かっこよい人

適当男・高田純次に聞く!【前編】団塊世代のオレの人生は、挫折から始まった

2008年にダイヤモンド社から発売され、ベストセラーとなった高田純次さんの『適当日記』が、16年のときを経て『最後の適当日記(仮)』としてよみがえった!
1年間で起こった出来事を、「めんどくさい」、「何があったか忘れた」と愚痴りながらも周囲にうながされて書きあげた傑作、かつ爆笑の日記文学だ。
2024年1月で御年77歳の喜寿をむかえた高田さんだが、この日記を読むと、その「適当男」っぷりは、ますます冴えわたっているようだ。
そんな高田さんに聞いてみよう。年をとってもかっこよく生きる方法について。
読めば誰もが元気になる痛快インタビューだ!

記事は前編と後編に分けて公開します。

高田純次(たかだ・じゅんじ)
1947年1月21日、東京・調布市生まれ。1968年に東京デザイナー学院卒業。1972年、自由劇場の研究生になり、翌年、イッセー尾形らと劇団を結成するも1年足らずで解散。宝石の卸会社に就職して、3年半のサラリーマン生活を送る。1977年、劇団「東京乾電池」に入団。1987年、グロンサンのCM「5時から男」でブレイク。2015年にはテレビ朝日系「じゅん散歩」開始。特にCMでは「CMの帝王」などといわれるほど、数多くのCMに起用されている。
目次

「適当男」のルーツは、まさかの「神童」だった!?

日本一の「適当男」というキャッチフレーズでおなじみの高田さんですが、幼少期は「神童」と呼ばれるほど優秀な子だったそうですね?

高田
間違いないね。「神童」といっても、ぶるぶる震えるほうの「振動」とは違うからね。

とにかく明るくて、クラスのみんなを笑わせるような子どもだったみたい。成績も小学校、中学校と、どちらも悪くはなかった。

ところがオレは、1947年、昭和22年の生まれでしょ? 団塊の世代の一期生にあたる年で、戦争から生き延びた親世代の人たちが「産めよ殖やせよ」って焚きつけられてセッセと子作りに励んだものだから、競争相手がたくさんいたの。だからオレは、「団塊の世代」と言おうとすると、ときどき「男根の世代」って言い間違えちゃうんだ。どうも、下品でごめんなさいね。

『最後の適当日記(仮)』にも、ビートたけしさんを筆頭にして、歌手の森進一さん、教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さん、怪談の名手である稲川淳二さんと同じ年であることを書かれていますね?

高田
稲川さんとは下の名前も同じ「ジュンジ」だから、オレも怖い話のひとつやふたつはできると思うよ。まぁ、でも、オバケと会ったことは一度もないから無理かもしれないけど。

団塊の世代で周囲に競争相手が多いということで、どうなりましたか?

高田
小学校と中学校までは「神童」だったんだけど、高校と大学の受験は、いずれも志望校に入れなくて、挫折しちゃった。大学受験では一浪して再挑戦して、それでも入れてもらえなかったんだから、三度の挫折だよ。

まったく勉強しなかったわけではないから、結局のところ、紙一重で試験に出ないところばかりを覚えちゃったんだな。まったくオレって、運がないねぇ。

今とは違って、いい大学に進学して、いい会社に就職して出世するのが幸せな人生のレールとして、唯一の道だった時代。その時代にレールからはじかれてしまったショックは大きいよ。オレの曲がりくねった邪道の人生は、そこから始まったと言っても過言ではないね。

演劇の情熱に燃えるも、わずか2年で鎮火。
宝石デザイナーになったが……

挫折を経験したからこそ、25歳のとき、自由劇場の「マクベス」の公演で感動して、演劇の道に進んだわけですね?

高田
そうそう。その自由劇場が研究生のオーディションをやっているのがわかって、それに受かったときはうれしかったね。人生で初めて「合格」の通知をもらったわけだから。そのとき、すでに一緒に住んでた女房に頼んでお赤飯炊いてもらったもん。

だけどさ、あとで聞いたらそのオーディションに受かったのが30人で、落ちたのが4人しかいなかったんだって。しかも、オレも本当は落とされるはずだったんだけど、29人じゃキリが悪いって、お情けで入れてもらえたらしいんだよね。

その後、研究生仲間として出会ったイッセー尾形さんと劇団活動をしていた高田さんですが、1年たらずで辞めて、宝石会社に就職します。何があったんですか?

