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シニア旅は“楽”? 旅作家・下川裕治が語る、世界を歩き続けて感じた新たな視点

人は旅に行くとき、何を求めて行くのだろうか。非日常感、癒し、学び……。なかには自分探しという人もいるだろう。理由はいくつもあるが、それだけ旅には何かしらの“引力”があると筆者は思う。

今回は、そんな旅を仕事にしている人物·下川裕治さんにインタビュー。“バックパッカー界のレジェンド”という異名でも知られている下川さんだが、今回は下川さんが旅を続けている理由、旅を続けることで見えてきた景色や出会いについて聞いた。

下川裕治
1954年長野県出身。慶應義塾大学卒。新聞記者を経てフリーに転身し、アジアや沖縄を舞台に旅作家として活動。『12万円で世界を歩く』でデビュー以降、旅に関する多数の書籍を執筆。
目次

旅が示した新しい人生観

下川さんと言えば『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)という書籍を皮切りに、長年旅作家として活動されてきた印象があります。“バックパッカー界のレジェンド”とご紹介されることも多いかと思いますが、率直にどう感じていますか?

下川裕治(以下、下川)
実は、僕の旅はいわゆるバックパッカーの旅のスタイルとちょっと違うんですよね。一般的にバックパッカーというと、制限内の金額でどうやりくりしていくか、という“貧乏旅行ゲーム”みたいなイメージがあると思います。でも僕は「1年働いたら3年は何もしないでフラフラできる」という人生観に憧れがあったんです。だから、僕はいかに長く滞在できるかにこだわるんです。そのために、出費もできるだけ抑える。

旅を安く収めることが目的ではなく、長く滞在するために節約している、ということなんですね。

下川
そうそう。だからたとえば安宿に泊まるのも、最初から慣れていたわけではなくて。2回目の旅でタイのチェンライに行って泊まったときも、すごく怖かった記憶があります。鉄格子がついている部屋だったんですけど、「これ火事になったらどうやって逃げるんだろう……」とか考えだしてしまって。結局一睡もできずに、その街の1番いいホテルに宿を変えました。でも、旅を続けるうちにだんだん体が馴染んでくるんですよね。そういうハードルを1個ずつ超えるうちに、そっちの人になっちゃったという感じです(笑)。

下川さんは、いつから旅を始めたのでしょうか?

下川
中高生のころ、五木寛之さんの『さらばモスクワ愚連隊』や『蒼ざめた馬を見よ』という作品が好きで読み漁っていたんです。そのころから海外にすごく興味があって。それとはまた別軸で、大学の新聞会に入っていたんです。それで、原稿を書いていきたいという気持ちも、根底にずっとありました。

なるほど。そのころからすでに旅作家に必要な要素や動機は揃っていたんですね。

下川
でも、振り返ってみると僕はそんなに主体性のある人生は歩んできていないんですよ。最初の旅も成り行きで。父が高校の教師をしていて、教え子がタイのバンコクにいたんです。当時はいまと違ってタイに旅行に行くことは珍しく、「若いのによく行ったね」と言われました。でも僕は、海外だったらどこでもよかったんです。

いま若者の旅先といえばタイは定番にもなりつつありますが、昔は違ったんですね。初めての旅は、どうでしたか?

下川
父の教え子が働く会社のタイ人のスタッフが、母校を紹介してくれました。そしたらそこに似顔絵が飾ってあって。「これは何?」と聞いたら、反日運動で亡くなった方の似顔絵だと教えてくれました。当時、僕は学生運動にかかわっていたのですが、死ぬかもしれないなんて考えもしていなかったし、自分の行動自体、矮小に感じましたね。守られたところで動いているだけでバカバカしいなと思い、帰国後はそういった活動から遠のいていきました。

それは衝撃的な体験ですね。

下川
なかなかハードな旅でしたよ。ほかにも、帰りの飛行機のチケットを取っていたんですけど、帰る前にその会社が倒産しちゃったり、英語も全然話せなかったので対応に苦労して、「海外旅行ってけっこう大変だな……」と思いました。

初の海外旅行は苦労も多かったんですね(笑)。大学卒業後は、どういった経歴を歩んでいったのでしょうか?

