かっこよい人

志茂田景樹インタビュー!【前編】
要介護4の車いすユーザーから見える世界

直木賞作家の志茂田景樹さんが『生きる力 83歳車いすからのメッセージ』(MdNコーポレーション)を上梓した。
2019年の春、不意の転倒が原因で車いすユーザーとなり、現在は要介護4の身になった顛末や、20種以上の職を転々としていた時代をふり返った痛快エッセイだ。
そこで、志茂田さんが1日の大半を過ごしているご自宅を訪ね、さまざまなことについて語ってもらおうと思う。
なんと志茂田さんは、要介護4の身になっても、バイタリティあふれるポジティブじいさんだったのだ。

記事は前編と後編に分けて公開します。

志茂田景樹(しもだ・かげき)
1940年、静岡県生まれ。中央大学法学部卒業後、さまざまな職を転々としながら作家を志す。1976年、『やっとこ探偵』で小説現代新人賞を受賞。40歳のときに、『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞する。その後もミステリー、歴史、エッセイなどの多彩な作品を発表する。また、「よい子に読み聞かせ隊」を結成。自ら隊長となり「読み聞かせ」の実践活動を通して多くの子どもたち、そのお母さん、お父さんと交流を深める様子は、多くのメディアに取り上げられてきた。2010年4月からtwitterを開始。読む者の心に響く名言や、質問者に的確なアドバイスを送る人生相談が話題を呼んでいる。
目次

温泉地で療養するつもりが、
転倒して車いすユーザーに

まずは、志茂田さんが車いす生活になったいきさつをお教えいただけませんか?

志茂田
最初は2017年の5月、77歳になったときに関節リウマチを発症したんです。

それでも、59歳から始めた「よい子に読み聞かせ隊」や講演、テレビ・ラジオの出演などは市販の鎮痛剤を飲みながら何とかやってました。

そして、2019年の5月、西会津の温泉に1週間ほど滞在するつもりで出かけたんです。リウマチに効くかどうかはわからないけど、気晴らしにはなるだろう、と。

宿について、フロントの絨毯の床にあがろうと靴を脱いで上がろうとしたとき、バランスをくずして仰向けに倒れてしまったんです。

段差は15センチくらいだったでしょか。倒れたのがタイルの床だったので、とっさの判断で頭は守ったんだけど、左の腰を強打してしまいました。

養生のために温泉に行ったのに、残念でしたね。痛かったでしょう?

志茂田
僕は痛みには強いほうなので、たいていの痛みには耐えられるんだけど、それでもかなりの激痛でしたよ。

それでもせっかくの温泉だから、妻の介護を受けながら2泊は滞在しました。

でも、その翌日にベッドから起きられなくなり、生まれて初めて救急車に乗って病院に行きました。診断の結果は、腰椎圧迫骨折でした。

骨折のほうは2カ月ほど静養して完治しましたが、関節リウマチは悪化して車いすユーザーになりました。要介護3と認定されて、2022年には要介護4になりました。

車いす生活になって、どんな変化がありましたか?

志茂田
まず、外出する機会がめっきり減りました。3カ月に1回の通院と、2カ月半に1回の美容院通いなどで年間8、9回くらい。

ただ、幸いなことに21年前に建てた自宅の1階は、リビングと寝室、風呂、トイレ、書斎が仕切られていない間取りになっていて段差がないので、日常生活には人が思うほどの不便を感じていません。自分が車いす生活になるのを想定していたわけではないけど、たまたまそういう設計にしていたんですね。

本当を言えば、家の造りより妻の介助や、数種の介護サービスの恩恵でやっと生きているんですが、気分はイケイケなんですね。

パソコンを一本指でパチパチ叩いて書いた小説も、来年には1冊、出版することができそうですし、SNSへの発信のペースも変わっていません。

いちおう、1日5時間と決めていますが、僕の書いた作品を読みたいという読者がいると思えば執筆はやめられませんし、僕のメッセージを心待ちにしているフォロワーのみなさんのためにもTwitter(現・X)への投稿は続けようと思っています。

ですから、こんな体になってしまって、という嘆きはないわけではないけれど、今は自分の境遇を素直に受けとめています。この状態を新しい自分の世界の出発点だと思えば、前を向くしかないじゃないですか。

SNSを通じて今の若い人の
悩みに寄りそうようになった理由

Twitter(現・X)は2010年に始めて、2023年11月現在でフォロワー数は43万人に達しています。どんなきっかけで始められたのですか?

志茂田
女流作家の内藤みかさんが『夢をかなえるツイッター』(技術評論社)という本を出して、「志茂田さんもやってみたらどうですか?」と薦めてくれたんです。

当時、僕はガラケー持ちで、スマホは持っていなかったから、パソコンで始めました。

自分で簡単に更新できるし、新刊の宣伝にちょうどいいと思ったんですね。

それから現在に至るまで13年もの間、毎日更新されていますね?

