かっこよい人

【ファッションデザイナー佐藤治子さん“madameH” インタビュー】
30代から74歳の現在まで猪突猛進!

2011年に始めたブログ「madame Hのバラ色の人生」が月間約100 万PVと話題になり、4冊の著書を発表。2018年には自身のブランド「madameH CLOSET」を立ち上げている。約50年に渡ってアパレルデザイナーとして活躍し、自分らしいおしゃれやライフスタイルを発信している74歳、佐藤治子さん。通称“マダムH”。人生をバラ色にするコツ、美しい還暦を迎えるための過ごし方を伺った。

佐藤治子
約50年にわたり、アクアスキュータムをはじめとするアパレルブランドのデザイナーとして活躍。60歳を過ぎてからブログ「madameHのバラ色の人生」を立ち上げ、たちまち月間80万ページビューを誇る人気ブログに。2018年、満を持して自身のブランド「madameH CLOSET」をスタート。 『普通の服をはっとするほどキレイに着る』(宝島社)ほか、おしゃれや旅をテーマとした著書も出版。今春デビューの新ブランド「Everyday Shirts by MHC」のデザインも手がける。
目次
自身のブランド「madameH CLOSET」の服を着て。
カーディガン 35,200円、半袖プルオーバー 27,500円、レザースカート 105,600円

ネガティブ封じから名付けた“バラ色の人生”

60歳を過ぎてからもブログやサロン、ブランド立ち上げと、年齢を重ねても、常に新しいことを手掛けているように感じます。これは心掛けているのでしょうか?

マダムH
私、けっこう、運命論者なんですよ。流されるまま。いつも流れに身を任せて。あまり流れに逆らわない。その代わり、来たものも拒まずにきました。本を出したのはブログが注目されてお誘いがあったから。

ブログを始めたのは、震災のすぐあとですね。都心にいても気持ちが暗くなってしまって、今の自分の思いを形に残しておきたいと思って始めました。その年に始めた、価値ある服を再生させるお直しサロン「REMODE(リモデ)」の宣伝も兼ねていました。

震災の年に始めたブログの名前が「madame Hのバラ色の人生」。エディット・ピアフの『La Vie En Rose』が好きなのもあるけど、“バラ色の人生”と名前の付いたブログならネガティブなことを書けなくなるから、そう名付けました。ブログの読者は40代、50代、60代。「年を取ったらマダムみたいになりたい」と言われることがありますが、私は大きな努力はしてきていないんです。

「読むとエネルギーをもらえる」というブログのファンもいます。ご自身がエネルギーをもらっているものはなんでしょうか?

マダムH
それは仕事ですね。もの作りです。50年以上もの作りに携わっているので、それを取り上げられたら、もうダメですね。仕事は生活の糧ではもちろんあるのだけれど、いいものを、いい生地を使って作って、無駄な搾取もなくダイレクトにオンラインショップでお客様に提供できる今がいちばんいいですね!

体力が落ちてきたら、知力とお金を使って

現役でずっとキャリアを重ねてきたマダムに40代はどう映りますか?

マダムH
子育て世代はアウトソーシングすべきだと思います。疲れているならなおさら。子どもが小さいうちはお給料を全部つぎ込むくらいでもいい。一時期のことですから。もったいないと思うかもしれないけれど、そこで仕事を辞めてしまうほうがもったいない。

今はイクメンがブームですがやっぱり追いつかない。土日は家事をやったりせず、プロにまかせて子どもにと向かい合ったらと思います。アウトソーシングにお金を使うことに働いている意味がないと言う方が多いけど、仕事を辞めちゃうと戻ってもポジションがないですからね、今。2人で働いているなら、そこをケチらずに使えばいいのにと思います。その方が気持ちも変わるし、夫婦仲もうまくいくし。

私は10数年間シングルマザーとして子育て時代、できるものはすべてアウトソーシングしてきました。生活は大変でしたけど、なるべく週末は子どもと向き合う時間を持っていました。体力が落ちてきたら、40代は知力とお金を活かしてうまく生きてみては。50代はね、もう、がむしゃらに働く! 一番ノリノリな世代ですよ。私は人生で50代がいちばん素晴らしかったと思います。キャリアも30年以上重ねて、自信も付いて。定年からの生き方を50代のうちに考えておくといいと思います。

