かっこよい人

五木寛之インタビュー【後編】
病気は「治す」のではなくて、「治める」もの

2022年の今年の秋で90歳になる五木寛之さん。その風格ある語りは前編のインタビューで見ていただいた通りである。
後編では、趣味として楽しみながら行っているという「養生」について、人生の来し方行く末などについて、語っていただくことにしよう。
読めば誰もが元気になる、必見のインタビューだ。

前編記事はこちら→五木寛之インタビュー【前編】 「捨てない生き方」がなぜいま、支持されるのか?

五木寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島で幼少期を送り、47年に引き揚げ。52年、早稲田大学ロシア文学科入学。57年に中退後の66年、『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、英文版『TARIKI』は2001年度「BOOKOFTHEYEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞、09年にNHK放送文化賞を受賞、10年『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『親鸞』『一期一会の人びと』『折れない言葉』などがある。
目次

義務としての「健康法」より
趣味や道楽の「養生」のほうがいい

もうすぐ五木さんは90歳の卒寿をむかえます。ご自分がここまで長生きすることを想像していましたか?

五木
いえ、まったく、想像だにしていませんでした。20代のころは「せいぜい生きて40代までだろう」と考えていたほどです。

母が亡くなったのが46歳、父が56歳、7歳年下の弟は、42歳のときに病で世を去りました。そもそもが、薄命の家系なんです。

体のほうも丈夫とはほど遠く、幼いころから腺病質でした。これまでどうにかこうにか生きてこれたのは、奇跡のようなことだと思っています。

五木さんは戦後から数えて70年、歯医者以外の医者にかからなかったそうですね。何かそういう、主義主張があってのことですか?

五木
いや、それについては主義とか主張と呼べるようなものなどはなくて、ただ無精から始まったことです。とにかく、体に具合が悪いことがあっても現代医学の力を借りない、そう自分で決めただけのことです。

だいたい、元気でいる、健康でいるということは個人の体質の問題であって、体にとってどんな健康法がいいのかという判断は、自己責任においてすべきだと思うのです。

とはいえ、新聞や週刊誌、テレビなどのマスメディアには、「健康法」なるものがイヤというほど氾濫しています。はて、自分にとって何が有効なのだろうかと考えても、埒が明きません。

ですから、ぼくはいつからかそれを「健康法」ではなく、「養生」と呼ぶことにしました。

必要に迫られて、義務としてやるのが「健康法」。それと違って「養生」は趣味としてやるものです。自ら工夫して、楽しみながら、おもしろがりながらやるところに意味があるんです。趣味といってもいいし、道楽といってもいい。

「健康法」は、明日死ぬことがわかっていればやる意味がなくなりますが、「養生」はそれとは関係なく続けることができる。そこに大きな違いがあるんじゃないでしょうか。

10年間悩まされた偏頭痛も
「養生」でうまく乗りきった

これまで、どんな「養生」を試してきましたか?

五木
偏頭痛と肺気腫には、10年ほど悩まされました。こうした病気は歴史の上でも普遍的なもので、『三国志』の英傑である曹操も頭痛持ちだったといわれています。

ぼくの場合、発作が起きると3日くらいはどうにもならなくなって、辛さにのたうちまわっていました。医学に関する学術書や専門書を読んで研究しても、原因がよくわからない。

そこで、辛いときの自分をよく観察することにしました。
だんだんとわかってきたのは、気圧に関係がありそうだということ。
よくいわれるのは、低気圧によって自律神経が不調になるということですが、ぼくの場合、高気圧が続いて、それが下がる曲がり角のところで偏頭痛が始まることがわかりました。今では誰でも知っていることかもしれませんが、それが常識となる何10年も前にぼくは自分の体の声を聞くことでそれに気づいたんです。

そこで始めたのが、新聞の天気予報欄の天気図を細かく読む習慣です。大阪で雨が降ったら6時間後にこちらに低気圧がくるなとか、福岡だと12時間後、上海なら24時間後という風に計算するのです。

低気圧が急にやってきそうなときは、血圧の上がり下がりをうながす作用のある風呂には入らない、アルコールを飲まない、原稿を早めに片づけておくか、締めきりを延ばしてもらうなど先手を打って、寝床に横になって低気圧をやり過ごすのです。

さらに自分の体を観察すると、偏頭痛が起こりかけの兆候にも気づくようになりました。
例えば、上のまぶたが心持ち下がったように感じることがある。また、唾液が妙にネバつくようなときがある。それから、体温は低いのに、首の後ろがちょっと熱く感じることがある。それが警戒信号です。
これに気づけたことで、天気図を見なくても偏頭痛を回避できるようになりました。

それが60代から70代にかけての話ですが、70代なかばから先は一度も頭痛に悩まされなくなりました。
でも、「養生」は趣味ですから、天気図読みはいまも続けています。

自分の体をよく観察して、
病の原因をひもといていく

自分を観察することを「楽しみ」にするのが大事なのですね?