下川
新聞社に入って、新聞記者になりました。会社には2年半ほど勤めたのですが、退職して、また旅に出ることにしたんです。

新聞記者から旅作家へ

どうして退職をしたのでしょうか?

下川
原稿は毎日書いていたんですけど、つまんなかったんですよね(笑)。それに、海外に行って現地を取材する“外信部”になるのが夢だったんですけど、どうもそれは難しそうで。ただ、「旅に出るから会社を辞めるなんてことは、普通ないだろう」と、上司にはなかなか信じてもらえませんでした。説得というか、辞める理由について根掘り葉掘り聞かれたのですが、僕は本当に旅に出たいだけだったんですよ。

たしかに、退職理由として“旅に出る”というのは珍しいかもしれないです(笑)。退職後はどの国を訪れたのでしょうか。

下川
ドイツのベルリンにいる友人を訪ねたり、アフリカのエチオピアやスーダン、エジプトのカイロなどを周りました。

帰国後もどこかの会社に務めるつもりではいたのですが、僕は旅先でそんなにお金を使うタイプじゃないので、旅から帰ってきてもお金が余っていたんです。だから働く気なんて起きないわけ。そんな僕を見た友達が心配して、原稿の仕事を回してくれました。「お前、そんなことやっていたらホームレスになるぞ」って。そうしているうちに、フリーランスのライターって儲かるなと思い、そのままフリーのライターになったんです。

なぜ、そこまでして、下川さんは旅に出るのでしょうか?

下川
「1年働いたら3年は何もしないでフラフラできる」という人生に憧れていたからです。この言葉はチェンライで出会ったオーストラリア人に言われた言葉なんですけど、正確には「1年オーストラリアで働いたら3年はアジアで暮らせるぞ」と言われたんです。

実際にそのサイクルで人生を歩んでいきたい、というわけではないのですが、「ああ、こういう人生の考え方もあるんだな」と、そのとき救われたような気持ちになったんです。その言葉を聞いたときはまだ大学生だったのですが、それなりの大学に行って、就職して……っていう世間のなかのプレッシャーみたいなのが自分のなかにあって。旅は、そこから抜け出せるような、飛び出していくような感覚がありました。それが、僕を旅に行かせる要素なのかもしれません。

なるほど。退職をしてからは、本格的に旅作家の人生がスタートしたんですね。

下川
いろいろと雑多な仕事をしていたのですが、そのうちのひとつに週刊誌でコラムを書く仕事があって。そこの副編集長と夏に一緒にミャンマーに行くことになったんです。そしたら、僕の旅のしかたが「変だ」と言うんですよ。

変、ですか。

下川
当時のアジアはまだ路線バスがそこまで整備されていなくて、街に行くにはタクシーを使う必要があったんです。僕は当たり前のように、そこにいた欧米人のバックパッカーに声をかけて、タクシーをシェアしようとしたんです。そしたら、同行していた副編集長が「お前は何をやってるんだ」と。普通はシェアなんてしないですからね。

そこで、下川さんの旅のしかたが“変だ”ということが発覚したと。

下川
そうなんです。それがきっかけで、副編集長から「また、ああいう旅をやらないか」と企画を提案されました。なぜなら、そのページにつく予算が少ないから(笑)。だから僕みたいな旅じゃないと、企画が成立しなかったんでしょうね。

それが『12万円で世界を歩く』の始まりなんですね。

下川
始めたのはいいんだけど、そこからは本当に貧しくなってしまって(笑)。これはフリーライターの鉄則なんですけど、海外旅行モノはやってはいけないですね。費用対効果が非常に悪いので。当時は2週間ほど海外に出て、1週間で原稿を書いていました。月に1回の連載で、原稿料は5万円です。

月収5万円ということでしょうか……?

