かっこよい人

武田鉄矢インタビュー(後編)最後まで持っておくべき「死ぬ元気」

2020年11月、『老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート』(文春新書)を上梓した武田鉄矢さん。
前編では、幼少期から変わらない知識欲の源泉について語ってもらったが、後編では71歳の今、「老い」とどのように向き合っているかについて質問してみた。
読めば元気になる迫真のインタビューだ。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年 4月11日生まれ。福岡県福岡市出身。福岡教育大学卒業(2008年に名誉学士授与)。1972年に海援隊のボーカルとしてデビューし、『母に捧げるバラード』、『贈る言葉』などのヒット曲を多数生む。俳優としても活躍し、映画『幸福の黄色いハンカチ』などに出演。ドラマ『3年B組金八先生』は30年を超える人気シリーズとなった。
目次

50歳を目前として、愕然とした事実とは?

鉄矢さんは、自らの「老い」を意識したのは何歳くらいですか?

武田
ひとことで言うと、「学び」の必要性を感じたときです。

年齢で言うと、50歳のとき。そのとき私は、「それまでの人生で学んできたことがこれから先、まったく役に立たないことになる」と感じて、震えあがりました。

浮き沈みの激しい芸能界で、私は幸運にも映画から入って、テレビドラマでもヒット作に恵まれました。歴代ドラマ視聴率ランキングの上位に『金八先生』と『101回目のプロポーズ』という2本のドラマの名が挙がるほどに。
映画では、『刑事物語』と『プロゴルファー織部金次郎』という2つのシリーズ作も手掛けることができました。

ところが、50歳に近づいてきたころ、テレビでの人気が引きはじめて、主役の声がかからなくなってきました。まぁ、それは当然のことで、日の当たるところにいるのはいつの時代も20代、30代のアブラの乗りきった人たちだからです。

そこで私も、テレビ以外のところで主役になれる場所を求めて、舞台を作ることにしたんです。

海援隊として世に出るきっかけを作ったヒット曲『母に捧げるバラード』の舞台版を上演したのですね?

武田
そうです。台本も自分で書いて、私自身、母親役に扮して愚鈍な息子を叱咤激励しながら育てる役を演じました。

これが、演劇好きの中年女性を中心に大ウケしまして、全国の主要都市で巡業を重ねるほどのロングランになりました。数にすると、24日間で45公演くらい。

ところがね、これが想像以上にキツかったんです。舞台での声の出し方なんてわからないながら、精いっぱいやっているうちに声がつぶれ、最後のほうでは足腰も立たないほどの満身創痍でした。

同じ演技でも、テレビドラマで身につけた体験が、まったく役に立たなかったんです。

「敵」と「私」を消してしまえばいい

武田
ところが、こんなキツいことを平気でやって、しかも夜の公演を終えたら毎晩のように飲み歩いている男のウワサを聞いたんです。

それが、十八代目中村勘三郎、当時は勘九郎として活躍していた歌舞伎界の名優でした。なんでも深夜の2時まで遊んで、次の日の朝9時にはキチンと劇場に入っているというのです。

実は、彼とはテレビドラマで共演したことがありました。『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』というドラマで、私は坂本龍馬、勘九郎は主役の福沢諭吉を演じていました。

そのとき、勘九郎に「そんな演技、テレビじゃウケないよ」なんて先輩ヅラしてアドバイスしていた自分が思い出されて「アチャー」と思いました。

とにかく、世の中には自分より優れた役者がたくさんいて、このままでは武田鉄矢という役者は埋もれていってしまうのではないかという恐怖を感じたんです。

そこで、「学び」をイチから始めようとしたわけですね?

