かっこよい人

内多勝康インタビュー【後編】「仕事」を「生きがい」にする方法

医療の進歩により、子どもの死亡率は劇的に下がったが、それと反比例して退院後も引き続き、さまざまな医療処置が必要な子ども(医療的ケア児)が増えている。
そして、わが子の命がかかったケアを、医療のプロではない家族が365日背負っているという現実がある。
国立成育医療研究センターが開設したもみじの家は、そうした医療的ケア児とその家族が万全な医療体制のもと、最長9泊10日まで滞在することができる医療型短期入所施設である。
後編のインタビューでは、30年勤務したNHKを離れ、第二の職場としてこの場を選んだ内多勝康さんの奮闘の様子を語ってもらおう。

前編記事はこちら→内多勝康インタビュー【前編】僕が人生後半の52歳でNHKからの転職を決意した理由

内多勝康(うちだ・かつやす)
1963年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局。2016年3月に退職し、同年4月より国立成育医療研究センターが運営する「もみじの家」ハウスマネージャーに就任した。2021年8月からは世田谷区医療的ケア相談支援センターHi・na・taのセンター長兼広報担当を兼任している。


「もみじの家」とは?
小児や周産期医療をになう、日本最大の医療研究センターである国立成育医療研究センターが、2016年4月に開設した医療型短期入所施設。人工呼吸器や胃ろうなど、生きるために医療的なケアを必要とする子ども(医療的ケア児)とその家族が万全な医療体制のもと、最長9泊10日まで滞在できる障害福祉サービスを提供している。ボランティアや障害者雇用を積極的に取り入れ、社会とのつながりが希薄になりがちな子どもと家族を、地域と関わることができるように支援している。
もみじの家WEBサイト

目次

転職先で受けた
「毎日がガラガラ」という洗礼

もみじの家が開所したのは、2016年4月25日。ところが『53歳の新人』(新潮社)を読んでみると、順調なスタートではなかったそうですね?

内多
ええ、そうなんです。もみじの家の子ども用ベッドは全部で11床あるんですが、スタート直後は定員3人と、少人数に抑えていたんです。
スタッフのほとんどは医療のプロたちですが、医療的ケア児を「医療」ではなく、「福祉」の枠組みでサービスを提供するのは初めての経験でしたから、そういう環境に慣れてもらう期間が必要だと考えたからです。

ところが、定員の3人がなかなか埋まらないどころか、0人の日もけっこうありました。開設前に行ったヒアリングで、医療的ケア児を受け入れてくれる施設がなくて困っている家族が多くいて、短期入所のニーズが確実にあることはわかっていたんです。
それでも、オープンの翌月の5月は19日間、6月は14日間が宿泊ゼロという状態が続き、本当に大丈夫なんだろうかと心配になりました。

おそらく、それまで医療的ケア児の家族のみなさんは、支援を求めても、いろいろなところで拒絶されたり、いい扱いをされなかった経験を積み重ねてきたんだと思うんです。国立成育医療研究センターが開設した施設だからといって、また同じ思いをしたくない、という気持ちから「しばらく様子を見よう」という心理状態になっていることが想像されました。

ならば、利用してくれた方々と少しずつ信頼関係を作っていくしかありません。実際、クチコミの伝播力というのはすごいもので、「ここは看護師が24時間常駐しているので安心して預けられる」、「日中は保育士や介護福祉士がいて、子どもも楽しそう」という評判が広がって、受け入れの定員数も少しずつ増やしていける状況になっていきました。

赤字をどうやって埋めるか、
懸命になって考え、動いた

もみじの家のハウスマネージャーって、どんな仕事なんですか?

内多
大きく分けると、3つあります。

ひとつは、「事業に関わる計画立案やマネジメント」です。利用者数の推移を見通して、収支計画をまとめ、それを報告すること。パソコン中心の事務仕事で、慣れるまでにだいぶ時間がかかりました。

ふたつ目は、「広報」の仕事。ホームページの空床カレンダーを更新したり、ニュースレターやSNSを通じてもみじの家の情報を外部に発信する仕事です。

みっつ目は、「寄付や補助金の呼びかけ」です。
もみじの家は当初から赤字のスタートで、その後の運営も厳しいということはあらかじめわかっていました。それでも、寄付を募ったり、補助金などの公的制度を活用して持続可能なものにしていこう、というのが基本方針でした。そうすることで、ゆくゆくは全国に第二、第三のもみじの家を誕生させ、医療的ケア児とその家族たちが安心して暮らしていける社会を作っていこう、というのがもみじの家の理念とミッションだったからです。

