かっこよい人

プロダンサーSAMに聞く!【前編】
ダンスを「職業」として成立させる方法

2022年で結成30周年をむかえるTRFのSAMさんは、60歳の還暦を迎えても現役のトップダンサーとして活動しているばかりか、コンサートの振り付けをはじめ、構成、演出を手掛けるダンスクリエイターとして活躍している。
そんなSAMさんが数年前から学んできたというジェロンドロジー(老年学)の知識をもとに、年をとっても元気に生き続けるための指南書『いつまでも動ける。』(クロスメディア・パブリッシング)を上梓した。
人が老いていくことについて、彼はどのようにとらえているのだろうか? そんな問いを抱えて、まずはダンサーとして人生をスタートさせたころの話から振り返ってもらった。

インタビューは前編と後編に分けて公開します。

SAM
1993年、TRFのメンバーとしてメジャーデビュー。ダンスクリエイターとして、コンサートのステージ構成・演出をはじめ、多数のアーティストの振付、プロデュースを行う。近年は、自ら主宰するダンススタジオ「SOUL AND MOTION」にて後進のダンサー指導を行っている。2016年には一般社団法人ダレデモダンスを設立。誰もがダンスに親しみやすい環境を創出し、子供からシニアまで幅広い年代へのダンスの普及と、質の高い指導者を育成している。最近では、能楽の舞台にダンサーとして初めて出演した。
目次

プロになりたいと思った当時、
お手本になる人はいなかった

SAMさんはダンスを始めたとき、最初からプロのダンサーになろうと思っていたんですか?

SAM
僕がダンスに出会ったのは中学3年生のときなんですけど、最初は「プロになりたい」というより、「うまくなりたい。カッコいいダンサーになりたい」という気持ちのほうが先にありましたね。

もちろん、ボードヴィルの世界のタップダンサーとか、クラシックのバレエダンサーなど、当時からプロダンサーと呼ばれる人たちがいなかったわけではないけど、日本に上陸したばかりのブレイクダンスは、プロダンサーが登場するほどには定着してなかったんですね。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1978年7月に日本公開)でジョン・トラボルタが演じた主人公のトニーも、プロのダンサーではなくて、昼間はペンキ屋で働く青年でしたよね。

そんななかで、いつしか仲間たちと「オレたちはこの世界でプロダンサー第1号になろうぜ」と話すようになっていました。

それまで職業として成立したことのないジャンルで「プロ」になるのは、とてもむずかしいことですよね?

SAM
そうですね。僕の実家は、埼玉の岩槻藩の御典医に端を発する医者一族なんですけど、高校1年生のとき、「僕は医者にはならない。プロダンサーになる」と決意表明をしたんです。そのとき、「プロのダンサーって何だ?」と聞かれても、明確に「この人みたいになりたいんだ」と名指しでいえるような人はいませんでした。

親たちはそれでも想像を巡らせて、「ダンス教室を開いてインストラクターになりたいのか。ならば、アカデミックな演劇学校で基礎から学んだほうがいいんじゃないか」なんて提案してくれたりもしたんですが、「そうじゃないんだよなぁ」と思いながら、医者になるための勉強から解放されることを選択したんです。

ディスコブームの勢いに乗って
アイドルデビュー。ところが…

そんなSAMさんは高校卒業後、「全国ディスコ協会」が設立したプロのダンスチームにスカウトされて加入します。これは、大きな第一歩だったんじゃないですか?

SAM
それが、そんなに簡単な話ではないんです。

全国ディスコ協会というのは、勝本謙次という伝説の人物が作った団体で、全国の50店舗くらいのディスコにネットワークを持っていただけでなく、勝本さん本人が不良の元締めのような人でね。

当時、僕はダンサー仲間と「ミッキーマウス」というチームを組んでいたんですけど、ある日、新宿のディスコで踊っているとき、「お前ら、明日、原宿にある俺のアカデミーに来い」といわれたんです。
国士舘大学の応援団長と合気道部の部長をつとめていた武闘派の勝本さんの言葉にさからうわけにはいきません。その日から勝本さんの「スペースクラフト」というチームに加入して、言われるままに全国のディスコをまわって踊る日々が始まりました。

それで、バイトをせずにダンスだけで食べていけるようになったんですか?

SAM
いや、さすがにそれはむずかしかったですね。勝本さんも、ダンスだけでは厳しいと思ったのか、「お前らのなかで歌がうたえるヤツはいないのか」と言い出して、いつの間にか「CHAMP」という4人組のアイドルグループとしてデビューすることになったんです。勝本さんとしては当時、人気を誇っていた「フォー・リーブス」みたいなアイドルグループをイメージしていたと思うんですけど、僕自身はその活動と併行して、ディスコのホール係のバイトもしていました。

しかも、運の悪いことにデビューが決まった直後、当時の社会問題にもなった「歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」が起こるんです。10代のディスコでナンパされた2人の少女が行方不明になって、そのうち1人が死体になって見つかるという凄惨な事件です。

