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ロバート・ハリス「いくつになっても自分探しをしていい」〜ラジオから送るプレミアム世代へのエール

「プレミアム世代」とは、ラジオで洋楽を聴きながら青春時代をおくった現在60〜75歳くらいのシニア世代のことをいう。

90年代にラジオDJとして数々の番組を担当し、現在もDJ・作家として活動を続けているロバート・ハリスさんは今年73歳になるプレミアム世代だ。

4月からInterFM897でスタートしたプレミアム世代向けの文化情報発信番組「Otona no Radio Alexandria」のDJを担当し、軽妙な語り口からの含蓄の深いトークと、毎回さまざまな分野で活躍中のゲストを招き話を聞くコーナーが人気となっている。

DJという「しゃべる・発信する・対話する」仕事には、常に好奇心を持ち新しいことを受け入れる柔軟さと、人に対してオープンマインドであることが求められる。どうしたらそのような瑞々しい心をいつまでも持っていられるのだろうか。今回はハリス氏にその秘訣をたっぷり語っていただいた。

ロバート・ハリス
1948年横浜生まれ。 上智大学卒業後、1972年日本を後にし、東南アジアを放浪。
バリ島に1年間滞在後、オーストラリアに渡り1989年までの16年間滞在。 シドニーで書店&画廊「EXILES」を経営。
香港で映画やテレビ制作に携わった後に日本に帰国。その後はラジオDJや作家としても活躍。『エグザイルス』『人生100のリスト』『JJ 横浜ダイアリーズ』(講談社)など著書多数。
目次

ラジオ番組「Otona no Radio Alexandria」

毎週月〜金曜日11:00〜13:24にInterFM897で放送中のラジオ番組「Otona no Radio Alexandria」でDJをつとめるロバート・ハリスさん。2時間半の生放送終了後にもかかわらず、疲れた様子をまったく見せず笑顔でインタビューに答えてくれた。

インターFM897「Otona no Radio Alexandria」

ラジオ番組【Otona no Radio Alexandria(大人のラジオ アレクサンドリア)】ですが、まずなぜタイトルが「アレクサンドリア」なのでしょうか?

ハリス
【アレクサンドリア】とは、古代エジプトとギリシアという異なる文化が交流し新しい文明が生まれた都市の名です。番組のテーマが「大人のための文化情報発信」なのでそこから名付けました。毎回ゲストをお呼びして話を聴く【MUSEION】というコーナーがありますが、それも当時アレクサンドリアにあった図書館の名前なんですよ。

世界を旅してきたハリスさんならではなネーミングですね。番組は4月からスタートしたということですが反響はいかがですか?リスナーはどのような方が多いのでしょうか?

ハリス
番組は【プレミアム世代】といわれるだいたい60歳〜75歳くらいの人たちを対象としています。でもいただくメールを見ると40〜50代やもっと若い方もいますね。最近は地方から上京した20歳の女子大生から「聴いていると安心していられる」という声をいただきました。

僕らの世代はもう仕事を引退して第二第三の人生を歩いている人が多い。そんな彼らの知的好奇心が刺激されるようなこと、これからの生き方のヒントになるようなことを懐かしい音楽と共に発信しています。
音楽は洋邦バランスよくかけていますが、洋楽が少し多めかな。リスナーの多くは深夜ラジオでワールドミュージックを聴き、海外のライフスタイルに憧れて育った世代ですから。
毎日のように励ましや応援のメールを頂きすごく嬉しいですね。

なるほど、一般的にシニア世代は演歌が好きというイメージがありましたが、そういうステレオタイプなシニア像はそろそろ更新しないといけませんね。

ハリス
69歳の女性から「もっとニール・ヤングかけてよ!」なんてリクエストも来ますよ。「おお!俺の仲間だな!」と思ったり(笑)
日本の曲もかけますが、僕は70〜80年代は日本にいなかったので懐かしさというより新鮮な発見があります。

大学卒業後、就職せず海外に出た理由

経歴を拝見すると、お祖父様がイギリス人でハリスさんは横浜生まれの横浜育ち。大学在学中にアメリカへ留学し卒業後は東南アジアなどを放浪後、シドニーに16年住んでいたとのことですが、まずなぜ日本を出ようと思ったのでしょうか?

