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くわまんに聞く!【後編】がんがオレに教えてくれた、何気ない日常のありがたさ、楽しみ方

自身の大腸がんとの闘病記録を綴った『がんばろうとしない生き方』(KADOKAWA)を上梓した桑野信義さん。
がんを公表したのは、自分の体験が同じ病気に苦しんでいる人やその家族の人たちなどの役に立てば、との思いだったという。後編では病気との出会いをきっかけに経験した人生のターニングポイントについて、じっくり語ってもらおう。

前編記事はこちら→くわまんに聞く!【前編】オレが60代で大腸がんになるまでのハチャメチャ人生

桑野信義(くわの・のぶよし)
トランペット奏者、歌手、コメディアン。1957年生まれ。シャネルズを結成してデビュー。後にグループ名をラッツ&スターに改名。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)で本格的にお笑いの仕事も始める。2020年に大腸がんの宣告を受け、2021年に手術を行った。コンサートステージへの復帰を果たし、現在はがん寛解に向けて生活改善をしながら芸能活動を続けている。
目次

「ラッツ&スター40周年ツアーに半年後、参加する」その思いが唯一の心の支えだった

がんとの闘いに臨むにあたって、桑野さんのなかで心のよりどころのようなものはありましたか?

桑野
実は、がん告知を受けた2020年という年は、ラッツ&スターの結成40周年イヤーでした。そこで、記念ツアーをやろうという企画が立ち上がって、ゲネプロ(舞台や衣装など本番と同じ状態で行うリハーサル)をやるまで進んでいたんだけど、その直後にコロナ渦がやってきて、ツアーを1年延期して2021年4月に再スタートすることが決まっていたんです。

がん告知を受けたのが、2020年の9月のこと。そのとき、「半年後に始まるツアーには、絶対に参加する」という目標がすぐに頭に浮かんで、それが心のよりどころになりました。

自分ががんになったことについては、家族やマネージャーをはじめとするスタッフたちに伝えたし、鈴木雅之リーダーにもすぐに報告しました。

リーダーは、地元のひとつ上の先輩で、幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒で、いつも面倒を見てくれていた人。そんなリーダーがLINEメッセージで「桑野は大丈夫。きっと治るから」とか、「ずっと待ってるぞ」と声をかけてくれたのは大きな支えになりました。ちょうどLINEを始めたばかりのころだったみたいで、強面な顔つきに似つかわしくない、かわいいスタンプ入りのメッセージで、笑っちゃいましたけどね。

治療に向けて、どんな方針がとられたのでしょうか?

桑野
先生と話し合って決めたのは、「まずは抗がん剤でがんを小さくして、手術で切除する」ということ。

そのとき、ショックを受けたのが、がんができているのが肛門に近い場所だったのでストーマ(人工肛門)をつけて、オストメイト(人工肛門造設者)になるということ。

人工肛門というと、つけたら一生そのまま、というイメージを持つ人も多いかもしれないけど、お腹の右の「回腸」という部分に人工肛門を造設するときは、一時的な処置として設けて、その後、自分の肛門に戻すことができるということでした。

その一方、手術次第でお腹の左の「結腸」に人工肛門をつけなければならないときがあって、そうなると元に戻すことはむずかしいとの説明を受けました。

「オレの場合、どうなんですか?」と聞いても、「手術でお腹を開いてみないとわからない」との回答で、とにかく「抗がん剤でがんを小さくして手術で取り除けるようにする」という目先の目標に向かって闘病生活を始めたんです。

想像以上につらかった!
抗がん剤治療の副作用

抗がん剤治療は、どのようにして行うのですか?

桑野
「XELOX(ゼロックス)治療」といって、大腸がん治療としては一般的なものです。ゼローダという飲み薬と、オキサリプラチンという注射薬を組み合わせて「14日の投薬のあとに1週間休む1セット」を8回繰り返す、半年間の治療になります。

ただ、4月からのツアーのことを考えると間に合わなくなるので、まずは3カ月4セットをやって、がんの様子を見ながら手術のタイミングを探っていこうという方針を立てました。うまくがんが小さくなってくれれば、手術は2月。その後の3月いっぱいをリハビリに当てればツアーに参加できるというのがオレの目論見でした。

抗がん剤の副作用はつらいといいます。どんなつらさがありましたか?