その影響で、シングルデビューの歌詞に「ディスコで朝まで踊り明かす」みたいなフレーズがあって、A面とB面を入り替えなければならなくなって。

おまけに僕は、歌舞伎町の交番で捕まって、2時間も職務質問をされたんです。警察が作った犯人のモンタージュ写真が確かに僕にそっくりの風体で、友だちに協力してもらったりして事件当日のアリバイを証明しなければなりませんでした。

とにかく、この事件をきっかけに風営法が大幅改正され、ディスコの営業が深夜0時に制限されたりして、当時のディスコブームはいっきに下火になっていくんです。当然、ディスコシーンからデビューしたアイドルなどが受け入れられるはずもなく、「CAMP」から「リフラフ」とグループ名を変えて再デビューしても、パッとしない結果に終わりました。

単身ニューヨークに渡り
本場のダンサーたちと腕を競う

その後、「プロダンサーへの道」はどうなっていくんですか?

SAM
もともと歌をやりたかったわけではないので、アイドルとして華々しくデビューできなかったことについては、そんなに落ち込んだりはしませんでした。「辞めさせてください」と言っても、引き留める人はほとんどいなかったしね。

ただ、「これからどうしていくんだ」と聞かれて「ニューヨークに行って、ダンスをイチから学びなおしにいきます」と言ったときは、「バックダンサーに後戻りして、どうするんだ」って、多くの人に呆れられました。僕の周囲にいる人たちでさえ、ダンサーといえば歌手の後ろでただ踊っているだけの引き立て役というイメージしか持っていなかったんですね。

でも、僕は本気でした。ブレイクダンスの本場、ニューヨークのダンサーと勝負をしてみたい、それまで自己流で学んできたダンスを基礎から確かなものにしたい、その一心でニューヨークを目指したんです。

ニューヨークには、どれくらいの期間、行っていたんですか?

SAM
1年弱くらい。ビザ申請できるのが半年で、そこから何度か更新して、最後のほうは不法滞在すれすれだったみたいですね。帰国したとき、入管の人に「当分の間、アメリカには行けないぞ」とクギを刺されましたから。

使える時間には限りがありましたから、自分のやりたいことを詰め込んでスケジュールを組みました。昼はクラシックバレエやJAZZダンスのレッスンに通い、夜はクラブに行ったり、ストリートで踊ってダンス漬けの毎日。

ジャンルの違うバレエを学ぶことにしたのは、プロのダンサーになるために必要だと思ったからです。タイツを履いてバーレッスンをするのには抵抗があったけど、ここを通らなければダンスを「職業」にすることはできないと思ってました。

ダンスは言葉に頼らない表現だから、ニューヨークにいる人たちからいろんなことをストレートに吸収できたんじゃないですか?

SAM
そうそう、だから、すぐに友だちもたくさんできました。クラブやストリートで踊っていると、「お前のダンス、おもしろいな。教えてくれよ」って、日本流のダンスを踊っている僕にいろんなダンサーが目を向けてくれたんです。

もちろん、「うわぁ、こいつにはかなわないなぁ」と思うダンサーもたくさんいて、そういう場面では僕のほうから「教えてくれよ」って話しかけなければいけませんでした。そのとき、中学と高校で勉強した英語がまったく役に立たなかったのにはショックを受けましたね。あわててニューヨークに一軒だけあった紀伊國屋書店で口語辞典を買ってきて、英語独特の話し言葉を必死になって覚えました。

ニューヨークに行って何よりよかったなぁと思うのは、世界の広さを知ることができたこと。日本でも全国のディスコをまわってたくさんのダンサーと交流したけど、ニューヨークには世界中のあらゆる国から来ているダンサーがいて、それぞれが異なるルーツを持つ人たちでした。そんなワールドワイドな世界のなかで、ダンサーとして、人間として、大きく成長できた、そう思います。

TRFに加入して
理想の表現を追い求めた日々

1992年9月、当時30歳のSAMさんは男女5人組のダンス&ボーカルグループ、TRFに加入します。歌だけでなく、DJやダンスも表現の中心に置いたこのグループは、SAMさんにとって理想のスタイルだったのではないですか?

SAM
そうですね。その通りです。TRFは日本だけでなく、世界的に見ても新しいスタイルのグループで、今のようにアーティストがジャンルの壁を越えて「ユニット」とか「コラボ」するような環境がない時代、その一員になれたことは大きな幸運だったと思ってます。

ただ、それまでにない新しいスタイルだけに、メンバー同士でその表現を確立していくには多少の時間がかかったし、まわりのスタッフにそれを理解してもらうことについても決して簡単なことではありませんでした。

例えば、ファーストライブのときも、曲がダンサーのソロパートになっても照明さんがピンスポットをダンサーに当ててくれなかったりして。
同じことは、テレビの歌番組に出演したときにも起こりました。ダンサーの踊りをきれいに見せなければいけない場面なのに足下をアップで撮っていたりして、ダンスの全体的な動きを追ってくれないんです。

