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“終活”の正解って? TIM・レッド吉田が模索する人生の生き方「もっと自分のために生きてもいい」

「命」「炎」の“人文字”ギャグで一世を風靡したお笑いコンビ·TIM。今回はゴルゴ松本さん、レッド吉田さんの両名にインタビューを実施。

上京した先の部屋がとなり同士だったという、運命の出会いを果たした二人。今回はそれぞれの視点から人生を振り返ってもらいました。

ゴルゴ松本さんのインタビュー記事はこちらから

本記事では、レッド吉田さんの人生を振り返ります。野球少年から芸人の道へ、ゴルゴ松本さんとの出会いや、身内の死から感じた第2の人生の生き方についてお伺いします。

レッド吉田
1965年、京都府出身。
幼少期から野球に打ち込み、甲子園出場を経験。大学進学後、のちに相方となるゴルゴ松本と出会い「TIM」を結成。芸能活動とともに5児の父としてもメディアで多数活躍。
現在は終活カウンセラーの資格を取得し講演活動も実施。
目次

甲子園から劇団の道へ

レッドさんは甲子園出場経験があるとお伺いしました。野球はいつから始めたのですか?

レッド吉田(以下、レッド)
小学5年生くらいですね。幼いころの夢はプロ野球選手でした。むしろ、自分が芸能人になる方がありえないと思っていましたよ(笑)。

芸人を目指す片鱗は、そのころからありましたか?

レッド
クラスのなかでは目立ちたがり屋でしたが、自分から面白いことをするかというとそういうわけでもなくて。そのころからツッコミに回ることの方が多かったですね。

そうなんですね。高校時代はどのように過ごしましたか?

レッド
高校は野球が強いところに進学しました。僕が中学3年生のときに、東山高校が秋の大会で準優勝したんです。だから、僕たちの代では強い選手が集まってくるんじゃないかと予測し入学を決めました。

実際は野球部以外にも、いろんなところから生徒が集まっている高校で、小中学校のコミュニティに比べるとすごく広い世界だなと感じました。コミュニティが狭いといじめなども起きやすいのですが、いろんな人たちが集まっている場所だとそういうのはなくて、気の合う人同士で関係を持っていたり、これまでとは違う人との関わり方を学びました。そういう精神的な成長も含めて、あの高校に行ってよかったと思っています。

大学でも野球は続けていたのでしょうか?

レッド
肩を壊してしまったので、野球は途中で辞めてしまいました。そのころからお笑いに興味はあったのですが、コンビ候補の友達に「就職するから」と断られてしまったんです。だから僕も一旦就職することにしました。それから1年が経ったときに妹の舞台を見に行って、「こいつができるなら」と影響されて、上京したんです。

そこで、ゴルゴさんと出会うんですね。

レッド
すごく偶然なんですけど、たまたま上京した先の部屋がとなり同士だったんですよ。彼の部屋には本当に何もなくて。冷蔵庫すらなかったので、彼は気がついたらうちの冷蔵庫を使っていました(笑)。古い家だったので窓が壊れていて、そこからいつでも入れたんです。上京してからは、彼と一緒に小さな劇団で活動していました。

芸人なのに“安定志向”?

最初は芸人としてではなく、劇団で活動していたのですね。

レッド
そうですね、僕も松本くんも芸人になってネタをやりたいというよりかは、芸能界に憧れていたので。僕が所属していたのは小さな劇団で、自主公演などを行っていました。チケットノルマがあったので、身内や友達に声をかけて捌いたりして。公演が終わったあとは、下北沢で仲間と「お前の演技よかったよ」とか言いながら飲んで、楽しかったですよ。自分と同じような10代20代の人たちがたくさんいたので。

でも……結局自己満足なんですよね。まだ成功していない人たちのエネルギーってなんか楽しいんです。「いつかこうなるだろう」とみんなが勘違いしながら、青春を味わっているようで。でもあるとき、劇団のトップ2人が引き抜かれてしまったんです。それをきっかけに、「これって全然前に進んでないな」って、現実と向き合うようになりました。そこで、松本くんに「どうする?お笑いやってみる?」って言ったんです。

それはおいくつのときですか?

レッド
僕が27歳、松本くんは26歳とかかな。焦りとかは全然なかったんですけど、そろそろケジメをつけたいなと思って。これでダメだったら地元に帰るか、違う仕事を始めるか。もう自分たちで線引きをしたかったんです。ダメならもう切り替えようと。

それで、ワタナベエンターテインメント(当時は渡辺プロダクション)にネタ見せをしに行ったんです。芝居はしていたので、それを短縮した15分くらいのネタを作っていきました。そしたら「3分に縮めてこい」と言われて。とんとん拍子でライブに出ることになったんです。でも、初めてお客さんの前でやったらもう……。セリフも飛んで真っ赤になっちゃって、何もわからなくなってしまいました(笑)。そこからですね、2年ほどまともにネタができない日々が続いたんです。

ブレイクするまでは、どのくらいの下積み期間があったのですか?

