『情熱大陸』の声を続けて20年以上 “伝える”ことを考え続けたナレーター・窪田等の人生に迫る

ドキュメンタリー番組『情熱大陸』(MBS)。そのナレーターを20年以上務めているのが、窪田等氏だ。“あの声”は、誰もが頭のなかで再生できるほど記憶に深く刻まれているだろう。ほかにも、任天堂のテレビCMや『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)、ドラマや映画、バラエティ番組など、挙げたら切りがないほど、窪田氏の声は電波に乗って、世界の至るところに届いている。
今回は、そんな窪田氏の人生についてインタビュー。いまもなお、“伝える”ことを考え続けている、プロフェッショナルな生き様を教えてもらった。
- 窪田等(くぼたひとし)
1951年生まれ。シグマ・セブン所属。
会社員として働きながら、ナレーターの養成講座に通う。
その後はナレーターとして、『情熱大陸』(MBS)を始め、あらゆるテレビ番組やドラマ、CMで活躍。
2020年からはYouTubeチャンネル「窪田等の世界」を開設。
サラリーマンから未知の世界に飛び込む

窪田さんが、ナレーターを知ったきっかけについて教えてください。
窪田等(以下、窪田)
幼いころから、声というものに興味がありました。ある日スーパーマーケットに素敵な声が流れていて、そこには「ナレーター」という文字があったんです。顔を出さずに、声1本で説明をするという仕事に憧れました。アナウンサーとも違うし、芝居をするのとも違う。声だけで伝えていくということに、興味を持ったんです。
高校では放送部に入りました。当時3年生だった先輩が、とてもいい声でクラブ紹介のナレーションをしていたんです。包み込むような、いままでに聞いたことのないような声でした。
昔から声に興味を持っていたのですね。高校を卒業してからは、そのままナレーターの道に進んだのですか?
窪田
技術系の学校に通っていたので、卒業してからは大型無線機の調整の仕事に就きました。製造業だったのですが、仕事は楽しかったですよ。不満があったわけでもなかったし、真面目に働いていました。
そこから、なぜナレーターの道へ?

窪田
電車に乗っているとき、たまたま「CMナレーター養成講座」の中吊り広告が目に入ったんです。その広告との出会いをきっかけに、またナレーターへの憧れが湧き出てきて、通うことに決めました。ただ、もちろん仕事が第1優先です。働きながら、週3回講座に通っていました。
会社員をしながら、ナレーターの勉強もしていたんですね。
窪田
僕みたいに、何も知らないで外から勉強しに来た人はいませんでしたね(笑)。みんなアナウンサー志望や役者志望など、華やかな雰囲気の人が多くて。僕は会社で働いていましたので時間管理や上下関係などがある程度染み付いていたのですが、周りはもっと自由にしていて、違和感というか「部外者だなぁ」と思っていましたね(笑)。
教室のなかでも、窪田さんは珍しい存在だったのかもしれませんね。
窪田
そうですね。でもありがたいことに、そこから少しずつ仕事をいただくことになって。会社に勤めながらもナレーターの仕事があるときは調整して、仕事とナレーター業を両立していました。でも、いよいよこれ以上会社を休むわけにはいかないとなってしまって。そのときに、「会社を辞めよう」と思ったんです。
安定した生活を手放すことに、不安はなかったんですか?
窪田
不安はありましたよ。でもいまと違って世のなかは景気がよかったですし、「まあなんとかなるだろう」と思っていました。会社を辞めた次の日の朝のことは、いまでもよく覚えています。1日何もしなくていい開放感と、少しの不安。不思議な気持ちでしたね。
でも、会社を辞めて1か月もしないうちに、友達からアルバイトに誘われたんです。しかもそのアルバイト先というのが、あるテレビ局の下請けの印刷所だったんです。番組制作に必要な台本などを印刷するところですね。そこならナレーターとまったく関係ないわけでもないし、条件も合致したので、そこで働くことになりました。だから収入に対する不安は、意外とすぐなくなったんです。