寄付については、コツコツと呼びかけていった結果、2021年12月の時点で約1200人の方々が寄付を寄せてくれました。新型コロナウィルス感染拡大の影響で、2020年4月中旬からの2か月間、完全閉鎖になり、赤字が倍増しましたが、すべての支援者にSOSのお便りを出したところ、赤字を上まわる寄付が集まり、危機を脱することができました。

補助金については、解決のむずかしい悩みがありました。
もみじの家がある世田谷区では、すでに補助金制度が整っていました。区内の障害の重い子どもが短期入所施設を利用する際、補助金が支給される制度です。
ところがもみじの家の登録者の8割近くは、世田谷区外に住んでいる人たちですから、当然ですが、世田谷区から補助金を受けることができません。

そこで、世田谷区以外の自治体にも同様の補助金制度を作ってもらうよう、呼びかけることにしました。

自治体側にしてみれば、「よその自治体にある施設のために、どうして予算を確保しなければならないの?」と思うのではないですか?

内多
まったくその通りです。でも、やってみなければわからないじゃないかと、とにかく実行することにしました。
比較的利用者の多い自治体の役所を訪ねて、「世田谷区のような補助金制度をご検討いただけませんか」とお願いする陳情行脚を始めたのです。

当然ながら、「はい、わかりました」と、スムーズに事が運ぶケースはありませんでした。
「やっぱり、考えが甘かったか…」とあきらめかけていたとき、ビッグニュースが飛び込んできました。なんと、川崎市と横浜市の2自治体が、新たな補助金制度を作ってくれたのです。

やはり、何事も「やってみなければわからない」ものなんですね。最初からダメだとあきらめずにチャレンジすれば道が開かれることがある、そう思えた経験でした。

世田谷区以外の自治体のほかには、東京都の支援制度もあります。国が定める制度からの報酬にそれらの収入を加えて、現在は必要経費の8割以上を公的制度でまかなっています。

不可能を可能にした
「日中活動支援加算」の実現

寄付や補助金以外にも、さまざまな課題があったのではないですか?

内多
もみじの家では開設当初から、保育士と介護福祉士を中心に、遊びや学びのプログラムを提供する「日中活動」に力を入れてきました。
もみじの家は単なる宿泊施設ではなく、子どもと家族が自宅のようにリラックスして安心して過ごすことができる、「第二のわが家」を目指していたからです。

ですから親御さんたちからは、「もみじの家に預けると子どもは楽しそうだし、自宅では見せない表情まで見せてくれる」という、プラスの評価をいただき、「また利用したい」という方が増えていきました。

ところが残念なことに、その「日中活動」が、国が定める障害福祉サービス費の枠組みに入っていなかったのです。
つまり、どれだけ良質な保育を提供しても、報酬にならないということです。「日中活動」のために必要な人件費などの経費は、すべて施設の持ち出し。これでは、寄付に依存することなく、持続可能な運営をしていくという目標に近づくことはできません。

そこで、3年に1回行われる障害福祉サービス費の報酬改定の際、厚生労働省に提出する要望書の項目に「日中活動支援加算の新設」を加えることにしました。

もみじの家の開設以来、最初のチャンスがやってきたのが2018年度です。
ところがこの要望は通らず、見送られることになりました。
理由を聞いてみると、「エビデンスがない」ということがネックになったようです。要望の文言を連ねるだけでなく、日中活動での効果を科学的データとして示せ、というわけです。
そんな方法が思いつくはずもなく、頭を抱えてしまいました。

ところが、3年後の2021年度の報酬改定のチャンスには、調査研究を得意とするパートナーとの思いがけない出会いがあって、「日中活動が充実すると子どものQOLが上昇する」というエビデンスを示すことができました。調査の設計から実施、評価データの分析に至るまで、全面的に協力していただくことができたんです。

その結果、2021年度から「日中活動支援加算」が障害福祉サービス費として認められることになりました。
医療型短期入所施設の利用中の遊びや学びが充実すると、子どものQOLは向上する──。現場で働いている僕らにとって、それは自明のことでしたけど、改めて客観的なデータで示すことで、「報酬に値するサービスだ」との評価を得たのです。

これは、NHK時代にも感じていたことですが、不可能だろうと思えることも、人とのつながりの化学反応によって、それを可能にすることがある、ということを改めて感じました。

「家族会」の発足が
社会を動かす突破口に

もみじの家の開所から3年後の2019年3月、「東京都医療的ケア児者親の会」が発足しますが、どんないきさつがあったのですか?