桑野
治療が始まる前に病院から治療内容を説明したパンフレットをもらったんだけど、そのなかの「抗がん剤の副作用」が書かれているリストのほとんどの症状が順番にやってきた感じ。

まずは水道水にちょっと触っただけで冷たい感覚がして、お茶を飲むとしょっぱく感じる味覚障害が出てきました。最終的に冷たいものはいっさい飲めなくなりました。飲もうとすると、ノドが締めつけられるような感じがして、体が受け付けてくれないんです。
パンフレットにはオキサリプラチンの副作用として「末梢神経障害」が起こると書いてあったけど、たぶんそれに当たる症状だと思います。

それから、ゼローダの副作用として手足がヒリヒリチクチクする「手足症候群」が挙げられていたけど、これもすぐにあらわれてきました。手先と足先がしびれたり、両足のふくらはぎが熱くなる感覚があって、「うわっ、きたな!」って思いました。

いちばん苦しめられたのは、トイレです。
便意があるのになかなか出ない空ぶかし状態から下痢に変わり、トイレに何度も通わなければならない状態に。「下痢、便秘、腹痛、吐き気」というのは、オキサリプラチンとゼローダ共通の副作用なんです。

投薬の前日は病院に1日だけ入院するんだけど、最初の1セット目の投薬が済んで自宅に帰った3日後のお昼、急なめまいと動悸に襲われました。ダラダラと汗が噴き出してきて「なんだ? どうしたんだ」と動転しているうち、そのままトイレで意識を失ってしまいました。

意識を失う瞬間、「えっ、これで終わっちゃうのか。こんなにあっけなくオレは死んじゃうのか」と思ったのを覚えてます。
まぁ、このときは同居している次男がトイレで倒れているオレを救い出してくれて大事には至らなかったんだけど、その後も下痢の症状には本当に苦しみました。

パンフレットには「下痢になったときは、脱水症にならないように水分補給を心がけるように」と書いてあったので、水分は冷たいものを避けながら、できるだけとるようにしていたんだけど、飲んだら飲んだ分、そのまま出ていくのに近かった。それがものすごくつらくて、体もつねにふらつくようになっていきました。

抗がん剤に人工肛門、
階段を一つひとつ
登っていくような闘病生活

抗がん剤の副作用は、重くなったり、軽くなったりといった波はあるのですか?

桑野
投薬を続けている2週間は、ずっと何らかの副作用に苦しんでいるんだけど、次の1週間の休みで少しはやわらいでいくんです。
ただ、次のセットに移って投薬が始まると、またドカーンと症状がやってくる。

そでもどうにかこうにか4セットの投薬をやり続けることができたのは、「4月のツアーに絶対参加するんだ」という強い思いがあったから。それがなかったら、間違いなく途中で音を上げていただろうね。

それで、4セットの治療を終えて、がんは小さくなったのですか?

桑野
なったんです。幸運なことに。

最初に入院したとき、「自分がどのようにがんと闘ったのか」を記録したいと考えて「入院闘病記録」をノートにつけてました。
抗がん剤治療の記録で1冊目のノートは埋まり、2冊目のノートの始めにオレはこんなことを書きました。

「ゼロックス療法4セットを終え、手術に臨む
戦いはこれからだ
正直怖いし、凹んでいる
死を覚悟しているが……
家族のため もう一度生きるチャンスを!!」

ところで、手術を受けるにあたってもうひとつ、「人工肛門は右につくのか? それとも左につくのか?」という懸念材料がありましたね?

桑野
14~15時間の手術を終えて意識が戻ったとき、まっ先に聞いたのが「人工肛門は、どっちについていますか?」という質問でした。
「右です」と答えてもらったときは、気が抜けるほど安心したものです。

とにかく、「抗がん剤でがんを小さくして手術で除去する」、「人工肛門を外せる可能性が高い右につけてもらう」という2つの幸運に恵まれて、それまでの苦労は無駄じゃなかったな、ということをしみじみと感じました。

がんを公表したのは、
志村師匠の命日の前日だった

手術を無事に終えて、4月の40周年記念ツアーへの参加は現実味をおびていったわけですね?