不思議な縁というか、かなりラッキーなタイミングですね。
窪田
ラッキーなのはそれだけじゃないんですよ。そこでアルバイトをしていたら、以前CMの仕事を教えていただいた先輩と、たまたま再会したんです。その方はディレクターとして実力のある方で、僕をナイター中継のスポットCMに起用してくれたんです。本当は違う方が担当する予定だったんですけど、その方は緊張してうまくいかなかったようで。そしたらそのディレクターの方が「窪田を出しとけば。あいつ心臓に毛が生えてるから」って推薦してくれたんです(笑)。そこからですね。だんだんナレーターとしての仕事が増えるようになりました。
ナレーター人生を変えた、城達也氏の存在

「心臓に毛が生えてるから」と先輩に紹介されたようですが、窪田さんはあまり緊張はしないタイプなんでしょうか?
窪田
いえ、実はすごく緊張する方です。気がちっちゃくてね。以前も朗読のイベントに出たのですが、舞台袖で足が震えてました。でも、お客さんの前に出ると、もうやるしかないじゃないですか。そこまでいくといいんですけどね、それまではどうも緊張します(笑)。
窪田さんほどのベテランの方でも、緊張する機会があることに驚きです。
窪田
ありますよ! 4、5年前に、『OTOBUTAI』(MBS)というコンサートにナレーターとして出演したことがあったんです。前日にリハーサルをしているときに、「せっかく窪田さんが出るなら、舞台の先頭で読んだら?」と言われ、急遽お客さんの前に登場することになりました。本当は“陰ナレ”といって、姿を現す予定ではなかったんですけどね。しかもテストをする時間がないと。

ぶっつけ本番ってことですか? 聞いてる私がお腹痛くなってきました……(笑)。
窪田
「え、テストやらない? ライトは?」と、あのときは焦りましたね(笑)。文章を覚えているわけではないので、ライトがないと一巻の終わりです。そしたら「なんとかなるよ」って照明部さんが言うんですよ(笑)。そして本番が来て立ち上がり、「さあ、ここで明かりが来なければ僕の人生は終わり」と思いながら、出ていきました。そしたら、パッと明かりがついたんです。そこからは心地いいだけ。やはり裏方のプロの方はすごいですね……。何かを作り上げるときは、みんなの力が合わさって成り立つものだと、そのとき改めて実感しました。
窪田さんは、緊張をほぐすために何かしていることはありますか?
窪田
何度も読むことです。そうして不安を押し込めています。とくにお客さんの前で読み上げるときは、緊張感を押し殺すためにブツブツ、ひとりで読んでいますよ。
『OTOBUTAI』のエピソードも驚きでしたが、これまで行ってきた仕事のなかで印象的だったものはありますか?

窪田
『F1グランプリ』(フジテレビ)ですね。もともと城達也さんがナレーターをしていた番組だったのですが、その代わりに僕が担当することになったんです。そのときの依頼は「城達也さんそっくりに読んでくれない?」というものでした。
そうなんですか!? そんな依頼があるんですね。
窪田
ディレクターさんは「窪田ならやってくれる」と思っていたそうです。僕も面白くなってね。そっくりな声でやってやろうじゃないかと引き受けました。
でも違う人間の声を出すことは不可能なので、当時は悩みました。まずは、城さんの声をひたすら聞いたんです。最初、城さんは朗々とした語りだと思っていたのですが、聞き込んでいくと、自分が思っていた以上に声を張っているんですよね。あとは、驚くほど“間”をとっていることにも気づきました。
間というのは、非常に取るのが怖いんですよ。言葉を溜めている瞬間、聞いている方はハラハラします。でも気持ちでつなげると、間が空いても違和感なく聞くことができるんですよ。情感を保ったまま、むしろ情緒溢れる雰囲気を出すことができます。
完璧に同じ声を出すのは無理ですが、できるだけ完成度を上げるために何度も聞きました。そしたら、僕なりのナレーションがなんとなく掴めてきたんです。それが正解かどうかはわからないのですが、自分なりの“かたち”のようなものが確立されたんですよね。
窪田さんとしても、成長するタイミングになった出来事だったのですね。

