かっこよい人

久本雅美インタビュー【前編】60代に
なっても結婚あきらめてませ~ん宣言

エッセイ『みんな、おひとりさま』(幻冬舎)を上梓した、お笑い女優の久本雅美さん。
ひとりだけど、ひとりじゃない。笑ってグッとくるマチャミ節満載の傑作エッセイだ。
そんな久本さんに、傑作ギャグ「ヨロちくび~!」の誕生秘話から、「未婚キャラ」を確立するまでのいきさつ、それから60代になってもイキイキと生きる方法などについて話を聞いてみた。読めば元気になる爆笑インタビューだ!

記事は前編と後編、2回に分けて配信していきます。

久本雅美(ひさもと・まさみ)
1958年7月9日生まれ、大阪府出身。劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、1984年に柴田理恵らと劇団『WAHAHA本舗』を結成する。軽妙なトークで人気を博し、『秘密のケンミンSHOW』『ヒルナンデス!』(ともに日テレ系)など数多くのバラエティ番組に出演。女優としても活躍する。
目次

「お笑い」は私にとって
「自己表現」そのものなんです

久本さんの肩書きは「お笑い芸人」ではなく、かといって「お笑いタレント」でもなく、「お笑い女優」なんですね?

久本
そうでーす! 果たして、そういう肩書きが世の中に定着しているかどうかはさておき、そう名乗るのが私にとって、いちばんしっくりくるみたい。

確かに、過去にはシェイクスピアの『真夏の夜の夢』や『ロミオとジュリエット』など、シリアスなお芝居に出演されて、しっかり「女優」してますもんね?

久本
オファーをいただいたから挑戦したんだけど、元々お笑いをやりたくてこの世界に入ったので、受けていいものなのか、最初は悩みましたよ。

でも、お笑いをするためには、いろんな経験を積むことが役に立つと思って、お受けすることにしたんです。確か、『真夏の夜の夢』に出演したのが31歳、『ロミオとジュリエット』が34歳のときだから、何でも吸収してお笑いに活かしていこうと考えられる年齢でもあったしね。

やはり、久本さんの活動の軸は、「お笑い」なんですね。どうしてでしょう?

久本
私は「大阪で生まれた女」ですから、小さいころから人を笑わせるのが好きで、高校の進路相談では先生から「進学するか、吉本に行くか、どっちやな」と言われたりしていました。
でも、芸人になるって、今ひとつピンとこなかった。おもしろいことは好きなんだけど、私がやりたいお笑いはなんかそっちじゃない。

そんな風に自分の中で模索していたある日、佐藤B作さんが主宰する劇団東京ヴォードヴィルショーのお芝居を観たんです。「お芝居でこんなに人を笑わすことができるんだ。カッコいい!」と感動したのが私の出発点でした。

東京ヴォードビルショーで3年お世話になった後の1984年、喰始を主宰として劇団WAHAHA本舗を旗揚げしました。自分たちのオリジナルの笑いを思う存分追求するためにね。

だから、「お笑い」というのは私の中では「自分を表現すること」とイコールなんです。始まりから今に至るまで、そのスタンスはずっと変わってません。


女を捨てなければ笑いをとれない
そんな私を丸ごと愛して

お笑いの道に進んだ女性が必ず通らねばならないのは、「恋愛とお笑いをどう両立するか?」という壁だといいます。久本さんの場合、それはどんな風にやってきましたか?

久本
忘れもしない、劇団を旗揚げして2年後の1986年、第9回公演で「バカ・ウーマン・ショー」という劇をやったときのことです。

その劇で私は、らくだのシャツに股引を着て、股間には「おかめ」と「ひょっとこ」のお面、乳首にオチョコをつけた格好で舞台に立っていました。そして、お客さんの中に入っていって、「ね~、ひょっとこ取って取って~」と迫るんです。

ところがその日、観客席に好きになったばかりの男の人がいるのがわかって、急に恥ずかしくなって。「女が出た」ってヤツです。

当然、「取って取って~」というセリフも動きも小さくなって、「爆笑」を取れたはずが、「小受け」くらいになってしまいました。

それで、舞台が終わって楽屋に戻った途端、号泣したんです。
好きな人が観に来ているというだけで自分のやっていることを「恥ずかしい」と感じるなんて……。そんな自分が悔しかったし、アイデアを練って、何ヶ月も稽古をして一緒に劇を作り上げてきた仲間に申し訳ないと思うと、涙が止まりませんでした。

ツラいですね…。その後、そこから立ち直ることはできたんですか?

