かっこよい人

海とともにある人生。62歳から海に潜り続ける、澤征子さんの煌く物語

ひとたび潜ればそこは異世界。

日常の喧騒から離れ、海の生き物や、色とりどりの珊瑚礁を楽しむことができるスポーツ・スキューバダイビング。

今回お話をしてくれるのは、澤征子さん・83歳。62歳でダイビングを始め、今まで海に潜ってきた回数は約700本にものぼります。20年ものあいだ海に潜り続けるそのエネルギーは、どこから湧き上がってくるのでしょうか?

海の魅力、そして澤さんと海をつなぐ不思議な人生の縁について、お伺いしていきます。

澤征子(さわせいこ)
1939年生まれ。
62歳でダイビングを始める。ダイビングスクール・ミッドサマーで、仲間とともに今でも海に潜り続けている。
現在83歳。
目次

戦争の歴史と今までの出会いを映す、海という場所

澤さんがダイビングを始めたのは、62歳のときだそうですが、始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

澤さん
あるとき友達とフィリピンに遊びに行ったんです。海に行って、浅瀬でパシャパシャ遊んでいたら、「せっかくなら潜ってみな。景色が全然違うよ」と、ある人に声をかけられたんです。後で知りましたが、その方は伊豆で活動されている写真家さんだったそうです。その何気ない一言がきっかけで、今となってはもう20年、海に潜り続けています。

もともと私はシュノーケリングをやっていたので、水には慣れていました。でもボンベを背負って潜るなんて考えたこともなかったので、その一言がなければダイビングは始めていなかったでしょう。何が人生を変えるきっかけになるのか、わからないものですよね。ずっと上から覗いていた海の世界を、下から初めて見上げてみたときの景色は、今でも忘れることはできません。

澤さんは、もともと海がお好きだったんですね。

澤さん
父が南洋の島で、ゴム園を経営していたんです。小さいころから南洋の島のお話を聞かされて育ったので、海への憧れは昔からありました。幼いながらに、いつか私もいろんな島に行ってみたいと思っていましたね。

また、4歳のころにとある水兵さんと出会ったのですが、その方との出会いも、私の人生に大きく影響しています。その水兵さんは、南太平洋で戦死してしまったと聞きましたが、海に潜り続けていたらどこかできっと会えるんじゃないかと、今でも心の中で想いながら潜っていますね。

その水兵さんとは、どのような出会いだったのでしょうか?

澤さん
昔は、戦地に赴く兵士さんに日用品を詰めて送る「慰問袋」というものがありました。その慰問袋を通じて、その水兵さんとは出会ったんです。幼い私の面倒をよく見てくださって、肩車をしながら横須賀や江ノ島など、いろんなところで思い出を作りました。

以前、ジープ島にダイビングをしに行く機会があったんですけど、潜ったときに水兵さんたちが行進している様子が、頭の中にふと浮かんだんです。海では綺麗な魚や珊瑚礁など、キラキラしたものをたくさん見ることができます。でも私は戦前に生きた人間なので、どうしても現地の歴史や、亡くなった方たちのことも考えてしまうんです。幼いころ出会った水兵さんは、今でもどこかで、私のことを見守ってくれているんじゃないかと思っています。

モルディブに行ったとき。そして初めて南洋の島に行ったときの2つのお守り

病気に打ち勝つエネルギーをもらった、友との絆。

シュノーケリングは自然を相手にするスポーツですよね。体力は辛かったりしないのですか?

澤さん
たしかにボンベを背負ったり、潮の流れが強いときは岩山にしがみついたり、体力を使うところはあるのですが、それ以上に得るものがたくさんあるので、海に行くことは私の人生の生きがいになっています。入らなくても海に行くだけで、気持ちが安らぎ、慰めになるんです。

澤さんは、海から生きるエネルギーをもらっているんですね。

澤さん
闘病をしていたときにも、海で出会った仲間に支えられて克服しました。私は今から15年ほど前、病気を患っていて、お医者さんに生存率は40%だと言われました。治療の副作用で全部髪が抜け落ちてしまっていたのですが、それでも海に行きたくて、帽子をかぶって海に出ていましたね。