桑野
そうなんだけどねぇ……。

気持ちの上では100%、「絶対に出る」だったんだけど、手術を受けた2月はツアー開始の告知をして、チケット発売を始める時期でもあったから、現実的に「本当に出られるのか」ということを考えなくちゃならなかった。
「出る」という意志を貫くとしても、やっぱり無理だった……となったとき、「ごめんなさい」で済まされることじゃないんです。

退院後はすぐにリハビリを始めたんだけど、糖尿の薬との兼ね合いでめまいや立ちくらみがあったし、トランペットを吹いたとき、ほとんど音が出なくてショックを受けました。

トランペットのほうは練習で何とかなったとしても、体調面でステージに立てるほど回復できるかどうかは正直なところ、自信がなかった。無理を通したとしても、スタッフやメンバーたちに迷惑をかけてしまうかもしれない……。
そう考えて、ツアー参加を断念することにしました。

さぞ、ガッカリされたことでしょうね。

桑野
そりゃ、もちろんね。

ツアーに参加しないのであれば、どうしてなのかを説明する必要があります。そこで、がん闘病をしていることを公表することにしました。

マネージャーと文面を話し合って、それをブログで公表したのは3月28日のこと。奇しくも、志村けん師匠の1周忌の命日の前日でした。オレは今でも師匠が亡くなったなんて信じていないんだけど、このときは自分が置かれている境遇も含めて、残念な思いでいっぱいになりましたね。

抗がん剤治療5セット目。
オレのなかで何かがキレてしまった

その後、治療を続けるあたって、桑野さんの心の支えとなったのは何だったのでしょう?

桑野
ありがたいことに、鈴木雅之リーダーはLINEを通じて「7月のツアーファイナルの大阪公演で元気な姿を見せてほしい」とメッセージを送ってくれて、気持ちはそっちのほうに切り換えることができました。

ただね、5セット目に再開した抗がん剤治療は、思っていた以上につらかった。

オキサリプラチンを点滴した直後から手が冷たくなって、強烈なしびれが出てきました。熱いタオルで温めてもらっても、いっこうに楽になりません。
抗がん剤の点滴を打つと、血管が硬くなるんですが、このときは「これが本当にオレの血管なの!?」ってくらいの違和感がありました。

それは、1~4セットの抗がん剤治療のときに感じていたつらさとは別のつらさがありました。なんというか、それまでと違って、精神的にまいっていたというのかな。
ツアーに4月から参加できなかったから落ち込んでいたといった話ではなく、抗がん剤の副作用でうつ状態になっていたんだと思います。

抗がん剤治療はこのときを入れて、まだ4セットも残っている。こんな状態が続くのであれば、7月の復帰どころの話ではなくなってしまう。そう考えると、どんどん気持ちが落ち込んでいきました。

そして、5セット目の抗がん剤治療を終えた時点で、「抗がん剤をやめる」という決断をするに至るんです。

自分自身の責任において
抗がん剤をやめた理由

「抗がん剤をやめる」というのは、勇気のいる決断だったのではないですか?

桑野
主治医の先生とも、よく話し合いましたよ。そのとき、先生が説明してくれたのは、こういうことでした。

「抗がん剤治療を続けたからといって、絶対に再発しないとは言えません。やらなかったからといって、再発するとも限りません」

要するに、がん治療の効果は患者それぞれにみんな違うので、ある人にある薬が効果が出たとしても、別の患者にも効くかどうかはわからないということ。だから、最終的に治療をどうするかを決めるのは患者本人なんだと。

そこで、オレ自身の責任でもって、オレ自身が「抗がん剤はやめる」ことを決断したんです。

誤解されては困るので断っておくけど、オレは抗がん剤治療そのものを否定しているわけではありません。だって、がんを小さくして手術できるようになったのは、最初の1~4セットの抗がん剤治療のおかげなんだから。

