家……とマルチに活躍する、なぎらさん。
でも、根幹には「フォークシンガー」であることへの矜持が。
やりたいことを続けること、そしてこれからは?

前編記事はこちら→「趣味を仕事にするなら覚悟しなさいよ(笑)」なぎら健壱さんインタビュー(前編)

なぎら健壱
1952年、東京・中央区銀座(旧木挽町)生まれ。1970年に中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加したことをきっかけにプロデビュー。毎月最終土曜日のライブ(吉祥寺・曼荼羅2)のほか、年1回のソロコンサート、他ミュージシャンとのジョイントコンサートも。写真家、タレント、俳優、エッセイストとして幅広く活動し、お酒や下町にまつわる連載・著書・講演多数。
目次

フォークシンガーから
マルチタレントへの転身

1970年にフォークシンガーとしてデビューした、なぎらさん。
フォークソング不遇の時代を乗り切り、半世紀近くも音楽を続けることがでできるのは?

なぎら
フォークだけじゃ、ダメだ、食えないってことに気がついたからです。そのあたりの事情というか、当時のフォーク界についてちょっと説明しましょうか。フォークソングの定義や起源、成り立ち、発展といった詳細は省きますけど。
日本のフォークは1960年代前半にはじまり、後半から1970年代中頃にフォークのブームがありまして。でもね、ブームというのは終わるもの。次第に下火になっていくんですよ。
ベトナム戦争に対する反戦、同和問題に関する社会的なことを歌っても仕方がないというか。そういう時代ではなくなってきたんです。単に、BGMとして心地よい音が奏でられていればいいということで、世間の興味はフォークからニューミュージックへと変わっていきました。

で、それまで頻繁にあったコンサートがなくなり、レコードも出せなくなり、売れなくなる。あたしだけじゃありませんよ、一部のフォークシンガーを除いてはみんなそうでしたね。

アングラなカルチャーだったフォークがお茶の間に浸透して。
でも、フォークシンガーたちはテレビに出なかったという……

なぎら
そう。先輩方にね、「テレビなんぞ軟弱なメディアに出ちゃいかん、それがフォークシンガーのルールだ」と言われたんですよ。で、われわれ、下の世代はね、それを信じた。そのルールから外れるわけにいかないし、則ることが正義だと自分で思い込んだんです。
ところが、今言ったように、フォークのブームは去ってしまった。フォークを聴いていた世代は就職してフォークから離れる。フォークを欲する聴き手がいなくなる。そしてどんどん仕事がなくなっていった。
フォークで世に出てからずっと「歌で食えればいいな、歌に浸っていたい、この夢が覚めなきゃいい」って思ってました。せっかくつかんだ夢なんだからね。でも、その夢が覚めてきたんですから、マズイぞ……と。
まったくお金がないんですよ。日々の生活のために建設現場で働いたこともありました。一番、食えなかった時代ですね。で、時代はテレビですよ。そこに気がついたのが、あたしであり、武田鉄矢や泉谷しげるでした。

~テレビタレントとして、なぎらさん、武田さん、泉谷さんの台頭は、ある世代ならご承知の通り~
先輩の言うことを信じ、守り続けていたら、
現在のなぎらさんはいない?

なぎら
そうとも言えるかもしれませんね。
結婚して子どもも生まれましたし。家族を食わせなきゃならないんですから、金のためと割り切ってテレビに出ていました。
そのうち、便利に使われて、役者をやるなど仕事の幅が広がります。いい言葉かどうかはさておき、マルチタレントに向かっていきましたね。

当時の心境は? 
お金のためということは楽しくなかった?

なぎら
楽しくないですよ。本当にしたかったことができないんですから。音楽という、したいことでデビューして、でも立ち行かなくなって。ダメになったら……生活のための金しかありません。次の目標なんて、怖くて考えられませんでしたねぇ。

テレビで個性を発揮なさって。
徐々に、現在のなぎらさんのポジションが確立されて。

なぎら
そうですね。個性的でおもしろいから、ということでテレビだけじゃない仕事もやってくる。おもしろいヤツがやっている趣味はさぞおかしかろうと、記事になる。最初のうちは、趣味が仕事になってお金になるんだから、シメた! と思いましたけどね(笑)。
ですが、そのうち、ってだいぶ経ってからなんですけれど。生活にゆとりが出てくると、「金のためにやってもしょうがない」と思ったんです。それが、さっきの趣味の話につながるんですが。

