かっこよい人

「100歳まであと4年。わけはないよ(笑)」 内海桂子さんインタビュー(後編)

ひとつひとつのエピソードが、
まるで映画のように波乱万丈な桂子さん。
丁寧に、誰かのために生きてきたからこその人生哲学とは?
そして24歳年下のパートナーとの馴れ初めは?

前編記事はこちら
「100歳まであと4年。わけはないよ(笑)内海桂子さんインタビュー(前編)」

内海桂子(うつみ けいこ)
1922年、両親の駆け落ち先である千葉県銚子市に生まれ、浅草、南千住で幼少期を過ごす。12歳ごろから踊りと三味線を習い、1938年、16歳で漫才の初舞台に立つ。1950年、14歳歳下の好江さんとコンビ「内海桂子・好江」を結成。歯切れのいい“東京漫才”の女性コンビとして活躍。1958年「NHK漫才コンクール」優勝、芸術祭奨励賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など受賞歴多数。1998年、漫才協団会長に就任、現在、漫才協会名誉会長。
目次

かっこいいか、悪いかなんて、
自分で決めることじゃない

「漫才って、何言ってもわかる人じゃないと務まらない。いちいち教えていたんじゃおもしろくないの」とは、「漫才に向いているのはどんな人ですか?」に対する桂子さんの答えだ。

桂子
あたしは、小学校を三年しか出ていないけれど、蕎麦屋さんでの奉公、漫才師としての舞台、吉原という花街での人情の機微(きび)※12、キャバレーでの男女の欲……といったように、普通では見ることのできない世界を知って、どうすればお客さんに喜んでもらえるのか、を学んだ。
そうよ。無学なあたしが、肌で学んだってこと。
だからね、今、アナウンサーでも記者でも芸人でも「そうですね」と受け答えする子が多いじゃない? すぐに返せないのは嫌い、時間の無駄、突っ込めないとダメよ。

※12機微=表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。

「そうですね」と言って、ひと呼吸おいて、自分の意見を言うのが一般的な今。「そうですね」とは相槌のような役割で、相手を否定しない便利な言葉。ゆえにか、無意識のうちに多用していた自分を恥じてしまった。
桂子さんは、「それからどうしたの?」と訊かれるのも嫌で、そう言われると「そんなんで、よく生きてるわね?」と突っ込むという。

桂子
嫌味なことでもサッと受け答えできるか?
できないのに、よく「漫才です」なんて生意気なこと言えるわよね。
そんなの漫才じゃなくて、ゾンザイっていうの!

数え年10歳から働いた桂子さんには、「怠けたことはない、怠けたいと思ったこともない」という自負がある。
自分で選んだとはいえ、社会に放り出されて、まわりを見ることで理解し、それを積み重ねてきた人生だ。

桂子
小学校の三年しか勉強していないから、なんて言いわけして、“三年生のまま”生きていたらバカですよ、世の中の役に立たないよ。
学問は学校に行かなきゃ学べないけれど、“人間のこと”はまわりの人が教えてくれるんです。いちいち口に出してはくれなかったけれど肌で教わってきたの。
それが芸に生きている。
同じ年齢過ごしてきても、まったく知らないでボーッと育っている人にはわからないことね。

生きてきた証が言葉の端々にあらわれる。
「本当にかっこよく歳を重ねていらっしゃいます」と漏らすと……

桂子
かっこいいか悪いかは、人が判断する。自分でかっこいいなんて思っちゃいけないよ。
100まで200までも生きたとしても、生きてきた年数だけ、ものを知っているかといえばそんなことはない。
あたしは10歳から、親の食べる分も働いてきた。でも、働かなきゃ、とも思っていない。
ただ、自分にあてがわれたことを、自分にしかできないことをやっているだけ。あたしの代わりは誰もいないからね。

マネージャーでありご主人の成田さんが「師匠は、すべて自分の責任として生きているからね」とおっしゃる。
「激動の人生だったでしょ?」と声をかける。

桂子
あの時代には、あたしみたいなのはいたけれども、そんなの今はどこにもいない。誰も生き残っていないからねぇ。
この人も(成田さんのこと)、ウチに転がり込んできたんだから。

