かっこよい人

指揮者・藤岡幸夫インタビュー【前編】
気合いと明るさで貫いてきた人生

現在、関西フィルの首席指揮者、東京シティ・フィルの首席客演指揮者を務める傍ら、様々なメディアにも出演し、幅広く活躍している藤岡幸夫さん。2020、2021年に上梓した2冊のエッセイは、クラシック音楽についてはもちろん、指揮者になった経緯から恩師との思い出、自らの失敗談など様々なエピソードが綴られており、生身の“藤岡幸夫”を感じられる内容となっている。インタビュー前編ではその著書を深掘りしながら、指揮者という立場、自身の強み、ターニングポイントについて話を聞いた。

藤岡幸夫
1962年、東京生まれ。1994年、ロンドン「プロムス」にBBCフィルハーモニックを指揮してデビュー以降、多くの海外オーケストラに客演。首席指揮者を務める関西フィルハーモニー管弦楽団とは2022年が23年目のシーズン、2019年から東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団首席客演指揮者も務める。番組立ち上げに参画し、指揮・司会として出演中のBSテレ東「エンター・ザ・ミュージック」(毎週土曜朝8:30)は2021年10月で8年目に突入、放送350回を越える。
目次

55歳を過ぎたくらいから考えるようになったこと

2020年に『音楽はお好きですか?』、2021年に『続 音楽はお好きですか?』と、2冊のエッセイを上梓されました。クラシック音楽のことだけでなく、藤岡さんの人生を網羅した内容になっていますが、執筆して良かったなと思うことは?

藤岡
「あの時、コロナ禍があったからできたよね」と言えることをどれだけ増やせるかというのを考えていて、新しい曲を勉強する、部屋を片付けるとか色々あるけど、その一つとして本を書いて少しでも色々な人に親しみを持ってもらいたいと思ったんですよね。クラシックって恐ろしくマイナーな世界だから、知ってもらうことがとても大切で。本当は最初からもっと音楽のことを書きたかったんだけど、出版社から「読者は、どうやって指揮者になったか興味があると思うから書いてほしい」と言われたので、楽曲解説と並行させながら自分のことも書いていきました。

そうだったんですね。読んだ方は、藤岡さんをより好きになる内容だなと感じました。

藤岡
それは嬉しいです。心配していたので(笑)。

60歳を前にしたタイミングで人生を振り返ることができたのも良かったと思いますか?

藤岡
振り返るつもりで書いたわけじゃないからなぁ。2冊目のほうが、僕が紹介したい音楽の話がたくさん書けたんですけど、そこに取り上げた曲は決して一般的に人気のある曲ではないので、そういう面では書けて良かったなと思います。ただ、人生を振り返るわけではないけど、55歳を過ぎたくらいから、残りの人生あと何年生きられるかなぁと考えると、この曲はもう指揮しなくていいやとか、この曲はもっとやりたいなとか考えるようになって。若い頃は何でもやろうと思ったし、何でもやらなきゃいけなかったけど、今はそういうところが変わってきていますね。

なるほど。

藤岡
「エンター・ザ・ミュージック」も、始めたばかりの頃はどこかで区切りを付けようと思っていたけど、ここまで来て、スポンサーやテレビ局の方々が、僕がやめると言うまで続けると言ってくれているから、とことんやってみるのも面白いなと今は思っています。だから、もっと意味のある、価値のある番組にしていきたいなと。

藤岡さんはいつも「ずっと続けるよ!」と言っているので、スタート当初からずっとそのつもりかと思っていました。

藤岡
そう思うようになったのは3年目くらいかな。ずっと続けようと思ってからは、徹底的にクラシックに特化したいと思いました。それまでは色々なジャンルを入れようというスタンスでしたけど、本気で番組を残していくならクラシック1本で意味のあるものをやったほうがいいでしょと。中途半端に違うジャンルの方と交わって、中途半端に喜ばれるよりは、クラシックファンに喜ばれるものにしたいと思いました。そうなってくると、これはもう死ぬまでやろうかなという感じですよね。

絶対に諦めなかった失敗例。経験を積んでわかること

エッセイの中に「指揮者の極意は“思うこと”。でも、難しいことであり、経験が必要。迷わなくなったのは50歳を過ぎたくらいからかもしれない」ということが書いてありましたが、迷った時はどう乗り越えてきたのでしょうか?