ダイビングを始めて知り合った仲間からも、闘病中は「頑張れよ」といったメールをくれて、とても励まされました。入院をしているときも、今まで行った海の写真をたくさん並べて毎日眺めていましたね。精神的にも、ずいぶん友達に助けられました。そのときはすでに主人は亡くなっていたので、海の友達との絆があって、今があると思っています。

多くのものを乗り越え今があるのは、海とそこで出会った仲間のおかげなんですね。

澤さん
あとは、ずっと私のそばについてくださっているインストラクターの力も大きいです。そのインストラクターの方は、主人が亡くなったときも、闘病中のときも、常に私のそばにいて支えてくれていました。その方がいたから今も安心して、私は海に潜ることができるんです。

ダイビングだからこそ深い絆でつながる、海と人生の縁

澤さんと仲間の、絆の強さを感じます。

澤さん
ダイビングを始めたばかりのころは、今ほど同世代はいなかったんです。でも少しずつ同じ世代の仲間も増えて、安心しています。自分と同じ世代のみんなの笑顔を見ると、私もエネルギーをもらえるんです。海に行かないで、集まるだけでも元気が湧いてきます。年を重ねるにつれて耳は遠くなるし、集まればおしゃべりばかりしているし、面倒を見ている方は大変だと思いますけどね(笑)。

海ではない場所でも、みなさんとは集まっていたりするんですか?

澤さん
集まっていますよ。通っているダイビングスクールで週に1回トレーニングがあるので、その場所に行くと仲間が集まっていたりします。トレーニング半分、みんなとワイワイしに行く気持ち半分で、通っていますね。

トレーニングは、具体的にどんなところを鍛えているんですか?

澤さん
筋トレというよりかは、どちらかというと体幹を鍛えるのが目的です。ダイビングはボンベが重たいので、それを背負って泳げるような体幹、あとは転倒防止のために、股関節周りのトレーニングを中心に行っています。あとは体に加えてメンタルを鍛えるという意味でもトレーニングをしています。体も心も元気になるために、少しずつ努力していますね。

トレーニングも、みんなと一緒にやれば楽しいものへと変わりますね。

澤さん
トレーニングも海も、友達と行くから楽しいんです。1人でいたら、どこかで気持ちの糸がプツッと切れて、諦めていたと思います。あまりにも友達といるのが楽しくて、島に到着しても友達との会話がなかなか止まず、「海は?」なんて言われたりしちゃいます(笑)。それ以外にも年越しや誕生日、お正月なんかも集まっていますね。「三婆会」というのがあるんですけど、そのメンバーではよくお酒を飲んでいます。

澤さんと海とのつながり、そして周りの友達とのつながりが、日々を前向きに生きていく根源になっているんですね。

澤さん
この記事がきっかけで、何か新しいことに私も挑戦してみようと思ってくれる人がいたらいいなと思います。一緒にいる友人がいなかったら、今の私も健康な体も、なかったと思っていますよ。

また、少し大袈裟かもしれませんがダイビングは音楽やお芝居と違って、命がかかっているスポーツです。一緒に潜る仲間とも、信頼し合い、深いつながりを持っている人同士でないと、楽しんで潜ることはできません。いつどこで危険な目に遭うのかわからないので。でも、だからこそ普通の友達以上の関係を築ける趣味なんだと思います。

信頼の上に成り立っている趣味ですよね。澤さんのこれからの目標はありますか?

澤さん
これからも海とはどんなかたちであったとしても、つながっていたいと思います。もし潜れなくなってしまっても、海に行くだけで力をもらえるので、海は私の人生には切っても切り離せません。もちろん友達と一緒に行きたいです。私と多くのものをつなげてくれた海に行き続けることが、私の生きがいですね。また今度、80代3人と70代のお友達で沖縄に行くんです。今はそれが楽しみでワクワクしています!

そう言ってかわいい笑顔を見せてくれた澤さん。海のおかげで多くの人とつながったとお話していましたが、人との縁を大切にし続けている澤さんだからこそ、明るくいつまでもワクワクすることのできる人生を送れているのだと感じました。私もこれからも広がっていく人との縁を大切に、生きていこうと思います。澤さんありがとうございました!

ダイビングスクール ミッドサマー

神奈川県横浜市のダイビングスクール「ミッドサマー」

学生ダイバーから80代のダイバー! ひぃーおばあちゃんダイバーまで集まる思いっきり楽しいダイビングスクールです。

取材・文=はるまきもえ

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