1970年にデビュー後、ファーストアルバム「万年床」を1972年にリリース。
70年代、ギターを弾くなぎらさんご本人。

世間体は関係ない。
あなたの好きなことを見つけて

「音楽だけでは食べていけない」とテレビの世界に入った、なぎらさん。
同時に、長年……40年近くも、毎月欠かさずライブを行っている。

なぎら
まあ、惰性といったら惰性なんですけどね(笑)。それに、やっておかないとやらなくなっちゃう。最初に話した、仕事と同じです。義務として課さないとできない。続けているおかげで、訓練できている、サビないでいられると思います。
バックボーンはフォークシンガーなんです。やめたら、もう終わり。そりゃあ、食えなくて、音楽以外の仕事をしましたが、自分がやりたくて、この道に入ったんだから、挫折したくない。続けなきゃいけない、と思い込ませ、また、そうして続けられたことはありがたいですよ。

毎月最終土曜日(変更あり)には、吉祥寺にあるライブハウス「曼荼羅2」でライブを行っている。何十年も同じ場所で唄い、演奏し続けてきた。その姿に惚れるファンが足繁く通う。

生活のための仕事をしたけれども、当初からの夢も実現している。
次なる夢は? 目指すことは?

なぎら
どこも目指してないなぁ。10年、20年前だったらいろんなことをやってみたいと思ったでしょうが、今はありませんね。でもこれ、諦めじゃないですよ。
いろんなことをしたからこそ思うのかもしれませんが、そんなに八方美人じゃなくて、ひとつのことに集中したほうがいいという考え方になったというか。
われわれの仕事は、本来“心に残す”仕事なんです。本人が消えたとしても、それぞれの心に残っている。でもね、それだけじゃダメだな。いずれ鬼籍に入ってしまえば……忘れられてしまう。だから、カタチに残さなくちゃ、と。それがCDであり書籍であって、ね。
そのためには、より具体的な締め切りが必要なんだけれども(笑)

やり続けて、心を響かせて、カタチに残す。
そんなふうに生きたい人たちへのメッセージを。

なぎら
好き嫌い関係なく、仕事には情熱を持ちなさいよ、と。情熱を持つには好きでないと、と誤解しがちですがそんなことないですよ。
「働けば働くほど金が入る」というのが情熱になる、そういうことを言うと、嫌な人言に思われるかもしれないけれど(笑)。
あと、趣味を仕事にするなら覚悟しておきなさいよ(笑)。見ている側は気楽でしょうけど、ホント大変なんですから。

取材場所である「KINOへや」には黒板が。そこにメッセージをお願いすると……
「これ、ホンモノの黒板じゃないよ(笑)」とウンチクとともに、ご自身の似顔絵をスラスラと!

趣味が仕事になってしまう、なぎらさんですが、
今、いちばん好きなことは?(笑) いえ、和み、癒されるときは?

なぎら
なんにもしないときですね(笑)。あとは夜中に、酒飲んで文章書いているときかな。いや、町を歩いているときかもしれない。
ほかのことを知らないからそう言っちゃうのかな。カヤックとかボルダリングをやってみたいな、と思うけれど、もう、準備するのが面倒(笑)。
カメラもね、あ、これも仕事になっているけれども、機種によって使い方が違うから、覚えるのも大変。うん、充電しなくていいカメラ、バッテリーは一生モノというカメラありませんかね(笑)

趣味を持ちたい、
でも持っていないという人へのアドバイスを。

なぎら
趣味じゃなくても、コレクションじゃなくてもいいので、みなさん、好きなことを持っていたほうがいいですよ。平素のことを忘れられて、そこが逃げ場所になるからね。
年齢を経て、リタイアしたから、やれ囲碁だ、蕎麦打ちだ、というんじゃなくて、「俺は朝からテレビゲームをするぞ」というのでいいんです(笑)。とかく、年齢にとらわれがちですが、本当に好きなら、自分がいいと思えば、そこにぶつかっていけばいい。
誰がなんと言おうと、そのカタチを通して、好きだと言えたら“勝ち”ですよ。
年相応なんてウソです。若い人にしろ老いた人にしろ、これをやらなきゃならない、なんてことはありません。
そんなことを気にしているから、自分の好きなものが見つからない。尺度や世間体も関係ありません。あなたの生き様を、なんで他人が決めるんだ、ってことですよ。
好きなことを見つければ、自分自身を理解しているってことでもあるんですから。

デジタル、フィルム問わず、カメラとレンズの所有数は数え切れないほど。最新モデルでの撮影もこなす。これは、ある日の装備。カメラバッグもさすが、かっこいい。
「日本カメラ」(日本カメラ社)、「デジタルカメラマガジン」(インプレス)での連載も。写真エッセイも3冊刊行している(上写真は『町の残像』より)。毎年開催される写真展では、なぎらさん撮影の作品を間近に見ることができる。

なぎらさんの「キネヅカ名言」

昨日のつづきは今日だけど、
明日は今日のつづきじゃない。


なぎら健壱さん

文と写真=山﨑真由子、写真=有村正一、写真提供=ブルックスコミュニケーションズ
東京・岩本町「KINOへや」にて取材

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
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