志茂田
2回か3回くらいは休んだ日もあると思いますけどね。

更新が頻繁になったのは、フォロワーのみなさんから悩み相談が寄せられるようになったからです。

一問一答で回答できていたのはわずかな間で、すぐに順番待ちの相談が20個、100個と積み上がるほどになりました。今は、この人には答えたいという相談のみにお答えさせていただいています。パソコン、スマホに向かう時間が限られているためと、体力の低下を感じているためですが、大変申し訳ないと思っております。

若い人からの悩み相談が多いようですね。なぜでしょう?

志茂田
さぁ、僕もよくわかりません。

ただ、若い人からの相談には、「今はこんな悩みがあるのか」と目を開かせるものがあって、こちらも勉強させてもらうような気持ちでお答えを返しています。そういう、こっちの、ある種の真剣さというものが伝わるのかもしれません。

今の若い人たちの悩みには、どんな特徴がありますか?

志茂田
1990年代半ばから2010年序盤生まれの年齢層の若者をZ世代といいますが、そのあたりから意識がくっきりと分かれているような気がしますね。

バブル景気を知らない世代ですから、悩みも深刻です。自分の将来に対して不安を感じている人が多いように感じます。ブラック企業で働く若い人たちは、心身のリズムを壊しがちですね。社会の中でもっと声を挙げていいと思いますよ。

ですので、そういう人からの相談には、できるだけ親身になって答えてあげたいという気持ちになります。

映画のエキストラのバイトに
明け暮れた学生時代

志茂田さんが20代の若者だったころ、日本は高度経済成長期でした。当時、将来に対してどんな夢を持っていましたか?

志茂田
大学時代は映画研究会の部長になるほど、映画に夢中でした。

笑われてしまうかもしれないけど、映画俳優になろうとニューフェイスに応募したこともあります。

それから、調布の日活スタジオや世田谷の東宝・新東宝撮影所などに通ってエキストラのバイトもよくしました。セリフはないけど、通行人だったり、盆踊りの櫓のまわりで踊りをおどる役なんかをやってました。

若大将シリーズの何回目かの映画ロケにも行ったことがあります。芦ノ湖でのロケ撮影でしたが、助監督に「湖に飛び込んでくれ」と頼まれて尻込みしました。僕は5歳のときに耳の病気をして以来、今に至るまで軽度の難聴なんです。だから学校の水泳の授業ではプールの外で見学するだけでしたから、湖なんかに飛び込んだら沈むだけです。こっちは断るのに大変な苦労をしたのを覚えています。以来、エキストラのバイトはやめました。

そんな調子でバイトに明け暮れていたものだから、2年間も留年してしまいました。

社会人になるのに、出遅れてしまったわけですね?

志茂田
景気のいい時代でしたので、ちゃんと勉強をして普通に卒業していれば、いい就職口はいくらでもあったはずです。でも、履歴書に「留年」の2字が入っていると、白い目で見られるような風潮がありました。

そのせいで、20種以上の職業を転々とする、転職人生が始まるわけですけど。

20種以上の転職ですか! すごい数ですね。

志茂田
まだ3日目なのに、上司から罵声を浴びて行かなくなっちゃったのも含めれば、もっと数は多くなります。

別荘地のセールス、教育図書の出版社、人事興信録の取材・販売、探偵など、雑多な職種を渡り歩きましたけど、いちばん長く続いたのは保険調査員の仕事で、これは1年ちょっとやりました。

20種以上の転職の末に
たどりついた小説家への道

保険調査員の仕事では、どんなことをするんですか?

志茂田
亡くなった人の死亡診断書をもとに実際の死亡状況を調査して、生命保険の支払が妥当かどうかを調査する仕事です。

僕は保険会社の社員調査員ではなく、複数の保険会社と契約して調査を行う調査会社の調査員でした。複数の調査案件を抱えて日本全国、いろいろなところを訪ねて調査する仕事はある程度、自己裁量でできたので気楽だったんですね。

それに、地方の知らない土地を訪ねる楽しさもあって、旅好きの欲求を満たしてくれました。

もうひとつの副産物は、本を読むおもしろさを教えてくれたことです。

本は子どものころからよく読んでいたんですか?

志茂田
小学生の頃には谷崎潤一郎を呼んでいましたよ。でも、高校のころから映画にはまり、小説はまったく読まなくなりました。大学に入ると、他学部の学友に「文学青年」と呼ばれるような本の虫がゾロゾロといましたけど、当時の僕は小説本からは遠ざかっていました。

そんな僕が再び本を読むようになったのは、生命保険の加入者が、とんでもない田舎にもいたからです。急行の駅を降りてローカル線に乗り換えて、降りた駅から1日に3本しか走っていないようなバスに乗って行くようなところにもよく行きました。

そんな最果ての地のようなところにも、宿泊できる宿はあるんです。当時は富山の薬売りのように津々浦々を旅して商売をしている行商人がたくさんいましたから、需要があったんですね。

そういう宿にもテレビがあって、寝るまでに見て時間をつぶそうとするんだけれども、夜は大概、ザーッという音と走査線しか映っていないんですね。それで、仕方がなく本でも読むかと思ったんです。

どんな本を読んでいたんですか?