ハリス
当時、将来どうするか考えて「やりたくないこと」をノートに書き出したら、

  • 満員電車に乗りたくない
  • スーツ着てネクタイ締めたくない
  • 嫌いな上司にヘイコラしたくない

だったので、僕は日本でサラリーマンになるのは絶対ムリだと思いました(笑)

日本は高度成長期でサラリーマンが量産された時代でしたが、同時に世界では若者を中心に【ヒッピー】という既成の社会体制と価値観から自由になろうというムーブメントが起きていました。
僕はアメリカで見た「イージー・ライダー」という映画に感化されて、映画館を出てすぐ靴を捨てて、ヒッピーショップに行ってサンダルとバンダナを買ったんです(笑)
ヒッピーになって世界を旅しようと決め、もう帰らないつもりで日本を出ました。1972年のことで僕は24歳でした。
バックパックでインド、中東、ギリシャ、東南アジアと旅してバリ島に1年、その後オーストラリアのシドニーに渡りました。

旅の間はどうやって生計を立てていたのですか?

ハリス
いろいろです。本屋の店員から庭師、セラピストもやりました。

僕は作家になることと自分のブックショップを開くのが夢だったので、書店でしばらく働いたあとシドニーに「エグザイルス」という、2階を画廊にしたボヘミアンなブックショップを開きました。

僕は横浜生まれで今も横浜に住んでいますが、シドニーって港があって坂があって外国人が多くて横浜に似てるんですよね。気がついたら16年住んでいました。
本屋を締めたあとは日本語の字幕を作る映画製作の仕事に声をかけられて香港に行き、1989年に日本に帰国しました。

ラジオDJ、そして作家になったきっかけ

ハリス
帰国後、日本はバブルが弾けて不景気になり僕も映画の仕事がなくなった時に、音楽業界の友人に「J-WAVEでDJのオーディションあるから行ってみれば?」と誘われたので、行ってみたら受かっちゃったんです。

でも未経験でいきなりできる仕事ではないですよね。これまでに経験があったのですか?ご自分で声が良いという自覚があったとか?

ハリス
それはありました(笑)
オーストラリアに居た頃、映像の仕事で日本語のナレーションをしていた時に「いい声ですね」とよく褒められたので(笑)でもまさかDJになるとは思ってなかったです。
そこで「ハリスさんの声や話し方は深夜に向いてるね」と言われて、真夜中の1時から3時までの深夜番組を担当することになりました。
深夜にラジオを聴いている人は意外と多くて、彼らからたくさんのメッセージが届くようになって、それが楽しくてラジオの仕事にハマっていきました。

声の良さだけではなくきっとハリスさんの語りもおもしろかったのですね。
ハリスさんは著書もいくつか出されていますが、作家としての活動はいつ頃からはじまったのですか?

ハリス
番組で僕はよく自分の体験談を話していましたが、それがきっかけで編集者の人から「おもしろいから自伝を書いてみないか?」と言われました。でも僕はヘミングウェイみたいな英語で書く作家になりたかったので日本語で書いたことがなかったんです。そこで日本の現代小説、村上龍とか村上春樹とか山田詠美とか読みまくって2年掛けて「エグザイルス(1997年講談社刊)」という自叙伝を書きあげました。

「エグザイルス」

それがロングセラーになって、そこからエッセイや紀行文などを書きはじめて今18冊目かな?

世界を旅した経験からいろんなテーマで書けそうですね

ハリス
書くことのネタには困らないですね。今も毎日この番組で書かされています(笑)大変なの!でも楽しんで書いています。

世代やバックグラウンドの違いで人を分けずに心を開いて対話をする

ハリスさんのホームページを拝見すると、ハリスさんは「対話」をとても大事にしていると感じます。(※ロバート・ハリス公式ホームページでは会員制の対話型コミュニティを運営している)
ラジオでもリスナーのメッセージひとつひとつに丁寧に返事をしていますよね。

ハリス
やっぱり僕は人が大好きなんです。旅をしていると人との関わりが大切なことを学ぶし、あと海外だと言葉が通じないことがたくさんあるけれど、わりと僕は会話がうまくできなくても関係がつながるように持っていけるタイプなんですね。

だからラジオでも僕からの一方通行ではなくリスナーから届くたくさんのメッセージを読んで返事をするし、ゲストへのインタビューの枠も大切にしています。

常にオープンマインドなのですね。ハリスさんと同世代の方では、自分より若い人と話をする時どうしてもお説教っぽくなってしまい「対話」があまり上手じゃない方が多い気がします。なぜそうなってしまうと思いますか?