内多
きっかけは、もみじの家を利用しているお母さんから「人工呼吸器が必要な子の親同士で意見交換をする場が欲しいですね」との意見を聞いて、6~7人の家族の方に声をかけてお茶会を開いたことでした。

以前からSNSでつながっている人たちもいましたが、普段は短期入所のために施設を出入りするだけですから、みなさん、ほとんどが初対面でした。
ただ、日ごろ苦労していることなど、共通の話題で盛りあがって、医療的ケア児がおかれている状況の問題点が浮かびあがってきました。

例えば、人工呼吸器が必要な子どもが学校に通学するとき、保護者による付き添いが必須の条件でした。たとえ学校に勤務する学校看護師がいても、東京都が定めるガイドラインでは人工呼吸器の管理をすることを認めていなかったからです。
つまり、人工呼吸器が必要な子どもの親が仕事を辞められない場合、子どもを通学させることができなかったのです。

東京都医療的ケア児者親の会は、「この状況を変えていきたい」という問題意識のもと、発足することになりました。ざっくばらんなお茶会として始めた交流会が、親の声を行政に届け、社会を動かす組織へと発展したのです。

「学校看護師が人工呼吸器の管理をできるようにして欲しい」との要望をまとめ、都知事と教育長に要望書を提出したのが、東京都医療的ケア児者親の会の発足から半年後の2019年8月のことです。

どんな反応が返ってきましたか?

内多
驚いたことに、早くも1か月後の9月の都議会で、事態は劇的に動きました。
教育長が答弁で「看護師を校内における人工呼吸器管理の実施者とする規定改正を行う」と明言してくれたのです。
つまり、人工呼吸器が必要な児童生徒でも、保護者の付き添いなしに子どもを通学させる道が開かれたのです。

やはり、こういうときに力を発揮するのは、当事者の声です。それがさらに「個人の意見」から「親の会の要望」となることで影響力が格段に大きくなることを実感しました。

家族会を結ぶ
全国ネットワークの構築へ

東京都医療的ケア児者親の会での成果を他の地域にも広げていこうとするのは、自然な流れだったのですね?

内多
そうですね。調べてみると、すでに一部の地域では県単位の家族会が積極的に活動しているケースがありましたが、ごく少数にとどまっていました。

でも、これをすべての都道府県で展開できれば、社会的インパクトのある全国的なうねりになるに違いない。そう考えて、全国を行脚して、医療的ケア児の家族会を組織化する計画を練りました。

どうすれば東北一周を効率よくまわれるかとか、中国四国地方を安くまわる方法など、具体的にシミュレーションすることから着手しましたが、そこで障壁になったのが新型コロナウィルスの感染拡大でした。

全国行脚の計画を立てたのは2021年の春とのこと。当時は緊急事態宣言をはじめ、まん延防止等重点措置が全国各地で布告されていて、自由に行き来することなど不可能な状態でしたね。

内多
そこで、やむなくZoomを使ったリモートミーティングに作戦を切り換えることにしました。

ただ、振り返ってみると、かえってそれがよかったのかもしれません。県単位の関係者に一か所に集まってもらうには、会場の確保や交通費などの経費がかかります。参加者にとっても移動手段を確保する手間に加えて、子どもの体調次第で参加できなくなるリスクもあります。

でも、Zoomなら日程調整だけすれば、自宅でも参加できるので手間もわずか、お金もかかりません。こちら側としても、自ら足を運ぶ必要がないので、多くのミーティングをこなせるという利点があります。
実際、多いときは週に4か所というペースでミーティングを実施することができました。

こうして2019年9月、ミーティングを始めて5か月足らずで、全国のキーマンたちとのZoom懇親会を開催することができました。医療的ケアに関わる47都道府県の「顔」がひとつにつながったことは感慨深く、なんだか信じられないような思いでした。

こうした活動が2022年3月27日の「​全国医療的ケアライン(通称・アイライン)」の発足へとつながるわけですね。アイラインとは、どんな組織なのでしょう?

内多
アイラインは、医療的ケアに関わる家族会が都道府県単位に会員登録するネットワークです。47都道府県の活動メンバーの総数は、2,595名になっています(2022年9月時点)。

個々の家族会は独立した組織で、アイラインと本部支部の関係にあるわけではありません。全国的な調査を実施する際は、アイラインから各都道府県の家族会に協力をお願いすることはありますが、アイラインのほうから一方的に指示を出すことはしません。それぞれの方針や考え方で活動しながら、ネットワークを活かして、日ごろは知る機会のない他の地域の制度や障害福祉サービスについて情報共有することもあります。

2022年9月18日には、アイラインの主催で「医療的ケア児支援法施行1年を祝い、私たちの思いを伝えよう」という全国フォーラムを開催することができました。

できることなら
「生涯現役」を目指したい

前編のインタビューで、内多さんには転職の動機について語っていただきました。一度は切り離した「仕事」と「生きがい」をつなげるための転職だったと。その目標は、達成されたと思いますか?