久本
逆に、この経験のおかげで吹っ切れました。
どんなにバカみたいな格好をしようが、女を捨てた行動をしようが、そんな私のすべてを引っくるめて好きになってくれる男性はきっといる。そう、「オレの女房は日本一おもしろいんだ」って森三中の大島(美幸)を選んだ鈴木おさむちゃんのような人こそが私の理想の人なんだって、心から思えるようになりましたから。

「ヨロちくび~!」は私のトレードマーク

このときの経験がなければ、お馴染み「ヨロちくび~!」のギャグも生まれなかったことでしょうね。このギャグが生まれたきっかけは?

久本
不思議なことに、ネタとして事前に作ったものではないんですよ。
何かの番組で出演者が順番に「頑張りまーす」と抱負コメントを語る場面があって。
自分の番が回ってきたとき、「精いっぱいチャレンジしま~す。ヨロちくび~!」って、自然と両手のジャスチャーと言葉が出てきたんです。まるで脊髄反射のように。

それが確か、30代前半のころだったから、今に至るまで30年も「ヨロちくび~!」ってやり続けてる。

振り返ってみると、このギャグがこれだけ長生きしているのは、ブレイクしなかったことが大きかったと思ってます。
こういう一発ギャグって、流行語大賞をとるような爆発力のあるものがこれまで何度も生まれてきたと思うんだけど、そうやって「時代の象徴」みたいな存在になると忘れられるのも早いじゃないですか。でも、「ヨロちくび~!」はそうならなかったし、真似をしてくれる人もそんなに現れなかったから、細々とながらもやり続けてこれたんだと思います。

実際、どんなにおもしろい芸人さんでも、「ヨロちくび~!」を真似して久本さん以上に笑いをとれる人はいないと思います。

久本
私の中のささやかな自慢は、かの有名なハリウッド俳優のウィル・スミス様が「ヨロちくび~!」をやってくれたこと。

来日したウィル様が、SMAPの番組に出演して、メンバーから教わった「ヨロちくび~」を番組中で披露してくれたんです。
後日、スタッフが私のところへやってきて「見本のVTRを撮らせてください」と言うのでカメラの前で全力でやりましたよ。あれはうれしかったなぁ。

今でも、「一緒に写真を撮らせてください」って頼んでくる人に「ヨロちくび、いいですか?」と言われればよろこんでやってるし、SNSでもいろんな種類の「ヨロちくび」スタンプがあるみたいだから、このギャグは私のトレードマークとして、これからも大事にしていきたいと思ってます。もちろん、ギャグに著作権はないんでご自由にお使いください!

30代から始まって
40代で定着された「未婚キャラ」

ギャグだけじゃなくて、テレビに出ている久本さんには「未婚キャラ」としてのイメージが強いです。いつごろからそうなっていったのですか?

久本
30代のころから、「彼氏いませーん。そろそろ焦ってま~す!」なんて感じで笑いをとってたけど、それが「未婚キャラ」としてみんなから見られるようになったのは、40代後半になってからかな。

WAHAHA本舗の公演で『結婚組曲 最終楽章』を披露したのは、48歳のとき。エリック・サティのジムノペディ第1番のピアノのメロディーをバックに「35で結婚できると 手相見て言われたときは37」とか、「結婚線が…消えてきた」とかつぶやいたりする曲です。

30代のころは「結婚についてはどう考えてるの?」と聞いてきた人が、40歳を過ぎると「あなたは結婚しない主義なんだよね」って言ってきたりもして。そういう外からの目って、説得力がありますよね。あぁ、そうなんだ、私って結婚を避けてるように見えてるんだって、再確認したりして。

えっ、久本さんは「結婚しない主義」の人なんですか?