アメリカでは、1980年代にマイケル・ジャクソンがミュージック・ビデオで集団ダンスを踊った『スリラー』で大スターになりましたけど、それは1930年代、映画の世界で活躍したフレッド・アステアとかジーン・ケリーたちMGMのスターシステムの伝統に支えられたものだと思うんです。でも、日本にはそんな伝統がなかったから、いちいち「こんな風に撮ってください」とカメラマンやディレクターにお願いするしかなかった。きっと、「ダンサーのクセに生意気いうな」って、だいぶ嫌われてたと思います。

なるほど、それは大変だ。

SAM
ダンサーを職業として成立させるためには、表現方法以外のところでも業界の意識を変えていく必要がありました。

規模の大きなコンサートの場合、リハーサルに1カ月をかけて振り付けから演出まで手掛けることになりますが、当時、ダンサーにギャラが支払われるのは本番が始まってからのことで、リハーサルのときのギャラはゼロだったんです。その間の交通費も食費もダンサーの自腹ですから、ダンスだけで食っていくなんて、とうてい不可能です。その一方、ニューヨークで活動しているダンサーを見ていた僕は、彼ら彼女らがリハーサルでもギャラをもらっているのを知っていたので「おかしいぞ」と感じていたんです。

そこで、TRFの活動と並行して工藤静香さんとかV6、浜崎あゆみさんといったアーティストのコンサートの演出を手掛けるようになってからは、ダンサーにリハーサル代と交通費を払うようにしました。ケータリングを出したり、弁当を用意したりして食費もかからないようにコンサート全体の予算配分で、ダンサーの負担をできるだけ少なくするようにしていきました。

振り付けや演出をしていてもつねに
「自分はダンサー」という思いがある

TRFは90年代中盤から毎年、大規模なコンサートツアーを行うようになりましたね。それと同時に他のアーティストのコンサートも規模が大きなものになり、ダンサーの活躍の場が広がっていきました。SAMさんにとって、大きな追い風だったのではないですか?

SAM
そうですね。TRFは今年で結成30周年になりますけど、その間のコンサートの変遷には目まぐるしいものがあります。

スタジアムを舞台にしたアリーナコンサートとか、さまざまな会場が使われるようになったし、円形のステージ全体がグルグルと回転したり、ワイヤーで吊って空中で踊ったり、見せる技術もつねに新しいものが生まれていきました。そういう進歩によって、ダンサーたちが新しいことに挑戦できる環境になったことは僕にとって、理想的な状況でした。

SAMさんがすごいのは、そうした目まぐるしい変化のなかで、つねにダンサーとして現役で活動し続けていることですね?

SAM
そうですね。コンサートの演出を考えているときも、振り付けをしているときも、それから若手ダンサーにダンスを教えるときも、僕は「自分がダンサーであること」を忘れたことはありません。ダンサーであるということは僕にとって、アイデンティティの中心なんです。そして、つねにこう思い続けています。「もっとうまくなりたい。カッコいいダンサーになりたい」って。

興味深いお話、ありがとうございます。インタビューの後編では、47歳になって自らの「老い」を意識したことをきっかけにジェロントロジー(老年学)を学んだお話について、じっくりとうかがっていきたいと思います

後編記事はこちら→ プロダンサーSAMに聞く!【後編】「年をとること」をポジティブにとらえる方法

いつまでも動ける。
年をとることを科学するジェロントロジー

SMA・著『いつまでも動ける。 年をとることを科学するジェロントロジー』書影
Amazon詳細ページへ
  • 著者: SAM
  • 出版社:クロスメディア・パブリッシング
  • 発売日:2022年4月1日
  • 定価:1,628円(税込)

60歳を迎えてなお、現役ダンサーとして活躍するSAMがジェロントロジーでの学びをもとに、自身が実践してきた「いつまでも動ける秘訣」を惜しげもなく解説。「昔と比べると疲れやすくなった」「昨日の疲れがひと晩寝てもまだ残っている」など、年を重ねて心身の不調を感じるようになったというときにヒントを得られる1冊です。

「ジェロントロジー? まったくピンと来ないな。それにいまさら勉強なんて……」と最初は思いましたが、よくよく調べると、僕がいま関わっているダンスを通した活動と密接な関係があることがわかりました。ジェロントロジーは年をとること、健康であり続けること、自分らしく生き続けることを学問として捉えているのです。――(本書「はじめに」より)

読者限定! 特典動画

書籍の読者だけが見られる「特典動画」も。動画内では、書籍でご紹介した「股関節に効くトレーニング」をSAMが実演します。

目次

  • 第序章 いつまでも「自分史上最高」でいるために
  • 第1部 実践編
  • 第1章 運動
  • 第2章 食事
  • 第3章 睡眠
  • 第4章 コミュニティ
  • 第2部 知識編
  • 第5章 ジェロントロジーの哲学
  • 第6章 人間が年をとる理由
  • 第7章 ジェロントロジーで社会を見る

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=松谷祐増(TFK)

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
この記事について報告する
この記事を家族・友だちに教える