人生の大半を“笑える駄菓子”に捧げた「浪速の駄菓子王」オリオン企画本部長 高岡五郎さん

「浪速の駄菓子王」と呼ばれる人がいる。それが大阪の製菓会社「オリオン」常務取締役 企画本部長の高岡五郎さん(70)だ。
会社設立が昭和32年。68年の歴史があるオリオンが製造するのは「ココアシガレット」「梅ミンツ」「ミニコーラ」など、いわゆる駄菓子だ。少子化による駄菓子屋の減少などで駄菓子を取り巻くシーンは決して明るくはないが、オリオンは“笑える駄菓子”の数々で昭和・平成を生き抜き、令和になってからさらに気勢をあげている。
いったいなぜ、オリオンの駄菓子は生き残り、さらに上昇カーブを描くのか。そこには高岡さんの苦難にめげぬバイタリティーと、大阪人の「いちびり」精神があった。
- 高岡五郎
オリオン株式会社 常務取締役 企画本部長
1954年生まれ。大阪市此花区出身。関西大学工学部応用科学科卒。1977年「ココアシガレット」「梅ミンツ」などを製造する駄菓子メーカー「オリオン株式会社」へ新卒で入社。同社の商品開発や企画に携わり、「大人が笑えば子どもも笑う」をモットーに、使い捨てカメラを模した「食べルンです」やパソコンそっくりなパッケージの「マイAppleラムネ」などユニークな商品を生みだし続ける。1997年 取締役に就任。2015年より一般社団法人「DAGASHIで世界を笑顔にする会」の理事を兼任。
あいみょんの影響でココアシガレットの売り上げが爆増

オリオンといえばロングセラーの砂糖菓子「ココアシガレット」でおなじみですが、シンガーソングライターのあいみょんが手にしていたり、新しい学校のリーダーズのヒット曲『オトナブルー』のミュージックビデオに登場したり、再び注目を集めていますね。
高岡五郎さん(以降、高岡)
きっかけはやっぱり、あいみょんでしたね。あいみょんが2019年(令和元年)の2月、ココアシガレットを指にはさんでいる画像をInstagramにアップしたんです。すると「彼女が手にしているタバコみたいな物はなんだろう」と、あいみょんファンのあいだでじわじわ話題になり、その年の7月から急にドカンと売れだしたんですよ。
あいみょんがアップした画像でココアシガレットを初めて知った若者が多かったのですね。
高岡
彼女のおかげでね。その現象について『日経XTREND』(日経クロストレンド)が取材に来まして、さらに記事を読んだテレビ番組『サンデー・ジャポン』からの会社へ電話取材があり、電話であいみょんの曲まで歌わされました(苦笑)。
そういった経緯があって各地でココアシガレットの品切れが続出したんです。しばらくのあいだ24時間増産体制で対応しないと追いつかないほどの人気になりました。その間に1億円以上かけてラインのリノベーションを実施したのですが、皮肉にも設置した途端にコロナ禍に見舞われましたね。

コロナがあったとはいえ、アーティストパワーやSNSの力、メディアの連鎖ってやっぱりすごいんですね。あいみょんの存在はご存じでしたか。
高岡
2018年の紅白歌合戦に出場しているのを観ていたので、知っていました。「個性的な子やなあ」と思っていてね。そやから「彼女がなんでうちの商品を手にしてくれたんやろ」と不思議でしたね。
新しい学校のリーダーズはXのフォロワーさんが「MVにココアシガレットが登場していますよ」って教えてくれたのをきっかけに知ったんです。Xは僕が担当しているから、オリオンのファンからいろんな情報がもらえるんですよ。
Xのアカウント運用って高岡さんご自身でやっておられるのですか! そして偶然の産物とはいえ、ココアシガレットの知名度が一気に上がって、よかったですね。
高岡
ええこともあるけれど、めんどくさい問題も起きました。サンデー・ジャポンで採りあげられて、視聴者から「未成年にタバコに興味を持たせるよくない商品だ」「喫煙を促進している」と抗議がたくさん寄せられたんです。
ええ! 長寿商品に、今さらクレームが来たのですか。
高岡
ココアシガレットは「子どもは大人のマネをしたがる」という発想から生まれた商品なんですが、時代は変わってますから。実は2011年、ココアシガレットが還暦を迎えるとき、パッケージに新たに「オリオン株式会社はあなたの禁煙を応援します」という一文を印刷して生まれ変わっていたんです。子どものお菓子というだけではなく、タバコをやめたい大人も対象にした商品なんですよ、と表明したんですよ。還暦は「生まれ変わる」というお祝いなので。