でもこのときは、残りの3セットをやるメリットより、リスクのほうが大きいと判断した。それだけのことです。

人工肛門とのお別れ。
そして新たな試練とオムツ生活

5月には、人工肛門を外して、自分の肛門に戻す手術をされていますね。

桑野
人工肛門には「パウチ」と呼ばれるストーマ袋が取りつけられていて、排泄物は不定期に人工肛門から出てきてパウチに溜まるんだけど、手術が終わって1週間後、パウチのつけ外しや排泄物を処理する方法などを教えてもらう「ストーマ講習」というのを受けたんです。
なかには、うまくパウチを貼れなかったり、中のものを漏らしちゃったりする人もいるらしいんだけど、オレは優等生で、1回も失敗することはありませんでした。

着けていたのは3カ月間だったんだけど、その間に愛着のようなものが湧いてきて、「桑野ジュニア」なんて名前を付けて呼んだりして(笑)。

手術は2時間半くらいで順調に終りました。でも、そのあとが大変だったんです。
下痢には抗がん剤治療のときから苦しまされたけど、人工肛門を外した後の下痢はそれよりさらにひどくて、ほとんど水のような感じで、何度も何度もトイレに通うことになりました。
おまけに自分の意思でコントロールできないので、オムツが手放せなくなりました。
トイレに通いながら、オムツに漏らす。その繰り返しが、延々と続くんです。

お尻からしてみれば、「3カ月も放っておいたくせに、今さら働けって言うのかよ」と不満をつのらせてストライキを始めたようなもの。まぁ、気持ちはわからないでもない(笑)。

先生から説明を受けたんだけど、これも頼りない返事でね。だって、「3カ月で元に戻る人もいれば、長引く人もいます。半年や1年かかる人もいれば、ずっと治らない人もいます」っていうんだから、答えがないってことと同じじゃない。
やっぱこれも、「がんは患者それぞれにみんな違う」ってことなんだよね。

ちなみに、人工肛門を外して1年2カ月経った現在(2022年7月)でも、オムツは卒業できてません。そう、闘いは今もまだ、続いているんです。

7月の大阪公演で「第二の復帰」。
最高の気分を味わった!

さて、ラッツ&スター結成40周年ツアーのファイナルとなる大阪フェスティバルホールでの大阪公演が2021年7月7日に行われました。桑野さんの「セカンド・カムバック」となる出演は、実現できたのでしょうか?

桑野
その前哨戦になったのが6月12日、ツアー後半の中野サンプラザの東京公演の会場でのリハーサルでした。

すでに抗がん剤の副作用からは解放されていたから、問題はトイレだけ。トランペットの練習もその日に合わせて毎日やっていて、万全の準備をして臨みました。

当日はさすがに周囲もオレのことを気遣って、専用の椅子を用意してくれたり、「吹かなくてもいいから、感じだけつかんでくれれば」なんて言われたりして、みんなが自分に気を遣っている雰囲気がありました。

でも、オレのほうでも「やっとメンバーと合流できた」と喜びと達成感があったから、椅子も断ったし、立ったままでトランペットを吹き終えたんです。たぶん、今聞けばペナペナな音だったと思うんだけど、普通には吹けた。そのことが自分にとっての自信にもなったし、メンバーや周囲のスタッフにも「くわまん復帰」という事実を認識してもらったきっかけになったと思ってます。

とはいえ、7月7日の大阪フェスティバルホールに立ったときは、「今の自分の能力を最大限に発揮したパフォーマンスをしよう」という気持ちが先に立って、あまりくわしいことは覚えてないんです。

「4月からのツアーに参加する」ということを断念したとき、オレは鈴木雅之リーダーに「心はステージの上。いつもリーダーの斜め後ろにいさせてもらいます」というメッセージを送っていました。そして、「その場所は、桑野のためにとっておくよ」という温かい言葉もいただいていて。

だから、斜め後ろから見たリーダーの背中と、会場を埋め尽くしたお客さんの歓声を受けたときは感無量でしたね。一度はむくいられなかった思いだったけど、これまでがんと闘ってきたことの意味を感じた瞬間だったと思います。

がんを経験して、
人生の見方が180度変わった

2020年9月のがん告知からの1年10カ月を振り返ったとき、どんなことを思いますか?