志茂田
小説にはくわしくなかったから、特定の好きな作家もいなくて、いろんな作家の作品を手当たり次第に読んでいました。そのうち、最新の作品が連載される文芸誌も読むようになったんです。

すると、文芸誌というのはおのおの、新人発掘のために新人賞というものを主催していて、定期的に若手作家をデビューさせるシステムがあることを知りました。

それで、受賞作を読みますとね、これくらいのものだったら僕にも書けるんじゃないかと思ったんです。

それが28歳のときのことです。遅ればせながらの「文学青年」を志したわけです。

小説家デビューに7年かかった。
苦難を支えた妻のひとこと

新人賞の応募を始めたのが28歳のとき。その後はどんな風に進みましたか?

志茂田
最初に応募したのは、1年後の29歳のときで、それが二次選考を通過しました。それで自信を持って、3年もすれば小説家デビューを果たせるんじゃないかと思いました。

「石の上にも3年」という箴言がどこか頭にあったのでしょう。最長で1年ちょっとしか続かない転職生活にもピリオドが打てるかもしれないと、新たに見つけた目標に向かって努力する決心をしました。

最初のころは、二次選考に進んだり、一次選考で落ちてしまったりの一進一退が続きました。応募4年目でようやく最終選考に残ったりもしましたが、受賞には至りませんでした。

そこからの日々は、地獄の道のように辛かったんです。

それは、どんな種類の辛さだったんですか?

志茂田
当時はすでに結婚していて、妻と共稼ぎだったんですが、長男が生まれて妻が専業主婦になったんです。

その一方で、僕はフリーライターとして取材した記事を週刊誌に寄稿することで生活費を稼いでいました。まだ日本の景気がよかった時代ですから、稼ごうとすればいくらでも仕事はあったんです。

そういう仕事の傍ら、新人賞への投稿も続けていて、あるとき、自分でも自信のある作品ができて受賞できると思ったんですが、それまでの僕の候補作入りした複数の作品と傾向が同じだということで見送られてしまったんです。

このときはさすがに落ち込みました。そのころ、小説を書くのはフリーライターの仕事を終えた夜10時過ぎでした。手書きの原稿用紙を2~3行書いてはクシャクシャとまるめてゴミ箱に投げ、また2~3行書いてはゴミ箱に投げという作業を繰り返していました。

スランプ状態になっていたんですね?

志茂田
妻は僕が作業を始めて1~2時間経つと、紅茶を淹れて持ってきてくれるのが日課でした。

あるとき、紅茶にケーキをつけて持ってきてくれた妻に、僕は「辛くてしょうがないので、もう応募はやめようと思う」と、正直な気持ちを告白したんです。

ところがそのとき妻は、「私は反対だわ」と反論しました。そのことに僕自身、すごく驚きました。
なぜなら、作品応募のための夜10時からの作業を辞めてフリーライターの仕事に専念すれば、生活はもっと楽になるはずなのに、彼女は僕が小説家デビューする未来を望んでいたんです。

目の前に立ちはだかっていた壁が、ガラガラと崩れていくような感覚でした。

そこで、発想を切り変えて、単なるミステリーではなく、登場人物の人間性を深掘りすることを心がけ、応募先を『小説現代』の新人賞に変えて受賞できたのは、36歳のときでした。小説家になることを志して、7年の年月を要したわけです。

興味深いお話、ありがとうございます。インタビューの後編では、タレントとしてテレビに出演するようになってきっかけ、今後の夢などについてうかがっていきましょう。

後編記事はこちら→ 志茂田景樹インタビュー!【後編】僕が要介護4になってもポジティブでいられる理由

 

志茂田景樹『生きる力 83歳 車いすからのメッセージ』好評発売中!

志茂田景樹著『生きる力 83歳 車いすからのメッセージ』表紙
Amazon詳細ページへ
  • 著者: 志茂田景樹
  • 出版社:エムディエヌコーポレーション
  • 発売日:2023年7月21日
  • 定価:1,650円(税込)

ヘマな人生を送ってきた僕が、やっと気づいたことがある!

今の自分を駄目だと思うな。
今を生きているんだから、今の自分が一番なんだ。
すべては今から始まるんだから、今の自分を信じろ。

直木賞作家が放つ、渾身のエッセイ。

取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=桑原克典(TFK)

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
この記事について報告する
この記事を家族・友だちに教える