なんと、抗議する側よりもずっと先に、駄菓子側のアップデートが進んでいたとは。
高岡
「禁煙応援シガレット」という商品も作ったんです。タバコを購入する際に使う成人識別用ICカード「taspo(タスポ)」を真似て、タバコを止めたい人が「ノスポ(ノースモーキングパスポート)」を差し込むとココアシガレットが出てくるという、自動販売機のパロディです。


遊び心もあって、よくできた商品ですね
高岡
「おもろそうや」と思ったら、なんでもやりたくなるんですよ。2022年にはココアシガレットの飲み物をドリンクメーカーさんが発売したのと、ココアシガレットの入浴剤「ココアシガレットの湯」をリリースしたので、お風呂屋さんでキャンペーンをやったんです。
「レッドブルのキャンペーンカーみたいに、うちも模型を車のルーフに乗せて走りまわろう」と思ってね。段ボールで大きなカップをこしらえました。ただ、実際はやっぱりこれでは公道を走れないので、停車中の車に乗せるだけでしたが。

車に乗せた巨大カップは段ボール製なんですか。さすが、材質だけではなくフットワークが軽いです。
高岡
大きな会社やったら二の足を踏んでしまって、でけへんやろうね。思いついたらすぐ行動できて、小回りが利くのが中小企業のええところやから。
ほかにも、ローソンさんから「ココアシガレットもパウチ袋で販売したい」とリクエストされたので、ほな、やりましょうと。そうやって生まれたのが『折れへん!? ココシガタブレット』です。丸い粒状だから折れないんですよ。

パッケージの裏にある「浪速の駄菓子王の★ゴロゴロ語録★」がおもしろいですね。「いろいろありますが丸くおさめましょう」「これを食べたら丸く収まるんやで、知らんけど」など、くすっと笑えて心がほどけます。こういった文言はどなたが考えているのですか。
高岡
私と包装資材屋さん。おもしろおかしく考えるのが私たちの仕事やから。キャラクターのリス五郎もモデルは私なんですよ。
ココアシガレットをドリンクにしたり丸くしたり、企画本部長自身がパッケージに登場したり。軽快だし、変幻自在ですね。
高岡
駄菓子はよく昭和レトロと呼ばれて、そこがよいと言われてしまうんやけど、製造している側は令和の商品を作っているつもりなんです。ココアシガレットだって、タバコの形状にはこだわらない。「シガレットがなんで丸いねん! 口にくわえるのがシガレットやろ」というご正論もありましたがね。
そういう思いを込めて、大谷翔平にならって「今日は憧れるのをやめましょう」という言葉も書いています。


ラジオの投稿少年はシャレ好きの人気者だった

ユーモアたっぷりのパロディ商品を続々と生み出し、「浪速の駄菓子王」と呼ばれる高岡さんですが、幼い頃から笑いがお好きだったのですか。
高岡
好きでしたね。笑福亭仁鶴さんがラジオ番組『ABCヤングリクエスト』の中でやっていたワンコーナー「仁鶴・頭のマッサージ」には、よく投稿していました。
授業中も同級生とシャレを言い合っていましたね。大阪は賢い子やスポーツができる子と同じぐらい、おもろい子も一目おかれる。そういう点で人気者でした。大阪弁でいう「いちびり」(調子に乗って、はしゃいだりふざけたりする人の意)な部分はありましたね。
勉強やスポーツはおできになられたのですか。
高岡
学校の成績はぼちぼちやったけれど、身体は弱かったんです。私は昭和30年に起きた※森永ヒ素ミルク中毒事件の当事者でね。膝が黒くなって、肝臓に障害が出て、新聞にも載ったんです。中等症で、小・中学校は休みがちでした。大学を卒業する頃まで体重が53キロしかなく、ガリガリでしたしね。
※森永ヒ素ミルク中毒事件…1955年(昭和30年)に発生した、森永乳業の粉ミルクにヒ素が混入し、乳幼児に被害を及ぼした食中毒事件。
大学卒業後、新卒でオリオンに入社されたのですか。
高岡
そうです。昭和52年に入社して、今日まで48年間、オリオンひと筋。親父がコンクリートの工学博士だったので、学生時代はその道を継ごうかとも考えていました。しかし、コンクリートは研究の成果が出るまで10年~20年くらいかかると聞きましてね。「それは楽しくないな」と思って、結果が早く出そうなお菓子の道へ進んだんです。

入社当時のオリオンはどのような雰囲気でしたか。
高岡
「ココアシガレット」「梅ミンツ」のヒットで、活気がありました。梅ミンツはダンヒルのライターを模したケースに入っていましてね。大人のマネをしたい、背伸びしたい子どもたちにはタバコとライターのセットが魅力的に映ったんでしょう。
もともとココアシガレットは森永製菓が戦前に製造をはじめたものでね。オリオンは森永を辞めた3人が起ち上げた会社だったんです。そしてココアシガレットの製造を引き継いだという背景があります。