桑野
大袈裟な言い方かもしれないけど、人生に対する考え方が180度変わったと思う。

たった3か月間だったけど、人工肛門をつけたことは自分にとって、すごくいい経験だったと思ってる。これをきっかけに街中の公共施設のなかにオストメイトマークのついた多目的トイレが増えていることに気づくようになったし、自分と同じ経験をした人が世の中にたくさんいるんだなぁと実感することも多くなった。

今回の経験で、生活を共にしている家族はもちろん、メンバーをはじめ、マネージャーやスタッフ、仕事での付きあいをしている多くの人々に支えられたし、そのことへの感謝の気持ちを持てたことも大きいね。「ありがとう」と口に出して気持ちを伝えられる機会はそう多くないけど、自分のなかのそういう気持ちに気づけたのはありがたかったなぁ。

総じて振り返ってみると、オレはいくつもの幸運にも救われてきました。変な言い方かもしれないけど、2020年4月にラッツ&スターの結成40周年ツアーがコロナのせいで1年先に延期されたことだって、オレにとってはプラスに働いたと言えるかもしれない。

「ステージ3から4のあいだ」という状態でがんを告知されたのが、同じ年の9月。もし、予定通りツアーが始まっていれば、オレの性格を考えると、血便なんかの体の不調を誰にも打ち明けずにツアーを優先していたに違いない。そうなっていれば、がんが見つかったときには、手をつけられない状態になっていたでしょう。

そう考えてみると、桑野さんが「運」によって救われた面も大きかったように見えますね。

桑野
オレは神様みたいな存在は信じていないんだけど、彼岸にいる母親に守られたって気持ちはずっと持ち続けています。

母親は2001年に67歳で亡くなったんだけど、朝起きていちばんにするのは仏壇に手を合わせて「おはよう」とあいさつすること。がんが発覚したことはもちろん、それまで自分の人生で起きたことをまっ先に報告してきました。

子どものころのしつけに関して母親は、とにかく厳しい人でした。食事中は、いっさいの私語禁止で、正座で食べさせられたし、「男は人前で歯を見せて笑うな」とか、「ゴミ捨ては女の仕事で男がやるものじゃない」とか、今の常識から見れば頑固な考えを持っていました。

その反面、オレが悪さをして学校とかから呼び出されたりすると、すぐに駆けつけて謝ってくれました。親父はめったに家にいない人だったから、オレに付きっきりで教育してくれていたんだと思います。「子どもは一人でいい。そのかわり大事に育てろ」って、親父に言われてたみたいだしね。

病気で苦しんでいるとき、そんな母親がいつも見ていて、オレを守ってくれていた、そんな思いがあります。

大事なのは、
日々の何気ない生活を楽しむこと

ステージ復帰を無事に果たし、芸能活動を順調に再開している桑野さんですが、今、目標にしていることは何でしょう?

桑野
それはズバリ、「がん摘出手術から5年後の寛解(かんかい)」です。

寛解とは、がんが縮小、あるいは消失している状態のこと。検査などで一部に異常が残っていることがわかれば「部分寛解」となるし、異常が認められなくなっていれば「完全寛解」となります。

現在のところ、オレの体にはこれといった異常がないので「完全寛解」と言える状態なんだけど、がんは5年間は「再発」の可能性が高いと言われているので完全に安心できるわけじゃない。だから、がんを除去した時点から5年後が病気を乗りこえたかのひとつの目安になるんです。

オレの場合、手術をしたのが2021年の2月5日だから、2026年の2月5日がとりあえずのゴールになるわけです。

「5年後の寛解」を目指して、どんなことに取り組んでいますか?

桑野
抗がん剤をやめたので、自己免疫力を高めることを意識した生活をしています。

大事にしているのが睡眠、食事、適度な運動、体を冷やさない、ストレスなく笑って過ごすということ。なかでも睡眠は、夜公演に出演する日を除いて、入院したときの病院の消灯時間である9時就寝が基本です。最近では、8時を過ぎると自然と眠くなっちゃう。

起床は4時とか5時くらいで、お湯で薄めてハチミツを入れた黒酢を飲みながら、黒にんにくを食べます。いずれも栄養価が高くて、冷えを防ぐ効果があると言われているので始めたんだけど、何より「おいしい」んだよね。1日を始めるのにふさわしい瞬間です。