“還暦”。還はかえる、ひとめぐりという
言葉通り、外見に出ます

60代は? 定年退職をしたり、区切りの世代になりますが。

マダムH
もし60代で枯れているとすれば、そういう夫にする奥さんの責任なんですよね。パートナーだから。何かあったときに助けるのが、相手に責任を持つのが結婚ですよ。
還暦離婚なんていうのも、40代50代の夫婦のあり方が大事ですよね。両方働いていたら疲れちゃうのは当然。お互いが忙しいと夫婦の時間は作れないし、余裕も生まれないから、アウトソーシングしてでも作るべきですよね。夫婦の時間って本当に大切!
還暦ってそれまでの生き方が現れますよね。それまでのんべんだらりと過ごしてきたら、外見もただのおばあさんになってしまいますよね。

マダムにとって60歳はどんな年でしたか?

マダムH
波乱万丈の始まりでしたね。すべての悪いことが全部起こったような年でした。夫がくも膜下出血で倒れて、ほぼ1年間仕事を辞めて看病していました。精神的にも経済的にも厳しかったですね。そんな生活が2~3年続きましたね。でも、意外と元気というか、乗り越えて。
そのときは眠れないほど悩んで、ご飯も食べられなくてやせてしまいましたけど。でも、こんなに大変なのに病気にならない私ってなに?って。私がうつ病などにならなかったのは、「乗り越えてみせるぜい!」という気持ちだったのかもしれません。

生活スタイルも変わった。「よく働きよく遊ぶ」をモットーに、旅行では、夏のバカンスでめいっぱい贅沢をしていた旅好きのマダムも、ひと部屋1万円2ベッドルームのチェンマイに家族旅行に行くように。ほかにどんな変化が?

マダムH
仕事柄、ブランド物に囲まれた生活から、広げていた生活を半分くらいコンパクトにしました。生活の質や規模って、自由自在に縮めたり広げたりできるものなんです。ケチケチしているわけでなく、求めるものが変わりましたね。リーズナブルな旅行も、やってみたら楽しくて!それを記事にしたらブログ読者がさらに増えていきました。

明日はわからない、だからこそ
30代からずっーと全力投球!

イノシシ年生まれらしく、脇目も振らず、まっすぐ前を向いて一直線!
その姿勢はぶれていない。マダムのこれからは?

マダムH
韓国の同世代の女優さんのインタビューに感銘を受けたんですけど、これから先どういう生き方をしたいですかって聞かれたら、その年になってみなくっちゃわからないって。わからないんですよ、人生って。こうしようって思っても、何が起きるかわからない。こんなに元気だって明日はわからない。
30代のときにこういう75歳って想像もしていなかった。夢は先に置いたとしても、30代の人が想像できるのは来年くらい。人生設計したって崩れるのが普通なんです。30代のころから柔道一直線! そういう生き方しかできないんだなって。それが私の元気の素なのかなって思いますね。

還暦を過ぎてなお、輝き続けるのに大切なものは?

マダムH
仕事、そして友達に恵まれていること。仕事関係はひとりもいなくて、すべてブログで知り合った下の世代なの。同世代の友だちはいない。いちばん話が合うのが50代。話が合う友だちが大切ですね。
あと、何かあったとき、自分のプライオリティ・優先順位を頭の中で10項目くらい書き出すようにしているの。今なら、夫のことを一番大事にしていてフォローしています。一日の中で優先順位を決めておいて、やることをやって、あとは自分の時間を作っています。
大変だったときに、五木寛之さんが何かに書いていた“小さな恵まれていることを10項目書き出す”というのもやっています。本当に小さいことでいいの。指をけがしたときに普段この指を使えていることがラッキーなんだなとか。

マダムにとって魅力的な女性とは?

マダムH
すごく元気で長生きしていること自体がこんなに難しいものだと思わなかったの。私より若い友だちが乳がんで亡くなったりね。仕事をしている、していない関係なく、85歳くらいで健康で長生きしている人をひたすら尊敬しますね。本当、奇跡だと思います。ただの年寄りだと思ったら、ぜんぜん違いますよね。

「madameH CLOSET」 代々木上原本店。オンラインショップで販売中のアイテムを試着できる、予約制の試着サロンになっています。「madameH CLOSET」ブログあるいはマダムHの「madameHのバラ色の人生」ブログにて営業時間を確認してください。
22年4月15日にスタートしたシャツ専門ブランド「Everyday Shirt by MHC」のシャツ
左26,400円、右25,300円

パワーをもらえるお話、ありがとうございました!

構成・文/木村美穂
撮影/鈴木潤一(キネヅカ編集部)

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