森永ヒ素ミルク中毒の被害者が、森永にゆかりのある会社に入るとは、不思議な星の巡りを感じます。入社して、すぐに企画開発へ配属されたのですか。
高岡
そうです。工学をやっていたので、新しいお菓子を作るのが仕事でした。オリオンは、味は本当によいんです。駄菓子は人工甘味料を使うのが当たり前だった創業時から上質な砂糖を吟味していましたし、現在もどんどんええ素材に変えていっています。
ヒット商品「ミニコーラ」をめぐり10年におよぶ裁判

入社後は順調でしたか。
高岡
う~ん、会社はそこから、いろいろ問題が起きますね……。
もしかして、よく新聞などで報道された「オリオン コカ・コーラ事件」ですか。
高岡
そうです。同期で入社した男の実家が醤油のキャップを作る会社をやっていて、彼が「これを応用すれば缶ジュースのような容器がつくれるんじゃないか」と発案しましてね。昭和53年にコーラ味のラムネ「ミニコーラ」を開発したんです。缶ジュースのようにキャップを引っ張ってはがすアクションが子どもたちには新鮮で、これが大ヒットした。
すると翌年、米国ジョージア州のコカ・コーラ本社から『デザインが類似している』とクレームがあったんです。まぁ確かに、似てますわ(苦笑)。それから裁判は10年かかりました。開発した同期の男は家業を継ぐために実家へ戻り、近年お亡くなりになりましてね。当時の上司・役員も3名が鬼籍に入られた。それくらい裁判は長期にわたったんです。
結果、意匠登録申請を通過していたことと、飲料とお菓子は分類が違うため、不正競争防止法に抵触しないとの判断で勝訴しました。実際、駄菓子とコカ・コーラを間違えたという人、苦情を言ってきた人はいませんでしたから。
「背伸びしたい子ども」の欲求に応えるパロディ駄菓子を続々とリリース

ミニコーラ裁判は「丸く収まった」んですね。裁判を社内で目の当たりにして、高岡さんはどのように感じておられたのですか。
高岡
もともとココアシガレットもタバコのピースのパッケージから着想を得た商品です。梅ミンツもガスライターからヒントをもらった。何かを真似るのは当社の伝統だし、駄菓子って子どもが大人の世界を疑似体験するものでもあるんじゃないかと、改めて考えるようになりましたね。
確かにコーラも当時は他のジュースより大人っぽい飲み物というイメージがありました。
高岡
それで裁判に勝って、平成に入って、子どもの背伸びしたい気持ちにこたえる商品をどんどん開発していったんです。使い捨てカメラの「写ルンです」が流行ったら「食べルンです」、黒生ビールが流行ったら「黒生ラムネ」、ドライビールが流行ったら「ミニドライ」。なんでもやりました。ミニドライはメーカーから怒られましたね。
平成に入ってからのオリオンは破竹の勢いで新商品をリリースしていた印象があります。液晶ゲーム・携帯電話、カメラ付き携帯電話・デジタルカメラ・アップルコンピューター・Appleウオッチなどなど、トレンドはすべて駄菓子にしてやるというバイタリティーを感じていました。
高岡
以前は年間50種類ぐらいの新商品を企画していました。当時の販路といえば駄菓子屋さんです。新商品をつくったはしから問屋さんが全国の駄菓子屋さんに配ってくれる。現在のようにバーコードを入れる必要はなかったし、コンビニやスーパーマーケットの登録を待つ時間もいらなかった。つくればすぐに駄菓子屋の店頭に並んでいたんです。
だから失敗なんて恐れず、どんどんつくった。結果、9割はぜんぜん売れませんでしたが、「かまへん、かまへん」という勢いでしたね。トライアンドエラーは当たり前。マーケティングなんてまったくしなかった。


懐かしいという印象をいだかれがちな駄菓子屋が、実は最新のトレンドを子どもに伝える場所でもあったのですね。だとすれば駄菓子屋の減少は大きな痛手となったのでは。
高岡
駄菓子屋さんの減少だけではなく、駄菓子メーカーはつねに向かい風ばかりですよ。たとえばG-SHOCKからヒントを得た「Gum-SHOCK(ガムショック)」という腕時計型のお菓子を企画したのですが、製造物責任法が厳しくなって、腕に傷がつく危険性があるため販売できなくなった。

そのため、えらい量のガム菓子が余りましてね。この課題を解消するため、紙袋に入れる「おくすりやさんカプセルシリーズ」が生まれたんです。カプセル型ガムだったので薬に見えるし、紙袋やったら包装に問題ないから。そしたら「配りやすい」というので北新地のホステスさんのあいだで人気に火がつきましてね。