高田
女房と同棲していたことはさっきも言ったけど、同棲から入籍に進んだことが大きいよね。

女房は日舞の師範免状を持っていて、踊りを教えたり、ブティックの店員のバイトをしてくれていたので生活できないわけではなかったけど、いつまでもそんなヒモみたいな立場に甘んじているわけにはいかない、自分の力でちゃんと生活していかなきゃいけないと思ったんだね。そういう、真っ当な一面がオレにもあるのよ。

イッセー尾形さんとやっていた劇団もオレには高尚すぎて、肌が合わなかったということもあったしね。

宝石会社では、けっこう稼いでいたようですね。

高田
実際、働いてみたら変に欲が出てちゃってね。なんだかんだ言いながらも必死こいて働いたから、けっこう稼いだよ。会社も景気よくて、ボーナスが年に3回もあってね。4年後に会社を辞めるときには200万円くらいの貯金があった。

会社を辞めた理由は、もう、
「魔がさした」としか言いようがないね

せっかく就職した会社を、なぜ辞めてしまったんですか?

高田
人間、貯金ができたりして生活が安定してくると、魔がさす瞬間というのがやってくるみたい。

その年、夏休みで2週間の休みをもらったので、前から狙ってた受付の女の子を飲みに誘ったの。新宿の「ボルガ」という居酒屋。

なぜその店にしたかというと、そこは演劇関係者がよく出入りしている店だったから、会社の上司とか取引先の人と鉢合わせになるようなことはないと思ったから。

確かに会社関係の人とは会わなかったけど、そこでマズい相手と出会っちゃったんだ。
自由劇場の研究生仲間で、劇団東京乾電池を起ちあげたばかりのエモっちゃん(柄本明)とベンガル。あとから文学座の研究生になったヤツも参加してきて、演劇について、熱く語り始めたんだ。

こっちは4年も演劇から離れていたから、その会話に入ろうにも入れる余地はない。だから、途中で「じゃあ、サヨナラ」って席を立てばよかったんだけど、数カ月後に公演を控えてる彼らから「今の乾電池には高田が必要なんだ。一緒にやらないか」と口説かれてね。

当時、長女が生まれて1歳になるころだったから、その誘いに乗るなんてのは馬鹿げた選択だよね。だから、「魔がさした」としか言いようがない。

それにしても、会社を辞めるというのは、かなり大きな決断だったんじゃないですか?

高田
頭の片隅に「200万円の貯金」の存在があって、これを頭金にしてマンションでも買おうかと女房と話したりしてたんだけど、それを生活費にあてれば、しばらくはやっていけるだろうと考えた。

ただね、それがまったくの誤算だったの。というのも、会社勤めで毎日、家と会社を行き来するだけだと、特別なことをしない限り、そんなにカネを使うことはない。交通費とかは経費で落ちるからね。その一方で定職を持たず、あっちへフラフラ、こっちへフラフラという生活だとやたらとカネが飛んでいくんだ。

結局、頼りにしていた200万円の貯金は1年足らずでなくなって、工事現場で働く、肉体派フリーターになるしかなかった。それが、30歳のときだね。

水道工事で経験した、恐怖の「生き埋め事件」

会社を辞めてからは、どんな生活になるんですか?

