かっこよい人

原田伸郎インタビュー【前編】
大学時代の思い出作りで始めた芸能生活

1973年、突如出現した男性2人組のフォークデュオ「あのねのね」に世間はざわつき、あれよあれよという間に若者たちの心を取らえた。ギターを手に歌う「赤とんぼの唄」は、大ヒットとなり、日本有線大賞「大衆賞」を受賞。京都産業大学の学生だった清水国明、原田伸郎は瞬く間に人気者になっていった。今年でレコードデビュー50周年を迎える2人が、10年ぶりにコンサートを開催する。1月23日、2人の母校・京都産業大学で「あのねのね 50周年コンサート…のためのリハビリライブ」を皮切りに全国各地で「あのねのね」コンサートを開催していく予定だ。4月15日には、金沢GOLD CREEKでの「あのねのね 50周年コンサート…のためのリハビリライブ㏌金沢」(チケット販売中)、そして6月24日の京都の先斗町歌舞練場での「あのねのね デビュー50周年コンサート」(チケットは3日で完売)が控えている。原田伸郎さんに半世紀に渡り、活躍し続けている芸能人生を語ってもらった。

インタビューは前編と後編に分けて公開します。

原田伸郎(はらだのぶろう)
1951年、京都生まれ。大学在学中に1年先輩の清水国明と「あのねのね」を結成。1973年「赤とんぼの唄」で歌手デビュー。日本有線大賞「大衆賞」を受賞。2004年から書家となり各地で書道展を開催。2020年 宝塚医療大学特別客員教授に就任。2023年「あのねのね」50周年を迎えた。全国各地で10年ぶりに「あのねのね」コンサートを開催中。
目次

大学の落研に入部。鶴瓶に出会う

1973年、突如出現した男性2人組のフォークデュオ「あのねのね」が歌う「赤とんぼの唄」を聴いた若者たちは、笑い転げ、思い出してはまた笑い、友達にしゃべってはまた笑った。シングル盤「赤とんぼの唄」はたちまち大ヒットとなり、「あのねのね」はラジオ、テレビに引っ張りだこになる。今年、レコードデビュー50周年を迎える「あのねのね」は、10年ぶりにコンサートを開催する。生放送のラジオの収録後、いつものようににこやかに、原田さんは現れた。
「マイクを使った仕事は久々なんで、なかなか声でえへん」といいながら「ネコニャンニャンニャン」をちょこっと歌ってくれた。最後のひくい声で息を吸いながら出すアヒルの「ガーガーガー」を出して「でたわ」に、一気になごやかな空気になった。車を運転しながら練習しているという。「ネコニャンニャンニャン」は、TikTok(ティックトック)で大人気ですよね。

原田
そやねん。1979年に出した歌を今の若い人がおもしろいと言ってくれるのが、うれしいわ。



あのねのね「ネコニャンニャンニャン」

※ネコニャンニャンニャン:あのねのねの大ヒットシングル「ネコ、ニャンニャンニャン」(オリジナル発売:1979年2月25日)。「ネコ、ニャンニャンニャン」の「合言葉は? 合言葉は? ネコ ニャンニャンニャン イヌ ワンワンワン カエルもアヒルもガーガーガー」という歌詞に合わせて、思い思いに振り付けをして遊ぶ動画が2022年初めよりTikTok(ティックトック)で大ブームになる。関連動画の総再生回数は今や約2億4千万回を突破。

今年は「あのねのね」デビュー50周年ということで、コンサートも始まっていますが、コンサートは、10年ぶりだそうですね。

原田
そう。ギターも弾かなあかんし、歌もようさん覚えなあかんから大変ですよ。本番のコンサートをする前にリハビリライブをしよかということで、京都産業大学で1月にやったんです。思い出しながらやろうと清水さんというて、お互い「こんなんやったなあ」っていいながら、やっているうちにじわじわ蘇ってきました。ただ、清水さんはチェーンソーばっかり曳いてるでしょ、ギターの弦を1弦と6弦を逆に張るんですよ。

とはいえ、長年のコンビの本番前の練習は1回合わせるだけだったそう。

原田
10年前の40周年の時にやったコンサートの時は、僕が61歳で、清水さんが62歳、50周年は無理や、もうないでと思っていたんやけど、これが、70歳を超えても2人ともけっこう元気なんよね。

1月の京産大でのコンサートは大入り満員の大盛況だった。母校、京産大での出会いから原田さんの芸能人生が始まることになるのだが、カギを握っていたのは笑福亭鶴瓶さんだった。京都産業大学の落研に入る。そこには、後に落語家になる笑福亭鶴瓶さん(この頃は駿河学)がいた。

原田
落研に入ったんです。笑福亭仁鶴さんのラジオを聞いておもしろくて。落研にいたのが、鶴瓶です。鶴瓶とは同級生ですぐに仲良くなりました。2年生の時に落語家になるんで弟子入りするからと大学を中退したんです。友達が落語家になる言うのが衝撃的で、落語家が身近になった感じがして僕も落語家になれるかもしれんって、なりたいと思てました。

運命の出会いは旅館のアルバイト先だった

六代目笑福亭松鶴の弟子になるために大学をやめることになった鶴瓶さんは、自分の代わりに旅館のアルバイトをしてくれる人を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが、原田さんだった。主に京都の修学旅行生や団体客が泊まる旅館で、住み込みのアルバイトでだった。団体客の布団敷き、配膳、掃除片づけをするのが主な仕事だった。