レッド
食べていけるようになったのが33歳くらいなので、だいたい5、6年ですかね。最初は全然ネタができない状況だったのですが、家の近くにホンジャマカの恵俊彰さんが住んでいて、恵さんの運転手をすることになったんです。それでマネージャーさんとも仲良くなって、人数制限があるオーディションに入れてもらえるようになりました。

縁ですね。

レッド
そうなんですよ。そこからだんだんネタがわかるようになってきて、小さなお笑いライブで優勝をするようになりました。それでもブレイクまでは届かず、30歳くらいのときに、「来年も今年みたいな仕事の感じだったら、辞めるか」っていう話になったんです。そんな話をした翌年の1月松本くんがライブで「命」をやったんです。そしたらそれがドカーンとウケて。僕は「何が面白いんだろう」って全然わからなかったんですけど、めちゃくちゃウケました(笑)。

そのときはウケたんですけど、当時単発のギャグは誰にも認められなくて。そのときに、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)という番組で、軽トラに乗って多摩川沿いを走るタモリさんを追いかけながら笑わせるという企画があったんです。そこでゴルちゃんが「命」とか人文字ギャグをしたら、その動きが面白かったらしくて。その流れで『ボキャブラ天国』(フジテレビ)にも出演させてもらいました。

そこで彼がスーツを着て葉巻をくわえて、パイレーツ(女性お笑いコンビ)に「こっちが2軍みたいな感じで見えてるかもしんないけど、違うよ。すぐそっち行くから俺たちは」みたいなことを言うキャラをやったんです。それがまたウケて、特番にも呼ばれるようになりました。そこからですね、徐々に芸能界で居場所みたいなのができ始めたのは。

当時、ブレイクをした実感はありましたか?

レッド
CMとか、大きな仕事が入ったときは実感しました。でも、売れるときって一気に行くんです。それまで真っ白だったスケジュール帳が急に毎日埋まって。でも僕はあまり働きたくないタイプなので、嬉しいというよりは正直「忙しすぎるかもな」と思っていました(笑)。

急激な変化ですね。

レッド
でもやらなきゃとは思っているので、なんとか自分を奮い立たせて仕事をしていました。でも初めてやることの連続だったので、全然わからなくて。考えることが多すぎてパニックになるんですけど、考える時間もない。自分のキャパを超えたまま、あっという間に1年が経った気がします。

感情の浮き沈みはありましたか?

レッド
浮き沈みは意外とそこまでなかったです。ただただ、忙しくて目まぐるしい。僕はいわゆる「ビッグドリームを掴みたい!」と思っているタイプではないんです。芸人のくせに安定思考でした(笑)。だからこそ周りの芸人との熱量の差を感じていて、そこは少し悩んでいたかもしれません。

芸人って、「どうしたら1番になれるのか」を考える人が多いと思うんです。でも僕はそういう野望が一切なくて。だから、楽屋でもほかの芸人と仲良く話せなかったんです。競争の世界に楽しさを見出せなくて。

高校生時代のお話でもありましたが、吉田さんは一歩引いて客観的に周りを見るタイプなのかもしれませんね。

レッド
そう言われると、なんだかものすごくできる人みたいですけどね(笑)。でも、自分が前に出るよりも、周りを見ているタイプではあるかもしれません。コンビも、ゴルちゃんがすごく引っ張ってくれて、僕はずっとついていく感じだったので。それもまた不思議に感じています。なんで僕が彼の横でこうしていけたのかも、いまだにわかりません。

レッド
僕は自分で勝ち得たものなんてひとつもないと思っていて。全部流されて、それがたまたま上手くいっただけなんです。ただひたすら何かを探し続けていたら、あるきっかけで人生が回りだすことも肌でなんとなく感じていて。人生って、それが来るのかどうかなんだと思います。

演劇からお笑いの道を選んだときも、ブレイクしたときも、いつも吉田さんの人生で何か区切りをつけようとした瞬間にチャンスが訪れているような気がします。

レッド
そうなんですよ。僕は子どもが5人いるのですが、長男は本当に仕事がなくなったときに生まれたので。その直後に仕事が一気に増えたんです。いろんなタイミングと縁がつながって、これまで長くお仕事をさせてもらっています。本当に、僕はちょっとだけツイてる人っていうだけなんです。

レッド吉田が考える“終活”

吉田さんは、終活カウンセラーの資格を取得したとお伺いしました。なぜ終活に興味を持つようになったのでしょうか?