藤岡
乗り越えてないよ、失敗している。上手くいったとしたら、それは団員に助けられてだろうけど、迷った時は基本的には上手くいかないです。やっぱり初めてやる曲だと迷いが生じるけど、10回も20回もやれば、ここは絶対にこうなんだという確信に変わるんですよね。そうすると、他の人に何を言われても「いや、これは絶対にこっちでしょ」と言える。そしてそれは他の曲にも応用が効くんですよね。

サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮者)とのエピソードの中には、「信念とパッション、「絶対に諦めるな」の一言。指揮者にとって絶対不可欠なものを心に焼き付けてくれました。それを持ち続けることがいかに難しいか身にしみます」という言葉がありました。

藤岡
その「諦めるな」で大失敗しているんですよ(苦笑)。ショルティの教えを守ろうと思って最初にやった「運命」(ベートーヴェン:交響曲第5番)で、絶対に自分の思う通りにやろうと何遍も諦めずに練習して、練習すればするほど悪くなって、結果的に最悪だったんです。ただ諦めずにやるのが良いということではないんですよね。自分が絶対にこうだと思うものが、本当に正しくないと意味がないわけで、それには経験を積まないといけないんです。

「運命」は具体的にどんな失敗だったんですか?

藤岡
ジャジャジャジャーンは頭が8分休符始まりなんですけど、その休符が長過ぎたので、正そうと思って7日間連続の本番のリハーサル前でも毎日何遍もやったんです。でもそれってコンサートマスターのタイミングなんですよ。その時は僕の経験が浅くてわからなくて。しつこく練習して何とかなるけど、本番は結局戻っちゃう人がいっぱいいて、バラバラのジャジャジャジャーンになってしまいました。これは絶対に諦めなかった失敗例です。経験があれば、コンサートマスターの天性の勘でやるしかないということがわかる。それで合っている時が一番良い音楽になるんです。僕がやらなきゃいけないのは良い音楽をすることなのに、正しい速さの8分休符のタイミングで音が出ることが正しいと勘違いしていて、諦めずにやったせいで全てが上手くいかなかったんですよね。

高い次元のお話…!

藤岡
年を取るとそれが違うとわかるけど、若い時はわからなかった。「絶対に諦めない」ことの大前提は、絶対に僕が言うことが正しくて、しかもそれを上手くする方法を知っていなければいけない。方法も知らずに正しい目標でもないのに諦めずにしつこくやることは、オーケストラにとって迷惑なだけなんですよ。で、上手くいかないから迷う。経験を積んで50歳も過ぎると、段々と色々なことがわかってくるから、迷わなくて済むようになるんですよ。

全てわかった上で愛せるかどうか

以前、指揮者になりたいという高校生を紹介された時に「相談された時はいつも同じアドバイス。何でも良いから他人に負けない強い長所2つあれば何とかなるかもしれない。そしてなりたい!という気持ちを誰よりも強く持ち続けること」とSNSに書いていましたよね。デビュー前の藤岡さんの、これだけは他人に負けないという長所は何でしたか?

藤岡
やっぱり気合いと明るさだろうな。それだけは絶対誰にも負けないと思っていました。今も変わらないなぁ。実は数年前、尊敬する高校の先輩と数十年振りに会った時に、「幸夫は何がすごいって、40年前の高校生だった時から何も変わってない。それで突き抜けているのがすごい。普通は賢くなったりするのに、本質的にあの頃と何も変わってない」と言われて。その時は「俺だって大人になって成長したよ!」って、ある意味ちょっとムッとしたんだけど(笑)、今思うと最高の褒め言葉だなと思ったんですよ。大人になって挫けることも失敗も山ほどあったけど、基本変わってないんだなと。それで仕事が来ているというのは自慢していいことなのかなと後から思いましたね。

エッセイを読むと、藤岡さんが多くの方に愛されて、助けられてきたんだなということがよくわかります。ただそれは、藤岡さんの人間力あってこそのことではないでしょうか。

藤岡
それこそ気合いと明るさの話に通じると思うんですよね。愛してほしいとか思っちゃダメで、先にこっちが愛さなきゃダメ。これは絶対にそう。なぜ関西フィルと23年も続くのかとよく言われるんだけど、僕はある意味誰も信じていないんですよ。皆、面と向かってはニコニコしているけど、指揮者なんて商売は陰で色々と言われているものだから。でも、それも全てわかった上で、この人はアンチ藤岡だなとかもわかった上で、そういう人たちを全て愛せるかどうかなんですよ。僕は関西フィル全員のことを愛していると言える。だから絶対に悪口も言わない。そういう、人を好きになる気持ちは常に持つようにしています。それと、基本的に僕は人間が好きなんだと思います。

自分自身の気持ちに初めて気付いた出来事

色々あり過ぎる藤岡さんの人生ですが、デビュー以降での大きなターニングポイントを挙げるなら何でしょう?