五木
そう、それが大事なポイントです。

また、気胸のような症状に苦しんだことがあります。地下鉄に乗っていると、突然息苦しくなって乗っていられなくなるのです。
これは、完全に治まるのに10年くらいかかりました。

なぜなら、偏頭痛のように原因が単純なものではなくて、7つか8つ、あるいは10くらいの原因が複合的にはたらいているからです。

呼吸に関しては、吸うときではなく、吐くことが困難になっていることに気づきました。そこで、いくつもの呼吸法を試してみましたが、それなりに効果があったのは、「ため息呼吸法」です。「あーあ」と大きなため息をつくイメージで、意識して呼吸をするのです。

そのうち、呼吸だけではなくて、精神的なプレッシャーだとか、いろいろなものが原因になっていることもわかってきました。大事なのは、自分の体をよく観察して、そうした原因を一つひとつ、ひもといていくということでしょう。

「老い」は「病気」ではない。
折り合いをつけて長く付きあうしかない

そんな五木さんでも、「老い」を実感することはありますか?

五木
もちろん、あります。80歳を過ぎたころから、脚が痛むようになりました。それから、髪も薄くなってきました。

ぼくは腺病質で体が弱かったけれども、脚の強さだけには自信がありました。70歳なかばで『百寺巡礼』というテレビ番組の撮影で室生寺を訪ねたとき、700段の石段をリハーサルで1往復、本番でもう1回、その後の広報用のスチール撮影でさらに1回と、合計3往復したこともある。

それが80歳を過ぎて、できなくなりました。じっとしているときは痛まないのだけれど、階段の登り降りをすると痛みがやってくるようになったんです。

そこで70年ぶりに病院の門をくぐってレントゲンを撮ってもらったら、「変形性股関節症」と診断されました。どうも、手術をしたら痛みがなくなるとか、何かの特効薬があるとかいうものでもなさそうです。
「同じ症状の方で、スイミングクラブに通われて、水中歩行をしてよい結果が出た方がいらっしゃいます」とアドバイスされましたが、まだ試していません。

それを「養生」として、楽しみながらできるのなら試してみる気にもなりますが、そうなりそうな気配がないのです。

ぼくはつねづね「病気とは治すものではない、治めるものだ」と書いたり、しゃべったりしてきました。
この脚の痛みには「変形性股関節症」という病名がついたけれども、ぼくは病気ととらえていません。90年ちかくも使っていれば、ガタがくるのは当たり前。つまりこれは、「病気」ではなく、「老い」の結果ということになります。

ならば、この脚の痛みとも、折り合いをつけてうまく付きあっていくしかないじゃないですか。体が発する声に耳をかたむけて、対話するということ。それを、これまでやってきた通りに続けていくしかないと思っています。

世界の変化をおもしろがる
「ヤジ馬根性」が生きる原動力

いま、人類はこれまで経験したことのない「人生100年時代」をむかえています。五木さんは自らの「死」について、何か考えることはありますか?

五木
今年の2月、石原慎太郎さんが亡くなりましたね。実は、彼とぼくは1932年9月30日生まれで、ある小説雑誌の「同年同日生まれ」というグラビア特集で対談したのが初対面でした。

仏教には「自力」と「他力」という言葉があります。簡単にいうと前者は、自己に備わった能力のこと。後者は、仏や菩薩などのはたらきのこと。

ぼくは、石原さんは「自力」の人だったと思っています。自分が欲することを誰におもねることなく実行してきた意志の強い人。
それとは逆に、ぼくは「他力」によって生かされてきた者だと思っています。時代の風に背中を押されるかのようにしてものを書いてきた。

そんな立場の違いはあれど、やはり同年同日生まれの人が亡くなったことについては感慨深いものがあります。

ただ、自分がどのように死んでいくのかを考えるとき、「1日でも長く生きたい」とは考えないと思います。
贅沢をいわせてもらえば、脳卒中や心不全などの致命的な発作を起こしたり、事故や災害に巻き込まれて突然死するのは避けたいですね。せめて1、2週間くらいの余裕はほしい。家の中のガラクタを眺めて人生を振り返ることができるくらいの、ささやかな余裕です(笑)。

いずれにせよ、「死」はぼくにとって嫌なものでもないし、怖いものでもありません。

興味深いお話、ありがとうございます。最後に「年をとっても元気に生きる方法」について、アドバイスしていただけませんか?

五木
4年ほど前にぼくは、『マサカの時代』(新潮新書)という本を書きました。

世界情勢も日本社会も、個人の人生においても、「マサカ」と思うような予期せぬ出来事はいつでも起きます。そんな有為転変の世にあって、それまで信じられてきた常識やルールが覆されることがある。

でも、そうした変化を恐れるのではなく、逆に楽しむ好奇心が大事だとぼくは思うのです。平たくいえば、「ヤジ馬根性」というヤツです。そのような好奇心がぼくの生きる理由なのかもしれません。

コロナなんて、その典型でしょう。感染が収束したとき、世の中はどのように変化しているのか、是非とも見てみたいものです。人生に未練はないけれど、いまのぼくを生かしてくれているのは確実にこの、「ヤジ馬根性」なんじゃないのかな。


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  • ふえゆくモノたちと、どう暮らしていくか
  • シンプルライフにひそむ「空虚さ」
  • モノは「記憶」を呼び覚ます装置である
  • 「ガラクタ」は孤独な私たちの友
  • 生き生きと老いていく
  • 人づき合いは浅く、そして長く
  • 法然と親鸞が捨てようとしたもの
  • 過去を振り返ってこそ、文明は成熟する etc.

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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