成田
ええっ! またいい加減なことを言う(笑)。完全に師匠の記憶違いですからね。

はてさて……どちらの言い分が正しいのか? 
ここで成田さんに、桂子さんとの馴れ初めをお話いただこう。

成田
私はね、新潟の人間で、亀田製菓で知られる亀田郷という町(現在は江南区)で生まれました。家は、魚屋の卸をやっていまして。“どじょう屋”もやっていたんですけど。
年に一回は、芸者さんを呼んで宴会をしていましてね。100人くらいのお客さんが集まって。私は小さい子どもながらも、台所でお燗番(おかんばん)※13を任されて。
ハイ、お酒はもちろん「越乃寒梅(こしのかんばい)」です。これ、亀田郷のためにつくられていたんです。全国的に有名になっちゃいましたけどね。そうそう、師匠が好きなのも「越乃寒梅」。

※13お燗番=日本酒の燗をつける(温める)係のこと。

桂子
そ。大好きなのに一合しか飲ませてくれないのよ。一升瓶は、あたしの届かないところに片付けられている。あたしの酒なのに……隠されている。

成田
これまた人聞きの悪い……。師匠の健康を考えてるからですよ、ったく、もう(笑)。
ま、小学校に上がるころには、酒の匂いをかいでいて、芸者さんの三味線も好きで。
そうした環境だったからかもしれませんが、「内海桂子・好江」の漫才が大好きだったの。

幼少期から、演芸好きで宴も好きな成田さん。
「ああ、だから浅草に」と思いきや、なんと30歳を過ぎてからアメリカへ。日本航空系の企業にお勤めでいらした。

成田
年に1回か2回、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンなどで開催していた「日航寄席」を担当していまして。日本から落語家さんを招致するんですが、「なんで漫才師を呼ばないの?」と思ってね。
まあ、そこはバジェットの問題です。落語家はひとりで成立するれど、漫才師はふたり分のギャラがかかりますからね。
でも、「いい漫才師はいる。一度会いに行ってくるよ」と、東京に出張したんです。ふふ、まだ、なんのアポイントも取ってませんでしたけどね(笑)

電話帳に個人宅の番号と住所が載っていた時代だ。成田さんは桂子さんの電話番号を見つけ、かけた。何度もかけるが……まったく出ない、繋がらない。

成田
で、仕方なく(笑)、好江さんに電話をしたんです。すると好江さんの義理のお母さまが出られて、“正しい桂子さんの電話番号”を教えてくださった。
すぐにかけると、ラッキーなことに桂子さん本人が出て、企画をお話すると、「いいわよ、いらっしゃい」となって、翌日、赤坂・TBSでの収録後に会うことになりました。
「お鮨でも食べる?」なんて言われたんですが、当時、ロスには鮨屋がけっこうあったので「違うものを」と答えると、「じゃあ、ふぐは?」となって。浅草のふぐ屋さんに連れて行かれた。
私が持っていた日本円のほとんどは、“ふぐ”でなくなっちゃった(笑)

このときの成田さん。桂子さんのファンではあるが恋愛感情はまだない。ビジネスとして面会し、日航寄席を成功させたかった、だけなのだが……

成田
めちゃくちゃ、いい着物を着ていたんですよ。私だって、人間国宝クラスの着物を知らないワケじゃない。だからそれなりに目が肥えているんですが、「へー、漫才師ってすごい着物を着るんだなぁ」って感心しました。
値段が張るとかじゃないんですよ。ちゃんとしたいい着物なんですよ。
で、それでコロッとまいっちゃったの。桂子さんに惚れてしまった。

その後、成田さんは数カ月ごとに“来日”しては桂子さんと会うように。

成田
たまたま、日本に出張できるポストにいたので。仕事は二日で終わるけれど、一週間の滞在にして。残りの五日間は桂子さんとデートしていました。
ロスからは手紙を書き続けてね。一年半で300通に達しました。299通は近況報告みたいなもんです。でも300通めは、意を決してのラブレター、求婚しました。
その間、桂子さんからの便りは1通だけ。英語で住所書くのは面倒だったんでしょう?

