大阪で飲んだ一杯のキリマンジャロが原点、カウンターから笑顔を届ける「珈琲家族 可輪亜居」

阪急梅田駅から電車で約15分、伊丹空港のモノレール乗り換え口の蛍池駅にその喫茶店はある。ドアを開けると、蝶ネクタイに半袖シャツ姿のマスターの「いらっしゃい」という元気な声が響く。暑い日も寒い日も雨の日もちょっと疲れている日もマスターはいつだって笑顔だ。「珈琲家族 可輪亜居(かわあい)」は2025年6月に創業40年を迎えた。マスターに河合敏男さんに話を伺った。

- 河合敏男さん(かわいとしお)さん
1949年(昭和24年)岐阜県郡上市に生まれる。幼いときに父親を亡くし、新聞配達、牛乳配達等のアルバイトで学費を稼ぐ。高校卒業後、商売を覚えるなら大阪だと、大阪市内にある繊維会社に就職し、寮生活を送る。会社員時代に出会った珈琲専門店のキリマンジャロの味に感動し、勤めの傍ら休日は喫茶店でアルバイト修行後、10年間の会社勤めを終え、修行先の「喫茶果林」の店長となる。1985年に結婚。1986年(昭和61年)蛍池駅近く(大阪府豊中市)に「珈琲家族 可輪亜居(かわあい)」を開店。以来、カウンターに立ち続ける。2025年6月創業40年。
こんなおいしい珈琲があるんだ! 一杯のキリマンジャロに感動
「アイスコーヒーは微糖とブラックがあります。どちらになさいますか」、「じゃあ、微糖でお願いします」。日曜日の昼下がり、2人連れの若い男女が少し緊張気味に注文している。「ケーキもおいしいですよ。僕の手作りです」とマスター。「おいしそう」と彼女。「じゃあ、このチーズケーキ2つ」と彼。マスターの人懐っこい笑顔にいつしか緊張がほぐれていく。帰り際には「マスター、おいしかったです。また来ます」と満面の笑みがこぼれた。街に根付いた珈琲自慢の喫茶店「珈琲家族 可輪亜居」の客層は幅広い。店の休みは盆と正月だけで、朝の7時から18時まで営業している。その間、ずっとマスターはカウンターに立ち続け、2025年6月に40周年を迎えた。
河合
お客さんの居場所になるような喫茶店にしたいという意味を込めて、珈琲家族と付けました。店名はよくお客さんに何て読むのと聞かれますが、可能の可、輪になるの輪、アジアの亜、居は居場所の居で、可輪亜居(かわあい)です。私の名字、河合にかけてます。このカウンター、椅子、テーブル、調度品はみんな創業当時からのものです。
よくみると、10席もある長いカウンターは1枚の板である。年季の入った木が独特の風合いを醸し出している。
河合
出身が岐阜なので、カウンターもテーブルや椅子も飛騨高山の家具を使っています。
使い込まれた家具も床も木の風合いがそのまま味になっている。
マスターは、岐阜から大阪に出てこられたんですか?
河合
そうです。岐阜県の郡上市の出身です。高校を卒業後、商売を覚えるなら大阪やと、叔父の紹介で大阪の繊維会社に就職しました。
18歳で大阪に出て河合さんが喫茶店のオーナーになったのはその10年後のことである。喫茶店を始めたきっかけは一杯の衝撃的な珈琲との出会いからだったという。
河合
会社員時代に堺市の方へ遊びに行ったときにたまたま入った珈琲の専門店で60代くらいのマスターが入れてくれたキリマンジャロを飲んで「こんなおいしい珈琲があるんだ」と感動しました。元々珈琲は好きでよく飲んでいましたが、あのときのキリマンジャロで珈琲のイメージが変わって、よけい珈琲が好きになりました。もう、店の名前もマスターの名前もすっかり忘れてしまいましたけどね。珈琲の専門店で、珈琲を頼むと殻付きの落花生が付いてくるんですよ。お客さんは殻を足元に捨てているので、足元でガサガサと鳴るわけです。そんな雰囲気も好きでした。
豆を挽き、サイフォンで1杯、1杯入れてくれるキリマンジャロは格別だった。この1杯のキリマンジェロが「珈琲家族 可輪亜居」の原点である。商売を覚えるために大阪に来て初めて勤めた会社は叔父さんの紹介でもある。10年間はきっちり勤めあげようと決めていたマスターは、働きながら喫茶店を開くための準備を始めることにした。
河合
喫茶店は外から見たのと実際に中に入ってみるのとでは違うだろうと思い、会社に勤めながら休みの日だけ、勉強させてくださいとお願いしてお手伝いを始めました。修行のつもりなんでノーギャラで2年間、通いました。
会社の方のお兄さんがやっていた大阪の淀川区にある「喫茶果林」で喫茶店の奥深さや大変さも学んだという。
一生やりたいから1人でできる喫茶店に
河合
就職したときに世話になった叔父に喫茶店をやりたいと相談しに行ったら「やりたいことをやれ」と言ってもらえたので、会社に勤めて10年経った時に、上司に辞表を出しました。
ところが、この辞表は2カ月間もの間、放置されたままだった。このままでは埒が明かないと社長の家まで出かけて直接気持ちを伝えたと言う。
河合
社長に喫茶店をしたいから辞めたいと言いに行きました。社長に1人でするのか、人を使ってするのかを聞かれたので「私は一生やりたいので1人でします」と伝えました。決心したのなら応援するとやっと辞表を受理してもらいました。
円満退社したときはまだ独身だったが、喫茶店をするにも独身にはなかなか金融機関がお金を貸してくれなかったそうだ。退社後、週末に喫茶店の修行をしていた「喫茶果林」の店長に就任し、持ち前のおしゃべりと明るい性格で人気者に。そこで出会ったのが、お客さんとして来ていた仁美さんだった。
河合