久本
とんでもない! いい人に巡り会えば、いつでも結婚したいと常に思ってますよ。常にね。

ただ、私がテレビに出るようになったころは、今みたいにお笑いをやっている女性が少なかったこともあって、「結婚する→人気が落ちる→仕事がなくなる」という固定観念のようなものが業界内にあったのも事実です。私自身、お仕事は大好きだから、優先順位としては「お仕事を全力で頑張る」ほうに気をとられていた面もあります。

久本さんは50歳になったときに出版したエッセイ『結婚願望』で、それまで経験してきた数々の恋愛体験を赤裸々に書いていますね?

久本
でしょ~? 仕事のために恋愛を犠牲にしていたわけではないんですよ。
結局のところ、出会った男性の中で「結婚したい」と思わせてくれるような人がいなかったってことなんじゃないかなぁ。

もうひとつの面としては、「おひとりさま」の生活が自分にとってツラいものではなくて、楽しいものだったというのがあります。

好きなときに寝て、好きなときに起きて、好きなときに好きなゴハンを食べて……という自由は、慣れてみると離れがたいものがあるんです。

仕事から疲れて帰ってきて、家に自分を待っている人がいるというシチュエーションを思い浮かべたとき、「うれしいな。頼もしいな」と思う人もいれば、「ちょっと面倒くさいな。気を遣いたくないな」と思う人もいるはずですよね。一人暮らしが長くなると、だんだん後者の気持ちのほうが強くなっていくというか。

私の経験上、すんなり結婚している人は、誰と会うときにも「結婚したいオーラ」を発している人が多い気がするんですけど、私の場合、仕事に全力投球しながら一人暮らしの楽しさに馴染んでいくうち、そういうオーラがだんだん、薄くなっていってしまったのかも。

結婚せずにいたことに
1ミリも後悔なし

ところで、2018年7月9日で満60歳になった久本さんはその年、『マチャミの婚前披露宴 還暦すぎてもヨロちくび~!』という公演を9月から12月にかけて大阪・東京・新潟・京都・広島の全国5都市で上演しました。まさに「未婚キャラ」の集大成と言える公演ですね?

久本
楽しかったなぁ。松崎しげるさんが公演中2回、結婚式の名曲『愛のメモリー』を熱唱してくれたときは本当に感動したし、司会をつとめてくれた松尾貴史さんやガダルカナル・タカさん(京都公演のみ)をはじめ、公演ごとに多彩なゲストの方々が盛り上げてくれて本当にうれしかった。

新婦はいても新郎のいない結婚披露宴だけに、終盤では生前葬みたいになっていく構成も含めて楽しい公演でした。

世間には「未婚女性がウエディングドレスを着ると婚期が遅れる」というジンクスがあるというけど、これまで舞台やテレビでさんざんウエディングドレスを着倒してきた私としては、そんなジンクスなんか吹っ飛ばしてやろうという気持ちです。

結婚をあきらめたわけではないんですね?

久本
そりゃそうですよ。離婚を経験して「結婚なんて、もうこりごり」と言う人ならまだしも、人生でまだ一度も結婚を経験してないんだから、もったいないじゃないですか。

今回の私のエッセイ『みんな、本当はおひとりさま』には、8年前に52歳で当時50歳だったイケメンの旦那さんと結婚した高橋ひとみさんとの対談が収録されています。ふたりはお互い初婚同士だったということで、私にもひとみさんのような出会いがやってくる可能性は、まだ1%か2%くらいは残っているはずなんです。
ちっぽけな希望かもしれないけど、希望のない人生よりはそっちのほうが幸せなんでしゃないかと思う。

エッセイのほうで私は、こんなことを書きました。
「結婚していないからといって、私は寂しいわけでも、不幸せでもない。それどころか、自分の人生に後悔は1ミリもないと、胸を張って言えます」と。
これに言葉につけ足すなら、後悔はしていないけど、結婚という希望を捨てたわけじゃないよ! ってことです。

楽しいお話をありがとうございます。インタビュー後編では、ご両親との別れのエピソードや60代になってもイキイキと生きる方法などについて、話をうかがっていきたいと思います。

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もくじ
1章 ひとり暮らしの「自由と責任」
2章 ひとり身には「恋愛=希望」
3章 ひとりだから「仕事に全力投球」
4章 ひとりにしみる「家族のありがたみ」
5章 ひとりゆえに「友情は宝」
6章 ひとりで生き抜く「心の作り方」

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取材・文=内藤孝宏(ボブ内藤)
撮影=桑原克典(TFK)

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