この時点で、家族はまだ起きてません。その間に、今年で17歳になるミニチュアダックスの高齢犬のオムツを替えたりして、部屋のなかで一緒に過ごします。オムツ替えのタイミングは自分と一緒なんで「オレたち、オムツブラザーズだな」なんて話しかけたりして(笑)。

家族が起きてくる前にはスムージーと生姜スープを自分で作って飲んだりして、午前中のウォーキングを始めます。少しずつ距離を延ばしていって、最低でも4~6㎞くらいは歩いてます。

食生活も、肉類や揚げ物が中心だった若いころと違って、野菜と魚が多くなったかな。もっとも、アブラものは病気をする前から好まなくなって、トンカツとかは衣を除いて食べたりしていたから、年相応に食が細くなっていきました。

そうした日常の様子をYouTube「カンバー桑野チャンネル」を通じて発信したり、『がんばろうとしない生き方』(KADOKAWA)を出版して、自身の闘病体験を発信している桑野さんですが、最後に病気と闘っている人やその家族、これを読んでいる人たちに「元気を維持するコツ」をアドバイスしていただけませんか?

桑野
とにかく、何気ないように思える日常を楽しむことだと思う。朝のスムージーや生姜スープ作り、それからゆっくりと体を動かすウォーキングなんかは、自分が「楽しい」と感じられるから続けられるんだよ。

あと、がんを除去するために入院した日から始めた「入院闘病記録」のノートは、今も続けているんです。
体温、血圧、それから、パルスオキシメーターで測った血中酸素飽和度、トイレやオムツ交換の時刻と回数は必ずノートに書くことが習慣になってます。
これも、「楽しい」から続いているんだと思う。日々の自分の体の変化に気づけるからね。

それからノートには、「部屋の整理をしよう」とか、「トランペットの練習をしよう」とか、翌日や翌々日に後まわしにできるようなことも書いておいて、その日のうちにクリアしておくことにも心がけてます。

なんたって、「5年後の寛解」という目標に達するまで、あと3年8カ月。それまでに目に見える階段を一歩一歩、登っていくしかないでしょ?

とても励みになるお話、ありがとうございます。


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弱虫なオレだけど、前へと歩き続けられた!

同じような経験をして苦しんでいるひとに、とても「がんばれ」とは言えない――。
頑張ったって、痛みも苦しみも消えてくれない。
すべて受け入れる。
だけど、あきらめない。
桑マンがくじけず闘うなかで見つけた生き方を明かす。
シャネルズ( 現ラッツ&スター)40周年記念ツアーを控えていたとき、
大腸がん(ステージ3b)、リンパへの転移が判明。
桑マンの闘病の日々が始まった――。
「またみんなの前で、トランペット&ホラ吹きまくります!」
苦しさを乗り越えるヒントがきっと見つかる!

目次

  • はじめに
  • 第1章 告知――正直、怖かった
    • 「内視鏡検査」を受けるのが怖かった
    • がんだと告知されて大ショック
    • 抗がん剤治療と人工肛門
    • 「生きた証」として、闘病の日々を記録
  • 第2章 治療――ファイトだ、桑野
    • こんなにあっけなくオレは死んじゃうのか……
    • 副作用はいまも残っている
    • クリスマスと正月は家で過ごせた
    • 抗がん剤治療の結果発表
  • 第3章 手術――恥ずかしいことはなくなった
    • 「ダヴィンチ手術」でがんを切除
    • 「人工肛門はどっちについてますか?」
    • ラッツ&スターへの想いは、日本でオレがいちばん!
    • あと何回桜を見れるのだろうか
  • 第4章 音楽――ただいま! みんな
    • 抗がん剤をやめる決断
    • 人工肛門に愛着が湧いてきていた
    • 夢に出てきてくれた志村けん師匠
    • 神様がいるなら許してください
    • そして大阪公演! 本当に帰ってこられました
  • 第5章 笑顔――恩を返していくんだ
    • 腫瘍マーカー検査と免疫力アップ大作戦
    • クッキングパパも復活!
    • 模範囚にも近い、優等生な毎日
    • トランペットを持って日本全国を回りたい
    • 簡単には死ねない! 絶対に生きていきます

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=松谷祐増(TFK)

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
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