原田
全国から修学旅行生が来る旅館でした。そこに一年先輩の清水さんがいたんです。鶴瓶とも友達でした。清水さんとは、一緒にギターを弾いたり、歌ったりして、すぐに仲良くなりました。修学旅行生の布団を敷くのはアルバイトの仕事でしたが、清水さんは、修学旅行生に布団の敷き方を教えながら、自分は指導するだけで、修学旅行生に布団を敷かせてたんです。うまいことやるなあって、リスペクトしました。僕にはないキャラです。

当時、京都には修学旅行生が泊まる団体客専用の旅館が多く、此のころのアルバイトはもっぱら旅館だった。

賃上げ要求をしてアルバイトをクビになる

原田
いくつかの旅館のアルバイトをしていた頃、隣の旅館が、1日1500円の時給が1700円に上がったと聞いて僕が代表で賃上げ要求をすることになったんですが、「隣は隣、うちはうち」ってあっさり言われていまい、代表だった僕がアルバイトをクビになってしまいました。そしたら清水さんがビアガーデンで歌を歌うアルバイトを見つけてきて、誘ってくれました。

旅館でも2人はギター弾きながら歌い、修学旅行生にも人気があったそうだ。落語家になりたいと思っていた原田さんは、常におもしろいことはないか、小噺を披露しては、修学旅行生たちを笑わせていた。最初は、ビアガーデンでBGM的にフォークソングを歌っていた2人だったが、それではものたりなくなってきた。バイト先の旅館でも修学旅行生相手に即興で歌を作って歌ったり、落語の小噺をやったりしていた原田さんたちは、ただ歌うだけでなく、ショーとしてお客さんを楽しませた。するとファンがどんどん増えてきた。

原田
ずっと女の子にもてたいと思ってました。2人でビアガーデンで歌っているうちに、僕ら2人を見に来てくれるお客さんが増えてきたんです。今もそうですが、いつもなんか新しいこと、おもしろいことをやりたいので。

京都のビアガーデンでおもしろい2人が歌っているという評判が広がり始める。SNSもない時代だが、口コミで広がった。そうなると、周囲も放っておかない。KBS京都から番組出演の声がかかった。次いで、当時、若者たちに絶大な人気を誇っていた毎日放送の公開放送 ※「ヤングおー!おー!」に出演と、あれよあれよという間にマスコミから注目される存在になっていく。プロになろうという決意もないまま、メジャーデビューが決まった。1枚目のシングル「赤とんぼの唄」は大ヒットし、本を出せば売れた。(『あのねのね 今だから愛される本』1974年(KKベストセラーズ))。こうして、「あのねのね」は、誰もが知る人気者になった。

あのねのね「魚屋のおっさんの唄」

※「ヤングおー!おー! 」:1969年7月3日から1982年9月19日まで放送された毎日放送(MBSテレビ)制作の公開バラエティ番組。落語家の桂三枝(現:6代目桂文枝)、笑福亭仁鶴、明石家さんまなど、多くの人気者を生み出した。

時代の寵児となった「あのねのね」

京都の西京極にある音楽事務所に所属し、プロの歌手としてデビューを果たした。そこには、あの河島英五さんも所属していたそうだが、先に売れたのは「あのねのね」だったので、河島さんはバックバンドだったという。「あのねのね」という、ひらがなだけの名前は、どうやって決めたのか聞くと…

原田
当時、京都からようさんデビューしてまして、「ジローズ」に「アリス」、カタカナが多かったんでそれならひらがなにしよかって。まず、「あ」が頭につくのがいいから、あのなー、あのねー、あのねのね、かわいいやんとなりました。

確かに「あのねのね」という名前はかわいいし、覚えやすい。「赤とんぼの唄」「魚屋のおっさんの唄」のように、何回聞いても笑えて、真似して歌いたくなる歌詞にオチがついていている曲は今までになかったと思う。コミックソング的なものはあったが、「あのねのね」の曲は、まったく違っていた。何回聞いても笑えた。間がなんともいえず、いいのだ。どうやって次から次に発想が沸き、曲を生み出せたのだろうか。

あのねのね「魚屋のおっさんの唄」

原田
あんまり深く考えないことです。深く考えすぎると、深海に入り込んでしまって新しいアイデアが浮かんでこない。浅め浅めの方がアイデアが浮かんできます。あの頃は、人生の中でなんか冴えている時期で、降りてくるというか、曲もどんどんできました。大学生のド素人が面白がって、新しいものをいつもやりたかったって感じです。その頃は大学生の思いで作りの気持ちでしたから、怖いもの知らずでやってました。長いこと続けたいとかいう気持ちは一切なかったんで、アイデアを貯めておくとかもしなかったですし、来年はどうしようとかも一切なかったです。

後編につづく

後編記事はこちら→ 原田伸郎インタビュー【後編】 ずっと遊びの感覚でやってきて50年

 

あのねのねデビュー50周年全国ツアー速報

今後の詳しい全国ツアーは以下で検索ください

50周年コンサート…の、ためのリハビリライブin【金沢】

50周年コンサート…の、ためのリハビリライブin【金沢】ポスター
  • 日時:2023年4月15日(土) OPEN 15:15 START 16:00
  • 場所:金沢GOLD CREEK おひとり様
  • チケット:5,500円(税込)(1ドリンク付)

あのねのねデビュー50周年コンサート【京都】
※完売しました

あのねのねデビュー50周年コンサート【京都】ポスター
  • 日時:2023年6月24日(土)開演16時(開場15時)
  • 場所:京都・先斗町歌舞練場
  • 前売券:5,000円(税込)全席指定(当日券5,500円)

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取材・文=湯川真理子
撮影=田村和成

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