内多
ええ、もちろんです。

NHKでの仕事を振り返ってみると、放送は基本的にチームプレーでした。取材し構成する人、スタジオでゲスト相手に番組を進行する人、質の高い映像や音声を作り上げる人、全体を俯瞰で見て統括する人、それぞれが担っている責務をまっとうすることで番組という作品を高いレベルに仕上げていきます。

その一方、もみじの家のハウスマネージャーの仕事は、基本的にひとりプロジェクトです。広報戦略も、寄付の呼びかけも、行政への要望も、誰かが指示を出してくれるわけではなく、自分で方針を立て、実行していくことが求められます。

もちろん、しんどい面もありますが、ひとりでグイグイと仕事を進めていける感覚は、決して悪くありません。
「日中活動支援加算の実現」、「全国医療的ケアラインの誕生」といった、実際に社会が動いていく過程を目の当たりにするなんて、アナウンサー時代には考えられないことでした。

ところで、2022年4月18日で内多さんは59歳になりました。今後の人生設計について、どのように考えていますか?

内多
国立成育医療研究センターの職員規定を読むと、「60歳になった年度の年度末で定年」となっています。ということは、2024年3月末日で定年、ということになります。再雇用制度もあるので、どうなるかわかりませんけど、いずれにせよ、もみじの家で仕事をする期間は、そう長くないのは確かです。

その後は、すべての仕事から解放されて、悠々自適の日々を過ごそうか…、といっても、実はそういう生活を想像できないんです。
趣味という趣味を持たずにこれまで生きてきましたから、何もすることがなくなって困ってしまうのではないでしょうか。

幸いなことに、もみじの家以外にも仕事の場が広がっています。
2021年8月に開設された「世田谷区医療的ケア相談支援センター(通称・Hi・na・ta)」では、センター長兼広報の役割を担っています。

そうやって人から求められること、頼りにされることは僕にとって、大きな喜びにほかなりません。できることなら、知力、体力が許す限り、「現役」として働き続けていきたいですね。なぜなら、「何のために仕事をするのか」ということは僕にとって、「何のために生きるのか」ということとイコールなんですから。

興味深いお話、どうもありがとうございます。

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目次

  • 【第1章】小学校で送辞をしくじった少年はアナウンサーになった
    実はアナウンサー希望ではなかった
    イベントの司会が縁で企画提案――香川・高松放送局時代
    関西弁と大阪のノリにはまる――大阪放送局時代
    阪神・淡路大震災
    震災報道で変わった意識
    新たな世界を見せてくれた自閉症の青年
    ふてくされから資格取得を思い立つ――名古屋放送局時代
    47歳の専門学校新入生
    2回目の東京勤務が転職の引き金に
  • 【第2章】「仕事」と「生きがい」のバランス
    2012年、念願の東京へ
    「真ん中が内多さんの机ですよ」
    感銘を受けた言葉、「ソーシャルアクション」
    いよいよ、NHK退職を伝える日
    退職に迷いはなかったかとよく聞かれるけれど
  • 【第3章】53歳の新人はつらいよ
    夢のような転職先「もみじの家」
    まさかの急降下 その1:毎日ガラガラ
    まさかの急降下 その2:役に立たない
    居眠りをして怒られた!
    50を過ぎて怒られて思うこと
    広報担当として面目躍如
    ハウスマネージャーとは何をする仕事なのか
    避けて通れないお金の話
    一番の達成感を味わえた報酬改定
    大変さを知らなかったから思い切れたのかも
    根が図太い、アナウンサー精神でがんばる
    Hちゃんのグー、パー
    命に関わることを痛感する職場
  • 【第4章】新しい取り組みに挑戦して得た達成感
    もみじの家はどんなふうに利用されているのか
    僕の平均的な一日
    喋りは任せて! ――講演会のこと
    家族の声を一つに――医療的ケア家族会発足
    最初のテーマは「人工呼吸器での通学」
    家族会を全国組織へ
    人と人をつなぐ幸せ
    社会福祉士だからできること
    今の仕事はディレクターと似ている
  • 【終章】仕事とは何か?
    転職してよかったか?
    仕事が変わっても変わらないもの
    改めて僕にとって仕事とは何か

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=松谷祐増(TFK)

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