レッド
最近、身近な死に直面することが多くて、死生観についてよく考えるようになったからですね。最初はコロナ禍で母が亡くなり、昨年は兄が亡くなりました。兄は孤独死だったんです。そういった死を目の当たりにして、「人生ってなんなんだろうな」と考え始めるようになりました。

あと、年齢的にも残された人生はあとどのくらいなのかを意識するようになったんです。僕は今年還暦になるなったんですけど、いままで60年生きてきて、もう1度60年は生きられないわけじゃないですか。時間は有限だし、どうしたらこれからの人生を楽しく生きられるのかな、ということを考え始めました。

ご自身の人生に向き合うタイミングでもあったんですね。

レッド
長男がいま28歳なんですけど、僕の父がなくなったのが38歳のときで。僕たちの状況に重ねると、あと10年後に親父がいなくなるということになります。そう思うと、明確に人生のタイムリミットが決められたような気がしたんです。急に“自分のターン”が回ってきたというか。

昔はね、いつ死んでもいいと思っていたんです。でも死をリアルに実感する年齢になって、目を閉じて死ぬことを想像すると、すごく怖いんです。自分の存在とか、いま感じている感情もすべて0になってなくなってしまうって、怖いし、すごく寂しいよね。まあそれが命というものなんだけど。だからこそ僕は、子どもたちに何か残したいなと思ったんです。

残すとは?

レッド
「お父さんってこういう考えを持つ人だったよね」とか、“生き様”を残せたらなと思うんです。そのためには、これからどう生きていくべきなのか。それが僕の終活の大きなテーマのひとつです。

終活と聞くとモノの整理のイメージが強かったのですが、それもひとつの終活ですよね。

レッド
僕の場合は子どもがいるので、残す相手がいるんです。だからこれからの生き方を考えていかなければいけない。でも、これまでの人生でも、明確な生き様って定まっていないんですよ。「これだ!」っていうのに行き着いていない。だから結局フワッとしたまま終わる可能性もあるんですけどね。

これは人それぞれの“解”を追い求めていくしかないというか。

レッド
人に押し売りするものでもないですしね。終活セミナーって、「〇〇をやらなければいけない」みたいなお話もあるんですけど、僕は違うんじゃないかなと思っていて。10人いれば10人の生き方があるし、仮に生き方のマニュアルがあったとしても、そこに嵌め込む必要もないんじゃないかなと。

現在はまだ模索中ではあると思うのですが、吉田さんがいま意識している生き方はありますか?

レッド
残された人のことを考えるのはもちろんなんですけど、まずは自分が充実した毎日を送ることをもっと考えてもいいんじゃないかなと思っています。たとえばお金。お葬式やお墓の費用を考えると残しておきたいのもわかるんですけど、でもそもそもいつ死ぬかなんてわからないですよね。だから、いつもは『焼肉きんぐ』だけど、今日は『叙々苑』行っちゃおうかなとか、牛丼屋さんでトッピングいっぱいつけちゃおうかなとか(笑)。毎日のなかのプチ贅沢を増やして、幸せを感じるのも大切なんじゃないかと。これは投げやりになっているわけではなくて、いままで我慢していたことをちょっとだけ解放してあげる。それがいままでとは違う生き方になるのかな。

もっと自分を優先してもいいんじゃないかと。

レッド
そうです。お金がなくなったら働いたっていいわけだし。社会のためというよりは、自分のためにね。僕の終活セミナー(講演会)では、そういうこれからの人生をどう楽しんでいくかみたいなことを伝えていけたらいいなと思っています。

あとがき

筆者も若い頃は「40歳で死んでも全然いいや」とか思っていた。それが32歳になって、「親が死ぬまでは生きよう」「愛犬が死ぬまでは生きよう」と、生きていくうちに少しずつ生きる理由が増えていった。きっとそのくらいの年齢になったら、また新たな目標値が出てきているのかもしれない。

人生は暇つぶしとはよく聞くが、割と本当にそうかもと筆者は思っている。家族のためとか、恋人のためとか、大切にするべきものはたくさんあるが、そのくらい気軽に捉えてもいいのかもしれない。これから何が起きるかなんて誰にもわからないんだから。だから今日は、コンビニのパンではなく美味しいパン屋さんのパンを買って帰ろうと思う。

ゴルゴ松本さんのインタビュー「TIM・ゴルゴ松本が出会った“学び”の道 激動の芸能界を経て見出した新しい人生の楽しみ方」はこちらから

レッド吉田さんインフォメーション

レッド吉田の終活講演会およびメディア出演のお問い合わせはワタナベエンターテインメントHPまで!
https://www.watanabepro.co.jp/contact/select/

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取材・文=はるまきもえ
写真=鈴木 潤一

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