窪田
そうですね。僕には師匠という存在はいないのですが、城さんは燦然と輝くような人でした。憧れの存在でもあったし、そんな方のあとを引き継ぐプレッシャーもありました。僕には城さんのような世界観を出せるほどの技量はない。でも自分のやり方で、なんとかやってみるしかない。スタッフさんももしかしたら「微妙に違う」と感じていたかもしれませんが、一応オッケーはもらって、だんだんと番組が僕の雰囲気へと移行していきました。そのときに、自分のなかで、“自由度の枠”が広がったように感じましたね。
ほかにも、成長を感じたタイミングはありましたか?
窪田
そうですね……。28歳ぐらいのころです。それまではCMの短い文章を読む仕事が多かったのですが、時代が変化するにつれて、商品紹介やテレビ番組など、長い文章を読む仕事が増えてきたんです。それまでは「新商品!」とか「新発売!」など、ずっと1行、2行の世界で生きてきたので、長い文章なんて読めなかったんですよ。
でも、もうこれからは短い文章の仕事が少なくなってくるなと感じたんです。いままでやったことがなくても、できるようにならなければいけないときだと思いました。
長い文章はどうやって練習を?
窪田
日常生活のなかで新聞や広告など、見かけた文章をとにかく読んで、長い文章を読むことに慣れるようにしました。文章の流れに身を任せられたら、だんだん読めるようになってきて、仕事も徐々に安定してきました。あのときはとにかく一生懸命だったのですが、当時の努力は、いまの仕事にかなりつながっていますね。
『F1グランプリ』のお話もそうでしたが、窪田さんは仕事をあまり取捨選択するタイプではないのですね。
窪田
ナレーターの仕事であれば、とにかく来たらやる。僕が受けることで喜ばれるなら受けようと思っています。ただ司会とか、講演とか、台本のない仕事は苦手ですね……(笑)。文章を読むという仕事であれば、どんな仕事でも受ける姿勢でいます。
情熱大陸は「価値観を決めてくれた」
窪田さんにとって『情熱大陸』はどんな番組ですか?
窪田
仕事の価値観を決めてくれた番組ですよね。『情熱大陸』はナレーションの温度感が絶妙なんです。人の人生について語っていく番組なのですが、僕は出演していただいた方と視聴者のちょうどあいだに立って、淡々とその方の人生を語ります。仰々しくてもいけないし、持ち上げすぎてもいけないんです。
距離感を掴むのが難しそうですね。

窪田
あくまでその方のリアルな人生を伝えなければいけないですからね。誇張してはいけないのですが、「この人はまだこれからも頑張っていくよ」という気持ちは伝えないといけない。その表現についても悩みますよね。
たとえば、紹介する人がその世界の3番手だとします。その場合、「見えている頂点はすぐそこだ」と語ってしまうと、2番手の人に失礼ですよね。だから「頂点がやっと見えた」くらいの表現にしようか。など、プロデューサーさんと都度伝え方を考えています。でもこの寄せすぎないスタンスが、この番組の本質であり、魅力的なところなんです。
話し方だけではなく、文章も制作陣と一緒に考えているんですね。
窪田
そうですね。僕が映像を見て文章に違和感を感じたら、言い回しや表現方法をプロデューサーに相談しています。いつも僕は、この放送を初めてみる視聴者の目線を忘れないようにしています。ナレーションというのは番組の最後の工程ですから。制作陣から一歩引いた視点は大事なのかなと感じています。