ハリス
うーん、だんだん凝り固まってくるんでしょうね、自分のエゴが。心細いんでしょうね。だから自分の思っていることを人に押し付けてしまう。僕は説教臭い人間が嫌いだから僕のパーティでそういうことやってる奴が居たら友達でも殴りに行きます(笑)
僕には若い友達もいますが、なにか相談された時にはいろいろ話すけど基本放っておきますね。

ハリスさんは海外生活が長かった分、日本社会でずっと働いてきた同世代との間で話が合わないと思うことがありますか? 考え方に共通点を見つけるのは難しいですか?

ハリス
それが全然難しく感じないんですよ。僕はどんなにバックグラウンドが違う人と話していても共通点を見つけられます。
確かに僕の世代はめんどくさい奴も多いけど、今でも小学校からずっと一緒の友達と毎月5人位で会いますが、僕は自分が話すのも好きだけど彼らの話を聴くのも好きですね。

20歳のリスナーから「聴いていると安心していられる」というメッセージをもらったという話がありましたが、ハリスさんから彼らの世代はどの様に見えますか?

ハリス
今の若者は僕らの頃より繊細で優しい子が多いです。長引く不況のせいで考え方が保守的になってしまっている。バカができない時代なんですよね。それでも若い時しかできない冒険もあるから、小さく縮こまらずにもう少し勇気を出して、もう一歩外に踏み出してほしいですね。

若い人が自分たちよりずっと年上の人の話をフラットに聴くことができる。ラジオはどんな世代の人でも送り手と対等な立場で「聴く」ことができるメディアですね。

ハリス
ラジオは素晴らしいメディアです。耳で聴くメディアの人気が今また盛り返しているそうですよ。僕はできるだけ自然体で、あいまいな表現はしないで本音で話しています。今はコロナもあって気が滅入ることが多いけれど、この2時間半は聴いている人にとにかく楽しんでもらいたい。楽しい時間を演出したいです。

僕が今ハッピーなのは好きなことをやってきたから

ハリスさんの「人を楽しませたい」というエネルギーはどこから来るのでしょうか?

ハリス
娘にも言われたことがあります。「パパはなんでいつもハッピーなの?」って。きっとそれはずっと自分がやりたいことをやってきたからかもしれない。もちろん痛い目にもたくさん遭いましたよ。
本屋も結局は潰れたんですけど、破産管財人に目の前でカード切られながら「これもおもしろい経験だな、いつか書いてやるぞ!」と思っていました。
僕はもともと物書きになりたかったから、失敗しても「ネタになる」と思ってしまう。危険かな?と思ってもおもしろい方に行ってしまう。石橋を叩かないで渡るタイプですね。

旅でも仕事でも興味を持ったことに対してパッと動ける行動力がすごいですね。

ハリス
よく人に「旅に出る前に何を準備すればいいですか?」と聞かれますが、そんなこと考える前に僕は旅立っていました。

ここは母親に似ましたね。医者でしたがなかなかクレイジーな人でした。大正生まれの女性が世界を旅してヨルダンで水タバコを吸っていましたから(笑)祖父はイギリス人で、会ったことはないけれどギャンブラーで女好きだったそうです。逆に親父は真面目な人間で、子どものころはなにか悪いことすると「おじいちゃんみたいになるぞ!」と叱られました。

おじいさんの世代から海外に縁があったわけですね。世界を旅するには語学力も必要ですがハリスさんは英語で育ったのですか?

ハリス
いや僕は日本生まれなので日本語で育ちました。小学校で父親の母校のインターナショナルスクールに入れられて、最初は英語が話せなくて苦労したけどハーフの女の子と付き合うようになったら上達しました(笑)
僕は3回結婚しているけど、最初の奥さんはアメリカ人で2番目の奥さんはオーストラリア人でした。

3回ですか!