妻、仁美とは一回り違うので反対されるかと思ったんですが妻の両親も自営業だったので商売の理解があり、結婚を承諾してくれました。結婚していれば銀行にも信用してもらえたので、すぐに店舗を探して、結婚の翌年に今の場所で喫茶店を始めました。当時の蛍池は今よりかなり田舎でしたが、駅からも近くて人通りもあるのでここなら行けるだろうと、この場所に決めました。
一生やりたいから1人でできる喫茶店にしようと、カウンター中心の店にしたそうだ。一枚板の重厚なカウンターには、10席ほどの椅子が並んでいる。ほとんどのお客さんはこのカウンター席に座る。テーブル席は、2人掛け2席と4人掛け1席だけである。忙しい時間帯にはアルバイトも入るが、珈琲を淹れるのはマスターだけ。サンドイッチもケーキもマスターの手作りである。サンドイッチはミックスサンド、タマゴサンド、ハムサンドに加え、マスターオリジナルののツナゴボウサンドがある。そこに最近、アボカドサンドが加わった。珈琲の種類は約20種類以上ある。中に『中深』という見慣れない名前があったので聞いてみると…
河合
中深珈琲は、2種類の豆を使っています。中より深めに焙煎している僕のオリジナル珈琲です。
珈琲のことを話し出すと、止まらない。話好きのマスターではあるがお客さんの雰囲気を見て無口にもおしゃべりにもなる。カウンター中心の店にしたのはお客さんとの会話を楽しむためだという。
河合
話をしたいお客さんは大抵カウンターに座ってくれます。しゃべりたくないお客さんはテーブル席に行かれることが多いです。いらっしゃいませと言って、返事が返ってくるお客さんはカウンターに座られますね。本当は珈琲を淹れるより、フロア周りの方が楽しいんです。初めて来てくれたお客さんにどれだけのサービスができるかが大事。一回限りではなく、また来てもらいたい。だから初めてのお客さんには声掛けをしています。変なおっさんがダジャレを言っておいしい珈琲を淹れてくれる店です。
そういってマスターはまた笑顔になる。マスターの笑顔を見に通い続けるお客さんも多い。そして、一度来たら、また来たくなる。マスターは、初めてのお客さんでも常連さんと分け隔てなく接する。
休みは盆と正月だけ、朝は7時オープンですが、実は…
「珈琲家族 可輪亜居」の朝は早い。7時開店、閉店は6時である。しかも休みは盆と正月だけである。しかも知る人ぞ知る秘密の時間がある。実は朝の6時になると店からは珈琲の香りが漂ってくるのである。入り口には「春夏冬中」と書かれた木札。これ、「あきないちゅう」と読む。遊び心のある当て字だ。
河合
早朝に散歩されるお客さんが帰りに立ち寄ってくれるんです。珈琲はし好品なんで好きな人は毎日飲みたくなる。昔は夜の9時までやっていたんですよ。
しんどくないと言えば嘘になる。しかし、マスターは働くことが苦ではなく楽しいのである。その理由は少年時代の経験に遡る。
新聞配達、牛乳配達で学費を稼いだ少年時代。経験はすべて財産
海と山に囲まれた岐阜県郡上市で少年時代を過ごしたマスター、たまに郡上なまりが出ることがある。
河合
「やっとめやなあ」というのは、「久しぶりやなあ」という意味です。山と川に囲まれた町で育ちました。陽が陰ると涼しくて、朝は寒いくらいです。
幼い時に父親を病気で亡くしたマスターは、父親との思い出は少ないと言う。
河合
9歳のときに父は亡くなりました。結核だったので病気になってからあまり会えなかったので。でも「少年」(月刊漫画誌で、手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」、横山光輝の「鉄人28号」が連載されていた)を買ってくれたのは覚えています。店に飾っている写真は、唯一残っている父親との写真です。
中学時代は新聞配達、高校時代は牛乳配達のアルバイトをして自分の学費を稼いだそうだ。さぞ、大変だったのだろうと思いきや意外な答えが返ってきた。
河合
大変だとは思いませんでしたね。働き者のおふくろの姿を見ていたからかもしれません。高校時代はクラブ活動もめいっぱいしましたよ。バレー部でした。ずっと牛乳配達をしていたから地理にも詳しくなったので、正月の郵便配達も頼まれて、すごく重宝がられました。僕らの地域は名字が一緒の家が多いのですが、僕は牛乳配達で把握していました。みんなに挨拶して回っていたので、うちにも入れてと牛乳の注文もたくさん取りました。牛乳配達しているときに機関車といつも同じ場所で出会うので警笛をあいさつ代わりに慣らしてくれたのが、嬉しくてね。
他にもいろんなアルバイトをしていたという。
河合
母が旅館の仲居をしていたので、夜に配膳を片づけるアルバイトもしました。夜食にマスカットを出すときに1個くらいちぎって食べてもわからないからつまんで食べて、皮は池の鯉に食べてもらったりね。旅館のお風呂に入らせてもらってお客さんとしゃべったら、しゃべっただけでチップを千円もくれたりね。しんどいことはしんどいですが、楽しいことがいっぱいあったから大変ではなかったし、苦労をしたとは思っていません。経験がすべて今に繋がっている気がします。周りに感謝せなあかんと思っています。
僕みたいな幸せもんはないとマスター。2026年、41周年目を迎える「珈琲家族 可輪亜居」。お客さんの「マスター、珈琲おいしかったです」の声がなによりの楽しみだとマスターは言う。真っ白な半そでシャツに蝶ネクタイ姿のマスターが珈琲の芳香な香りと共に笑顔で出迎えてくれる。