高田
劇団の稽古が昼の12時から夕方の6時まであって、そのあと7時から翌朝の6時までがフリータータイム。工事現場でみっちり働いて、そのあと家に帰って3~4時間ばかり寝て、また昼の稽古にむかうという生活。

キツいことはキツいんだけど、体力があったから何とかやっていけた。

そんなオレでも、さすがに「これは無理だ」と思うこともあったよ。それが、水道工事の現場で遭った「生き埋め事件」。

い、生き埋めとは、物騒な話ですね……。

高田
目黒の美空ひばりさんの豪邸の近くで、水道管を通す穴を掘っていたんだ。ツルハシで5メートルくらいの深い穴を。

掘りだした土は、板で止めて崩れないようにしていた。確か、「山止め」っていったかな。ところが、その日は前日に雨が降っていたせいもあって土砂が重くなっていたんだね。

いきなり、ドサッという音がして、目の前が真っ暗になった。オレは入り口のところを掘ってたから、もがいてるうちに外に出られたんだけど、奥のほうを掘ってたおっさんはまだ埋まってるんだよ。

人が埋まってるんだからツルハシを使うわけにはいかない。両手を血だらけにして、必死に土砂を掻きだしておっさんを助けたよ。

かなりヘビーな体験ですね。

高田
さすがのオレも、こんな危険な仕事はやってられないって思ったよ。それで、エモっちゃんに紹介してもらって大道具の仕事に鞍替えしたの。

劇場やテレビ局で舞台を設営する仕事なんだけど、工事現場の仕事と比べて圧倒的にラクだった。

でも、困ったのは年末の時期で、番組の収録とか興行がイッキに少なくなるから全然稼げなくなるの。こっちは2日もバイトをやらないと、たちまち家族が干上がっちゃうようなギリギリの生活だったから、キャバレーのボーイの仕事を臨時でやることにしたんです。

水商売のほうは、逆に年末になると時給が高くなるんだよね。

大きな夢も目標も持たない。だからこそ、
当時は楽しかったし充実していた

接客業だと、肉体的にはさらにラクな仕事になりますね?

高田
ただね、精神的にはラクでもなかったよ。

だって、31歳のオレが20歳そこそこのヘッドに「高田、こっち来い」とか「バカ野郎、走れ!」なんてアゴで使われるわけだからさ。それでブーたれて、一緒に働いてた劇団仲間と外の非常階段のところでビール飲んだりしてたね。

そんなある日、オレが宝石デザイナーしてたころに取引していた下請け会社の社長が店にやって来てしまったんだ。

実は、会社を辞めたとき、辞表に「一身上の都合で」って書いたんだけど、オレ、けっこうできる社員だったから、まわりからは他の宝石会社に引き抜かれたんだと思われてたらしいのよ。

だからその社長に「あれ、高田さん。こんなところで何してるんですか」って聞かれたときは返す言葉がなかったね。見ればわかるだろって言いたかったよ。こっちは白いワイシャツ着て、お盆持って床に片膝ついてるんだからさ。

結局、むこうもそんなオレの姿を見て居づらくなっちゃったらしくてさ、1時間そこらで帰っていったよね。

とにかくこの時期、そんなバイトを4~50種類はやったんじゃないかな。

かなり過酷な下積み時代だったようですね。

高田
ところが当時のオレ自身には、「下積み」という意識はないのよ。だって下積みというのは、これをしのげばいい生活が待っているとか、いつか日の当たるときがくるとか、そういうゴールが想定できるから下積みって言うんでしょ? だけど、当時のオレは、そういうことをいっさい思わなかった。

要するに、大きな夢は見ない、目標みたいなものも立てないってこと。ただ、目の前のことをシコシコと懸命にやるだけ。だから毎日が楽しかったし、充実していたと思う。つらいとか、演劇を辞めようなんて思ったことは、一度もなかったね。

興味深いお話、ありがとうございます。後編のインタビューでは、そんな高田さんがテレビの世界に進出して「5時から男」としてブレイクした話、そこから転じて「適当男」と呼ばれるようになったいきさつなどについてお話をうかがっていきたいと思います。


後編記事はこちら→ 高田純次に聞く!【後編】「5時から男」から「適当男」に至る、行き当たりばったり人生論

 

テキトー本の決定版!!
『最後の適当日記(仮)』
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  • 著者: 高田純次
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日:2024年1月17日
  • 定価:1,430円(税込)

売れてももう本当にこれが最後の本だよ。
すごい売れたら考えるけど。

高田純次、最終章。
喜寿を目前とした1年間の日記をベースに、過去の人生を語るのか、語らないのか。
付録にデビュー以来出演歴をまとめた「全仕事」も!

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=八木虎造

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