ハリス
女性関係に疲れてしばらく女性と関わるのはやめようと日記に書いたその日に出会ったのが今の奥さんで彼女は日本人です。会った瞬間この人と結婚したい!と思って半年後には結婚していました。それぞれ違うタイプの女性だけど3人とも出会って半年後に結婚しています(笑)

3人ともちゃんと自分の奥さんにしているのがすごいですね。狙った女性を落とす秘訣があるのでしょうか?

ハリス
その辺りの話は「WOMEN ウィメン: ぼくが愛した女性たちの話」というエッセイで書いているのでぜひ読んでください(笑)
過去に出会った女性たちのことを書いていますが、書いている時に今の奥さんが「私はすべてを受け入れているわけではない」と機嫌が悪くなったので、これはヤバいと思って最終章では奥さんをべた褒めしています。そしたらなかなか良い本だと言われました(笑)

「WOMEN ウィメン: ぼくが愛した女性たちの話」

「いくつになっても自分探しをしていい」

キネヅカの読者はシニア世代とその子どもにあたる40代が多いのですが、この世代は日々忙しい人が多くて、高齢化していく親に対して心配しつつも細かく気を配ることがなかなかできない悩みがあります。親に老け込まずにいてもらうために子どもからできる良いアドバイスはありますか?

ハリス
40代はいま一番大変。バブルには乗り遅れて、氷河期もあって、上からも下からも締め付けが強くて自分たちがまず疲れている。
だから親世代だけではなく彼らにも言えるけれど、疲れや老け込みを感じたら自分のやりたいこともう一回自分に問い直してみるのがいいんじゃないかな。

今はコロナで難しいけどやはり旅をするのがいい。若者が泊まるような安宿に泊まって彼らの話を聴くのもいい。
僕はいくつになっても自分探しをしていいと思っています。自分が自然体で居られる生き方を模索して欲しいですね。
エネルギーがいることだけど、72歳の僕だってやっているのだからできないことはないです。
歳を取ったからといってレイジー(怠惰)になる言い訳は通用しないです。

ヒッピーのことを小説に残したい

ありがとうございます。最後にハリスさんが今後やりたいことがあれば教えて頂けますか?

ハリス
小説を書きたいです。
1960年代の終わりから70年代にかけてのサンフランシスコのフラワームーブメントのことを書きたいです。ヒッピーの若者は文学をあまり信用していなくて、旅とか宗教体験にインナートリップしていたので当時のことはあまり文章で書き残されてないんです。
今の若い人たちはヒッピーを知らない。僕はそれをリアルに体験した作家として当時の雰囲気とか若者の思いを小説で表現したいです。
今はラジオが忙しくてなかなか書く時間がないけど、エネルギーが残っているうちにね(笑)


インタビューを終えて

終始やさしい笑顔で質問に答えてくれたハリスさん、「人生を楽しむ」を自ら実践し周囲にも注ぐあたたかい心を感じました。

インターネットでも「ClubHouse」などの音声コンテンツが注目され、いま再評価されている「聴くメディア」の代表格がラジオです。
ラジオにはネットができそうでできなかった、肉声が持つ実在感からの良質でフラットなコミュニティをつくる力があるのでしょう。
自宅にいる時間が長くなった昨今、憂鬱なニュースの多いテレビを消してラジオを聴いてみませんか?
最後にキネヅカ読者のみなさんにハリスさんおすすめ映画を3本教えていただきました。

  • ニュー・シネマ・パラダイス(1989年)
    シチリアの小さな村を舞台に映写技師と少年の心あたたまる交流を描いた不朽の名作。※ハリスさんはこの村に行ったことがあるそうです。
  • 最高の人生の見つけ方(2007年)
    ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンによる人間ドラマ。余命宣告された二人が人生最後の旅に出る話。
  • パイレーツ・ロック(2009年)
    ラジオでロックを流すことが禁止された60年代のイギリスで、船からロックを流し続けた「海賊ラジオ局」のDJたちの実話ベースの群像劇。

ラジオ番組「Otona no Radio Alexandria」

ロバート・ハリスが送る、プレミアム世代へ向けた文化情報発信番組。

文=大関留美子
撮影=納谷 陽平

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
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