下川
そうそう。でもそれはさすがにキツいということで、途中から原稿料を上げてくれたのですが、倍の金額になるわけでもなく。そんな生活を2年ほど続けていました。

会社員時代の貯金はあっただろうとはいえ、なかなか大変な生活ですね。またどこかの会社に属することは考えなかったのでしょうか?

下川
うーん……、僕の同級生に、定年まで働いて隠居生活を送っている人がいるんですけど、途端に鈍くなるんですよね。同じメディアの業界にいた人なんだけど、会話をしていると、僕たちは知ってて当たり前だから話さないようなことを話すようになるんです。そこで僕たちは、「ああ現役からリタイアしたんだな」と感じるんです。

会社勤めを終えて退職し、静かに過ごす人も多いかと思いますが、フリーランスもフリーランスで苦労がありますよね。

下川
たしかにフリーランスは、仕事の終わりがない辛さがありますが、だからこそ社会に身を置かないと生きていけないんです。でも引退すると、そこからスッと外れてしまう。一気に脳が緩んで、面白いやつじゃなくなっちゃうんです。だから、ある程度の“貧しさ”って、生きていく緊張感を保ち続けるためにも必要なんじゃないかなと思うんです。

なるほど。でも、現役でいるには社会から必要とされ続けなければいけないから、そこの厳しさもありますよね。

下川
それこそ、僕なんか早く引退するべきという考えもあるかもしれません。でも、歳をとってからじゃないと書けないものもあると思うんです。何が仕事になるかわからない世界だからこそ、常にアンテナを張っておかなければいけない。そう考えると、意識の奥底にはまだ『対抗していくぞ』という気持ちがあるのかもしれないですね。

シニア旅は楽?

その後の下川さんの旅の遍歴を振り返っていきたいと思うのですが、コロナ禍の時期はさすがに旅をお休みしていましたか?

下川
いえ、実はすごく行っていたんです。あのころの僕は、夜になるとどの国に行けるのかネットで調べることが日課でした(笑)。仕事はもちろんなかったのですが、旅作家の性(さが)と言いますか、悔しさみたいなものがあったんです。2、3か月に1回は旅に出ていたと思います。でも検査代が高くてね……。あのときは“PCR貧乏”でしたよ。

“PCR貧乏”という言葉は初めて聞きました(笑)。

下川
家族から非難を浴びながらも旅に出ていたのですが、そんな状況でもあの旅は貴重な体験だったなと思いますね。400人乗りの飛行機に2人しか乗客がいなかったり、到着したホテルには誰もお客さんがいないから、「1番いい部屋どうぞ」なんて言ってくれたりね。

なんだか、SFの世界みたいですね。

下川
あとは、コロナに対してそれぞれの国がどんなふうに向き合っているのかもわかって、面白かったです。たとえばヨーロッパは、検査が通れば入国できることが多かったんですけど、現地の店には入れないんです。お店に入っていいかどうかは、お店の人の判断なんですね。

一方でアジアは、入国ができたらお店も入れてくれることが多いんです。なかに入れさえすれば自由度は高かった。“個人”と“国”、コロナへの対応をどちらの判断に委ねているのかが、その国に行くと体感できるんです。それはあの時期でしか体験することのできなかったことだなと思います。

生涯にわたって旅を続けている下川さんですが、年を重ねてから旅のなかで発見したことや感じたことはありますか?

下川
僕は今年で70歳になるのですが、ここ数年、圧倒的に旅が“楽”だと感じています。

それはどういうことでしょうか。

下川
これは東南アジアの話なのですが、旅行が楽なんです。というのも、日本は老人に対して年金などの社会制度がしっかりしている分、ひとりで生きていかなくてはいけないことが多いですよね。なんというか……老人として生きていかなければいけないプレッシャーを感じるんです。

それに比べて東南アジアは、国が小さいということもあるのですが、そういった制度がまだしっかり整備されていないんです。ということは、老人を支えるセーフティーネットは“家族”になります。日本では老人がバスや電車など交通機関を使って、ひとりで移動するのは当たり前ですが、東南アジアでは考えられないことなんですよ。

そうなんですか?