桂子
あたしは、手紙、嫌いなの。気の利いたことを書けないし、心にもないこと書けないの。
最後にもらった手紙はどこにいっちゃったんだろう。茶色の封筒の……

すぐに結婚と思いきや、さにあらず。
「帰ってくるのはいいけれど、仕事のない人とは付き合えません」という桂子さんに対して、成田さんはロスから東京への転職活動を。ある企業と条件が合致して無事、帰国。平成元年(1989)の春のことだった。

成田
住宅手当も充分にあって。だからね、彷徨(さまよ)っていませんし、転がり込んでもいません(笑)。
翌年から、現在の場所で一緒に暮らしはじめて。平成4年(1992)には会社を辞めて、桂子さんのマネージャーになり、主夫との兼業をして今に至ります。

楽屋での支度を見学していると、桂子さんのそこかしこから「生涯現役」というのが伝わってくる。
楽屋仕事から日常生活まで、桂子さんのすべてをサポートするのが成田さん。
舞台袖。じっと見守る成田さん。桂子さん、大瀬うたじさん、中津川 弦さんとの漫才のあと、この三味線を桂子師匠に渡す。

一日一日を
大事に生きてきた証

成田さんの、“キニナル”主夫業をちょっと覗き見したい。が、それはまたの機会に。
ということで、桂子さんのタイムスケジュールを紹介しよう。

成田
舞台がない日は、私が起こすまで寝ています。11時ごろになっても起きてこない。私がゴルフに出かけて家にいないときなんて、夕方帰ってくるまで寝ていたりします。
ちゃんと食事をしてほしいから、お昼ごろ電話するんですよ、「お昼のお膳を用意してますから、食べてくださいね」って。電話では「オッケー」と言うくせにずっと寝ている(笑)

桂子
おはち(炊飯器)を開けると、いつでも“炊きたてのごはん”みたいになっている。すごい!

成田
なに言ってるの。そういうふうにしているの(笑)

……と、どこまでも仲睦まじい。
おふたりともに、「しょっちゅう喧嘩している」と口をそろえるが、そこは信頼があってこそ。さて、桂子さんのスケジュールについて続けよう。

成田
舞台があるときは10時には起こします。顔を洗ってお化粧してご飯を食べて、着物を着て。化粧も髪も着付けも自分でやりますからね。
最近は動作が鈍くなっているので、「時間かかり過ぎですよ」と言うと、「歳取ってるんだから仕方ない」って開き直ってきますけど(笑)。
午後1時前後に自宅を出て。東洋館まではタクシーで5分ほど。舞台をつとめて2時半には出て。帰りは共演者と馴染みの店で食事をするのが常。1時間半ぐらい飲んで帰ります。

打ち上げというか外食をしないときは帰宅して、20時過ぎから、晩酌しながら二時間ほど夕食ですね。その後、お風呂に入って、23時ぐらいには就寝となるが……

成田
けっこう宵っ張り※14なんですよ。先日も午前2時ごろまでテレビ見てましたものね。
寝酒はもう禁止にしました。
かつては、この部屋、夜になると解放区だったんですが、カラダのことを考えて、家でのお酒は夕食時の一合だけです。
そろそろ寝ましょう、と言っても、「寝ないわよ」なんて反抗してきてね(笑)。
桂子さん、わりと平気な人生ですよ。本当、すごいです。

※14宵っ張り=夜更かしが平気な人のこと。

 

わかっていないと能書きも言えない。
知らないことは、知らないなりに“絵にならなくちゃ”。
舞台に立ってしゃべるんなら、相当なことしゃべらないと、人は納得しないよ。

いくら時代が変わっても、人間なんてずっと変わっていない。偉い人もそうでない人も、人間の原料なんて、みんな同じ。“ひとしずく”なんだから。

お会いしている間、肝要なことをポツリポツリと口になさる。
近くに来たら、「立ち寄ってね」とすっと手を握ってくださった。

「歳なんてね、とってみなきゃわかんないの」
桂子さんを見ていて、それがよーくわかった。

著書『桂子八十歳の腹づつみ』(東京新聞出版部)には、成田さんとのふたりだけの結婚式での写真が収められている。
芸への真剣な眼差しはいくつになっても変わらぬ桂子さんと、そばにい続け、手助けする成田さん。

桂子さんの「キネヅカ名言」

生涯現役

内海 桂子

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文と写真=山﨑真由子、写真=鳥羽 剛

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