まさに、視聴者と橋渡しをするポジションなのですね。窪田さんは『情熱大陸』を筆頭にさまざまなお仕事をされてきたかと思いますが、ナレーターをやっていてよかったと感じた瞬間はありますか?
窪田
『ヒーリングステーション』(ラジオ日本)というラジオ番組を担当していたときがありました。音楽に乗せて詩を語るという内容なのですが、その番組宛にリスナーから手紙が届いたんです。そこには「死ぬのをやめました」と書いてありました。失恋をして、仕事もうまくいかず、嫌になって家に帰ってきて、ふとラジオで僕の声を聴いたそうです。そしたら「ほっとした」「生きてみようかな、もう少し頑張ってみようかな」と思っていただいたそうです。
その瞬間、僕は人のためになることをやっていると実感することができました。正直、普段は放送を流しっぱなしで、誰かの役に立っているかどうかなんてわからないんです。視聴率や聴衆率などの数字は見ることができますけどね。でも、そういった声をもらえたということは、僕らの番組がその方に寄り添うことができた、ということなのかなと思えたんです。それがこの仕事をやっててよかったと感じた体験でした。やってて意味があったんだと感じましたね。
窪田さんは2020年からYouTubeチャンネルも開設していますよね。なぜYouTubeを始めたのでしょうか?
窪田
きっかけはコロナです。昔、東日本大震災のときに映像作家さんに協力していただいて、作品を作ったことがあったんです。声を商売にしている者として、何か役に立てることがないかと思って。だからコロナ禍になったときも、何かできないかと思ったんです。それで、物語を語ってYouTubeで流したらいいじゃないかということになり始めました。

窪田
コロナ禍ということもあり、動画はリモートで作ることになりました。普段はスタジオで録音をするのですが、大人数が集まってはいけなかったので自宅で録音をしたんです。僕は自宅で録音をして、ノイズを取るところまで行い、その音源をミキサーさんに送ります。
自宅で録音されていたとは、驚きです。
窪田
ひとりで判断するというのはこんなにも難しいことなのかと、初めて気づきました。わからなくなってくるんですよね、これが正解なのかが。ひとりで判断するのは怖いですよ(笑)。
いつもは誰かが判断してくれますから。そのとき、チームで作る仕事の良さをそのとき実感しました。でも、視聴者の方からコメントでダイレクトに反応をいただけるのは面白いですね。ネットならではのつながりですし、僕も励まされます。
ただ、YouTubeはあくまで趣味の段階なので。いい意味で仕事とは思っていないので、あるがままで最善を目指そうというスタンスで発信をしています。仕事としてやってしまうと、完璧にしなければいけないという責任感が出てきてしまいますから、それはやりたくないんですよね。
仕事とは別の棲み分けをしているんですね。
窪田
そうですね。YouTubeは仕事とまた少し違った感覚で続けています。でも、ナレーターの仕事もまだまだ僕には弱点があるなと感じています。やりたいことや改善したいところは、自分のなかでたくさんあるんですよ。若い子の声を聞いて「ああ、いいよな」と感じたり、自分なりに語り方の補正をしたりもします。やっぱり好きなんですよね、この仕事が。それしかない。僕はナレーターの仕事を、依頼が来る限り続けていきたいですね。

“伝える”仕事というのは、思っている以上に世のなかに溢れている。映像を通して、音楽を通して、文字を通して、声を通して、誰かに何かを伝える。
どれだけ伝えたいのか、どうやったらもっと伝わるのかを考え抜いた人の想いほど、世のなかには伝わっていく。だからこそ、窪田さんの声はこれほどの人たちの心に伝わるのだろう。人と人をつなげるナレーターという仕事。その伝えるための努力は、日常を生きる私たちにとっても大切な考え方かもしれない。
誰かに何かを伝えるとき、どれだけ伝えたいのか、どうやったらもっと伝わるのか、毎日の生活のなかでもちょっとだけ考えてみよう。人と人は、伝えるからこそつながっていくのだから。
窪田等さんインフォメーション
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