なんと、オリオンの人気商品「おくすりやさんシリーズ」は怪我の功名から生まれたのですか。『ボヤキナオール』『正論丸』などオリオンイズムが充溢したダジャレ商品で、『リボバライD』なんて子どもにわかるのかと思うほど高度なものもあって。
高岡
ダジャレを考えるのが好きなんです。雑誌『ファミ通』が「オリオン ダジャレ駄菓子100連発」という特集を組んだくらい、うちはダジャレ商品が多いです。小中学生の頃に「仁鶴・頭のマッサージ」に投稿していた経験が現在に活きていますね。『シャレデッセン』『アレとちゃいまっせん』なんかも、立ち飲み屋でソーセージをつまんでいるときに思いつきましたしね。
やっぱり、大人が笑えると子どもも笑うんやね。大人も笑うかどうかという視点でいつもネーミングを考えています。


念願がかない駄菓子アイドルが大阪万博に登場

オリオンは「駄菓子で日本を、そして世界を盛り上げよう」を旗印に活躍する駄菓子アイドルユニット「da-gashi☆」も手掛けておられますね。
高岡
2018年に当社と、「パインアメ」のパインさん、「都こんぶ」の中野物産さん、「プチプチ占い」のチーリン製菓さん、「フエラムネ」のコリスさんの5社が集まって駄菓子アイドルをつくったんです。
きっかけは一般社団法人「駄菓子で世界を笑顔にする会」の理事に就任したことですね。2015年11月にフランスへ駄菓子を販売しに行ったら、現地の子どもたちが大喜びでね。ユーロより下の値の小さなコインを手にしながら買いに来てくれた。当時フランスはテロがあって、現地にいた私たちの命も危なかったんです。そんな不安な情勢だったからこそ子どもたちが駄菓子に幸せを感じたんかなと思ってね。
それで、駄菓子をもっと広めようと、アイドルを結成したという経緯があります。
駄菓子の普及のために駄菓子のライブアイドルを生み出すという発想が、気が若いですね。
高岡
実は私、60歳になる前に「何歳までこの仕事を続けられるか」と考えていたんです。それで占い師さんに今後の進路を診てもらったら、「高岡さんは2018年からよい運がたくさんくるから、もっと続けなさい」と言われましてね。それもあって、いろんな駄菓子メーカーさんに声をかけました。
結成当時の目標は「2025年の大阪万博のステージで歌う」でした。私が高校生の頃に70年大阪万博があって、その原体験は大きいですよ。そやから令和の大阪万博にもかかわれたらええなと願っていたんです。
実現しそうですか。
高岡
実は今年9月(2025)に、オリオンの所在地である淀川区からお話をいただき、お菓子のサンプリングと駄菓子アイドルのステージが実現する運びとなりました。
よかったですね! 夢がかないますね。
高岡
オリジナル曲をAIに書かせているところです。「あいうえオリオン、かきくけココアシガレット」とかね。「やりなおせ」ってダメ出しすると、書きなおしてきよる。AIっておもろいね。まあ、この曲が採用されるかどうかは知らんけど(笑)。
いやぁ、あいみょんの件といい、「2018年以降によい運がある」と言った占い師さん、めちゃめちゃ当たっていますね。
高岡
そうなんですよ。このたびご縁があって、TikTok Liveをはじめさまざまなプラットフォームで活躍する人気ライバーさんたちが商品をPRしてくれる企画にうまく乗ることができましてね。渋谷・東京・有楽町・池袋それぞれの駅でサイネージ広告や写真広告を大きく展開しているんです。
実際に観に行きましたが、「うちの会社がこんな一等地で、ほんまにええんかいな」と驚きました。

令和に入ってから怒涛の勢いですね。人生の大半を駄菓子とともに歩んだ高岡さん、その情熱の源はどこにあるのでしょうか。
高岡
やっぱり、駄菓子が好きなんですよ。駄菓子って頭が固いと新商品を生み出せないんです。「まだ大丈夫。頭はまだ柔らかい。まだアレンジできる。まだリクエストに応じられる」と確認しながら新しいことに挑んでいます。今70歳やけど、あともうちょっと、いけると思うんです。

駄菓子といえば「懐かしい」という文脈で語られがちだが、高岡さんは時流を採り入れながら商品を開発し、ネーミングをし、コピーライティングをし、SNSを運用し、AIを使い、ライブアイドルやライバーとも交流する。懐かしいどころか70代にして時代の最先端を走っているのだ。
ひょうひょうとしたユーモアの向こうにパンキッシュな精神がある。あいみょんや新しい学校のリーダーズなど令和に活躍するアーティストたちがオリオンの商品に敏感に反応したのは、そのためだろう。高岡さんが生み出すオリオンの駄菓子は、時代を超え、世代を超え、駄菓子界に燦然と輝き続ける三ツ星の味だ。
オリオン株式会社インフォメーション
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