下川
東南アジアでは70歳を過ぎたら、外出するときは誰かが車に乗せてあげます。実際僕が体験したことなのですが、ひとりで電車なんかに乗っていたらかなり目立つんですよ。立っていたらすぐ席を譲ってくれるし、食堂に行ったら、僕に提供する料理を巡って口論までするんです。

口論?

下川
タイには『アハン·タムサン』という、お客さんがどんなものを作って欲しいのか注文するような食堂があるんです。僕がそこに行ったとき、たまたま入れ歯を入れたばかりで、硬いものが食べられなかったんです。なので食堂のお母さんにそのことを伝えると、ご主人が「お粥じゃなきゃダメだ」と言い始めて。でも料理担当はお母さんだから、そのまま言い合いになってしまったんです(笑)。

なるほど。でもそれは下川さんのことを想った言い合いですね。

下川
そうなんです。その体験がすごく面白いなと思って。言ってしまえば、すごく年寄り扱いされているということなので恥ずかしくはあるのですが、そういう対応が温かくて、“ひとりじゃない”感じがあるんです。

福祉制度が完成されきっていないからこそ、リアルな温もりを感じるんですね。

下川
ある意味脆弱な国ほど、人が人を助けるんですよね。ただ、タイの人もみんながみんな優しくて、包容力があるというわけではないと思います。でも、旅人として歩くとすごく「楽だな」と感じるんです。誰かが支えてくれるっていう安心感というか、少し寄りかかっても許されるような感じがして。

たしかに、私たちは高齢者を見たときに、高齢者であると同時に他人だという意識もありますが、その抵抗感がないように感じますね。

下川
その距離感に救われるんですよね。でも、経済成長が進んで日本のように制度が整備されたら、もしかしたら日本のように老人を独立させるような雰囲気になってしまう可能性もあります。もしくは、家族で支えたらいいじゃないという考えが根本的に崩れないのであれば、この温かさは残り続けるかもしれない。先のことはわからないし、これは難しい問題なんですけどね。きっとタイの人が日本のバリアフリーな歩道や、ケアサービスを見たら「素晴らしい!」と感じるかもしれないですけど。

でも、その進化と引き換えに、何か大事なものが失われていっている気もしますよね。

下川
そういう違いも含めて、東南アジアはシニアの方にとっていま“行きどき”ですよ! と伝えたいです。移住するとなると大変かもしれないですが、旅行ならとくにおすすめです。日本にはない“精神的な楽”を感じられるので。

あとがき

2001年に公開された『GO』という映画に、「広い世界を見ろ、そして自分で決めろ」というセリフがある。私はこのセリフが大好きで常に肝に銘じているのだが、下川さんはまさのその言葉を体現したような存在に感じた。

最終的に人生の選択を決めるのは自分だが、その選択をするまでにどんな道を辿ってどんな景色や出会いを経てきたのか、そこが重要で、それこそがその人らしさを作っていると私は思う。

インターネットやAIが発達しきっている現代だが、そこでしか体感できない風や匂いや気温など、実際に足を運んだ旅は、数えきれない情報をくれる。海外をいくつも飛び回るのは難しくても、いつもは行かないお店に入ったり、少し足を伸ばして海や山に行くのも、ひとつの旅だと思う。

自分なりに広い世界を見て、人生を決める。下川さんは、その繰り返しをしてきた人物なのではないかと思った。そうして、自分の人生の幸福とはなんなのかを考えてきたのではないだろうか。

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取材・文=はるまきもえ
写真=鈴木 潤一

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