武田
そうです。このとき、大いに助けになったのが、内田樹さんの本です。

内田さんは、合気道について語った文章の中で「敵」をこう定義しています。
「私のパフォーマンスを低下されるもの」、「私を打ち倒そうとするもの」、「私の可動域を制限するもの」、「私の自由を損なうもの」、「私を恐れさせ、不安にするもの」などなど。

当然ながら、武道はそうした「敵」を排除するための術であるはずなんですが、合気道ではそうじゃないんだと内田さんは言います。「敵」と「私」が対立するのではなく、2人が対になり、同化的に動くことで、それぞれの身体能力を高めていくためのものなんだと。
要するに、「私」も「敵」も消してしまえというのですね。

そう考えて我が身を振り返ってみると、かつての自分の反省点がいろいろ見えてきました。その最たるものが、『金八先生』で生徒をアドリブでビンタしたときの自分です。まぶたから血を出さんばかりにまなじりをつり上げ、全身を力ませて「目立ちたいっ!」という気持ちを外に出しているようにしか見えませんでした。

とにかく、そんな風にして、それまで積み上げてきた技術とか知識を解体して、「私」をイチから書き換えていく一人勉強の日々が始まったのです。

黄門様を演じて、「老い」が「商売」になった

2017年、鉄矢さんは『水戸黄門』のシリーズ6代目の黄門様を演じられますが、これは自身初の「老人役」だったのではないですか?

武田
そうです。下世話な言い方をすれば、「老い」を初めて商売の道具に使うチャンスでした。

黄門様というのは、長い歴史の中で理想のリーダーというキャラクターができあがっていましたが、あえて人間くさく、「老い」の醜さやズルさを出した表現を監督に提案して、演じさせてもらいました。

実際、内田樹さんもこう言っています。
「老い」は心身のパフォーマンスを低下させるものだが、だからといって「老い」を「敵」ととらえ、健康増進とアンチ・エイジングなどの武器を使って闘おうとしても勝てるはずがない。なぜなら、生きている「私」自身を「敵」にしてしまうからだ。唯一の手段は、「老い」を「敵」にせず、「私の構成要素の一つ」と考えることだ、と。

黄門様を通じて、「老い」を「商売」に変えたことで、私は内田さんの言うことをうまく理解できたと思っています。ただし、その学びは今も続いていますし、「これで正解」というところにたどりつくことはないでしょうね。

「死」は「無」とイコールではない

61歳のときには、心臓の手術もされました。鉄矢さんは自らの「死」についてはどう考えていますか?

武田
もう70歳を過ぎていますから、「死」はすぐそばにあるものとして考えています。

よく、ピンピンコロリが理想だといいますが、「死」が何をきっかけにして起こるかはわからないので望み通りにいくとは限りません。自分ではコントロールできないのが「死」というものの本質でしょう

そこで思い出されるのが、いまだ健在な女房のお母さんの「死ぬためには、死ぬ元気も必要だからね」という名言です。

どんなに人生にくたびれていても、最後に死ぬ元気だけはとっておけというわけです。
その言葉を聞いて、司馬遼太郎さんの歴史小説に描かれた、数々の登場人物たちの死に様が浮かんできました。

白馬にまたがり、「新撰組副隊長、土方」と名乗りをあげて新政府軍に真正面から突っ込んでいった土方歳三。
中岡慎太郎とともに暴徒の刃を受け、中岡の傷を心配しながら自身は「脳をやられた。いかん」といさぎよく人生を切り上げた坂本竜馬。
関ヶ原の合戦で石田三成の参謀をつとめ、最後に「ああ、幸せな一生」と言って敵軍に突っ込んでいった島左近。

みんながそれぞれ、「死ぬ元気」を持っている人たちなんですね。
司馬さんの手によって歴史に残された彼らは、生命として死んではいても、作品の中で活き活きとして活躍しています。「死」は「無」とイコールではないんですね。

そう考えて日々を過ごすことが、「死ぬ元気」をたくわえておく秘訣のように感じております。

興味深いお話、ありがとうございました。

武田鉄矢・著『老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート』

老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート書影
  • 著者:武田 鉄矢
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日:2020年11月20日
  • 定価:本体935円(税込)

「教える」イメージの強い武田鉄矢は、誰よりも「学ぶ」ことが好きだった。
老いが身近になったとき、学びは新たな境地に――
「老いの峠道、途上です。ますます「問い」は増えてゆきます。(中略)よすがになるやもと思った文章を抜き書き、控えて……何やら人生の難問を解く公式か、謎を掃い、鮮やかな極意でも見付からぬかと綴り続けた十冊ばかりの大学ノートです。皆様の何かのお役に立てばと思い、そのノートの中の出来事を文章にしてみました」

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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