藤岡
やっぱり関西フィルと本気で付き合うようになったことだろうな。2年目くらいの時に、兵庫県小野市という小さな街のコンサートと、スウェーデンのオーケストラの客演の日程がダブルブッキングされたことがあって、関西フィルの当時の事務局長に「この小さい街のコンサートは大切なの?」と聞いたら「めちゃくちゃ大切です!」と言われて、僕は迷わずスウェーデンの仕事を断ったんですよ。周りからは「バカだ」と散々言われましたけど、自分でそうしたいと思ったんですよね。当時、イギリスに住んで10年くらい経っていましたけど、僕はヨーロッパで頑張るんじゃなくて、日本で関西フィルと、どんな小さな街でもいいからいろんな人にクラシックの素晴らしさを伝える仕事がしたいんだと、そういう自分自身の気持ちに初めて気付いたんですよね。そこからは、ものすごく関西フィルに入れ込みました。

2020年7月の「エンター・ザ・ミュージック スペシャルコンサート」@滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホールでは、コロナ禍でオーケストラを小編成にせざるを得なくなり、急遽プログラムが変更されましたが、藤岡さんが「関西フィルはホールさえあれば、どこへでも行く。地方の小さなホールで演奏することもあるから、小編成での演奏曲のレパートリーがある」と話していたのが印象的でした。

藤岡
そうそう、僕たちは小編成のレパートリーがたくさんありますから。あと、下世話な話ですけど、僕は関西フィルについては、お金云々は抜きに考えているので、ギャラも23年間ずっと変わっていないし、スポンサーも一生懸命集める。無理なく自分がそうしたいと思えるんですよね。やっぱり関西フィルは僕にとってすごく大きなターニングポイントの一つです。その気持ちの延長線上で、関西フィルと付き合って10年くらい経った頃、いつか全国放送のテレビ番組を作りたいと思っていたから、「エンター・ザ・ミュージック」が実現した時というのは二つ目のターニングポイントですよね。開始当時、僕は52歳でしたけど、他のオケができなかったことを今、実現しているんだというのは大きなことでした。

インタビュー後編では、指揮者としての“藤岡幸夫”の軸について、そして40代、50代を振り返ってもらうとともに60代の人生プランについて伺います。

後編記事はこちら→ 指揮者・藤岡幸夫インタビュー【後編】ピンと来たらドンと行け

 

藤岡幸夫インフォメーション

販売情報

『音楽はお好きですか?』

藤岡幸夫・著『音楽はお好きですか?』書影
Amazon詳細ページへ
  • 著者: 藤岡幸夫
  • 出版社:敬文舎
  • 発売日:2020年12月21日
  • 定価:1,650円(税込)

『続 音楽はお好きですか?』

藤岡幸夫・著『続 音楽はお好きですか?』書影
Amazon詳細ページへ
  • 著者: 藤岡幸夫
  • 出版社:敬文舎
  • 発売日:2021年12月14日
  • 定価:1,650円(税込)

藤岡幸夫指揮の演奏会情報

  • 「特級グランド・コンチェルト 注目の大型新人!必聴ピアノ名曲選!」
    5月1日(日)ザ・シンフォニーホール
    ピアノ:森本隼太、尾城杏奈、亀井聖矢
    管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
  • 「札響シンフォニック・ブラス2022」
    5月7日(土)札幌コンサートホールKitara
    サクソフォン:須川展也
    吹奏楽:札響スペシャルブラス
    管弦楽:札幌交響楽団
  • 「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第352回定期演奏会」
    5月12日(木)東京オペラシティ コンサートホール
    ピアノ:角野隼斗
    管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
  • 「東大阪特別演奏会~エンター・ザ・ミュージック スペシャルコンサート~」
    5月14日(土)東大阪市文化創造館 Dream House大ホール
    サクソフォン:須川展也
    管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
  • 「ムジークフェストなら2022」奈良県出身の若手ピアニストとのコラボ!大迫力で贈るシンフォニー
    5月15日(日)奈良県文化会館 国際ホール
    ピアノ:原田莉奈
    管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
  • 「九州交響楽団 第403回定期演奏会」
    5月19日(木)福岡サンパレス ホテル&ホール
    ピアノ:チェ・ヒョンロク
    ソプラノ:半田美和子
    管弦楽:九州交響楽団
  • 「長岡京市民管弦楽団 第30回定期演奏会」
    5月29日(日)京都府長岡京記念文化会館
    管弦楽:長岡京市民管弦楽団

各詳細、6月以降の予定はこちら

ニュークラシックプロジェクト

藤岡幸夫、山田和樹、鈴木優人、原田慶太楼という、クラシック界を牽引する4人の指揮者が、オーケストラの新作を生み出す場を創るプロジェクト。第一弾として、2023年に4人が一堂に会するコンサートを開催し、そこで演奏する新作オーケストラ作品を募集。

リンク

取材・文=金多賀 歩美

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
この記事について報告する
この記事を家族・友だちに教える