かっこよい人

資金なし、後継者なし、実行力なし! 大阪の最北端の“道の駅になり損ねた野菜直売所”を蘇らせた小財誓子さん

大阪府の最北端、大阪府のてっぺんと言われている能勢町は都心までは車で約1時間、見渡す限り山と田畑が広がる大都市近郊に残された貴重な里山である。生態系の豊かさと便益を評価する指標群で全国1位に名を連ねている(2016年調べ)。
今回、登場いただいた小財誓子さんは、縁もゆかりもなかった能勢町にひょっこり尋ねて行ったことが契機となり、高齢化で後継者のいないテントとコンテナで地元の有志が運営していた野菜直売所を”何とかしたい”という、使命感に燃え、本業のブランディングプロデュ―スで培った経験を生かして資金調達をし、手弁当で2024年11月にリニューアルオープンさせた。持ち出しこそあれ、仕事としての収入は得ていないが、彼女はとにかく幸せそうで生き生きしている。能勢に田んぼや畑も借り、家も借りようと考えているという。
ブランディングプロデュ―サーの小財誓子さんに話を伺った。

小財誓子(こざい・せいこ)さん
ブランディングプロデューサー
1959年 京都生まれ。美術系高校の日本画科を経て、デザイン専門学校のグラフィックデザインを専攻。グラフィックデザイナー、ディレクターを経て、企画制作会社を友人と設立。経営者として約30数年間走り続ける。40歳で結婚し、42歳で出産。その後、更年期障害のうつ症状が悪化し、何も考えられない状態が4年間続き、すべてを一旦リセットする。その後、症状が改善され、2016年からマーケティングや経営サポートの仕事を個人で始める。2024年11月に農産物直売所「能勢けやきの里」のリニューアルオープンに尽力。能勢の地域活性化に奮闘中。
目次

テントとコンテナの簡易施設の野菜直売所との出会いから始まった能勢との縁

「能勢けやきの里」のリニューアルオープン、おめでとうございます。

小財
ありがとうございます。見た目はきれいになりましたが、まだ活用しきれていなくて、これからなんです。まだ新しいことや外からの人をなかなか受け入れてもらえないのが現状です。

最初にこられたときはテントとコンテナの簡易施設だったそうですね。

小財
そうなんです。元々、ここはほ場(田や畑など農地)整備の土地で、過去に道の駅構想の話もあったそうですが、構想が頓挫したりしたので、自分たちでなんとかしようと地元の農家の有志が2011年から野菜直売所として自主運営していたところです。

「能勢けやきの里」との出会いはなんだったのですか?

小財
農家の方と仲良くなりたいと思って野菜を買いに来たんです。最初はそれだけだったんです。

「能勢けやきの里」は、平均年齢70歳以上。後継者もなく、存続の危機は毎年のように迎えていたという。そんな壊滅寸前の野菜直売所に出会い、「何とかしたい」という思いだけで小財さんは儲け度外視どころか手弁当で助っ人加入した。それは苦労の連続の始まりであり、すばらしい能勢との出会いでもあった。
このあたりの話は、後に記すことにして、小財さんの人生を振り返ってみたい。決して順調満帆な人生ではなかった。

「1999年7月に人類が滅亡する?」ノストラダムスの大予言を信じて結婚を決意

五島勉氏の著書『ノストラダムスの大予言』という書籍をご存知だろうか。1973年11月に出版され、翌1974年にミリオンセラーとなった。フランスの医師で占星術師のミシェル・ノストラダムス(1503~1566年)が1555年に著した『予言集』を翻訳、解釈したもので、”1999年の7の月、空から恐怖の大王が降りてくる”とあり、1999年7月に人類が滅亡するのではと大いに世間を騒がせた。
小財さんは28歳で企画制作会社を友人と作り、昭和、平成と日本の成長やバブル崩壊を経験し、経営者として約10数年走り続けていた。気づけば1999年には40歳になる。1999年7月に人類が滅亡するのならその前にやり残したことはないかと考えた、そうだ、あれがしたい!と。

小財
ノストラダムスの予言通りなら、今生でやり残したことというと、結婚だったんです。

あれとは結婚だった。休むことなく仕事をしてきたんで、周囲からは止まると死んでしまうサメみたいだと言われていたという。意中の人が周囲にいなかった小財さんは、コンピュータに希望条件を入力してお互いにマッチする相手と出会えるサービスを利用することにした。

小財
そこで最初に出会った相手だった夫と2000年に結婚したんです。ノストラダムスの大予言は幸い外れたんですけどね。

ノストラダムスの大予言が影響したというわけではないだろうが、20世紀最後の 2000年は「ミレニアム婚」と言われ、結婚する人が増え、多くのカップルが誕生し、ブライダル特需という言葉も生まれた。

子育て中に突如、更年期うつとなり頭が“あほ”になる

今生でやり残した結婚もし、子宝にも恵まれた。仕事もうまくいっている。ところが、突如、自分でもどうにもならない予想外の出来事が起こった。

小財
50歳くらいから更年期が始まったんです。いわゆる更年期うつになってしまって3,4年は頭が“あほ”になって、何も考えられなくなってしまいました。小学生だった娘に「お母さん、まゆ毛が“ル”になってる」って言われてました。

まゆ毛が“ル”の形になるほど、眉間にしわを寄せていてばかりいた小財さん。治療にも通ったが、薬が強くなるばかりで怖くなり、薬を飲むのを辞めた。体にいいものを食べたり、人と会うのが嫌さに早朝ウォーキングをしたり、アロマの学校にも通った。(この頃、メディカルアロマセラピスト(日本アロマセラピー統合医学協会)の資格や心理カウンセラーの資格も取得)
自宅でアロマの仕事をしようとも考えたそうだが、知人から「それはあなたがやる仕事じゃない」と言われて思い直した。そこで、自身のリハビリのつもりでアルバイトを始めたそうだ。そのアルバイト先で自分でも思いもかけなかったことが起こる。

小財
何も考えられなくなっていたんですが、アルバイト先で東大阪の製造業の営業代行をする仕事を頼まれたんです。そこの社長が、「何かおまへんか~」って、何の戦略も持たずにいうのにあきれて、今まで“あほ”になっていた頭が回り出したんです。私は経営者のサポートを今までやってきたんだ。できるんだって。

完璧に忘れていたことを思い出した瞬間だった。

小財
鍵が開いたようでした。なんとかしてあげたいと思った瞬間、元に戻ったんです。

小財さんは、古いノートパソコンを引っ張り出し、社長のためにできることを考え、実行に移した。社長にも感謝された。努力しても完治しなかった更年期うつが、「何かおまへんか~」という社長の言葉を聞いて「なんとかしてあげたい」と思ったことが、小財さんを目覚めさせ、“あほ”の状態から脱却させてくれたのだ。
小財さんは自身のことをこう自己分析する。

小財
私は自分のこととなると肝っ玉が小さいんです。自分の利益だけにエネルギーを使うといいことがなくて病気になるんです。でも人のことにエネルギーを使うと元気になるんです。人のために尽力するというとええ人のようですが、そんなんじゃないんです。小さなことでもよかったと言うてもらえたら嬉しいんです。

自身のことをええ人ではないんだと何度もいう小財さんではあるが、“ええ人”に違いないと勝手に解釈させてもらった。

リニューアル前の野菜直売所だった頃の「能勢けやきの里」

農家と繋がりたいから始まった“道の駅になり損ねた野菜直売所”のリニューアル

さて、話を「能勢けやきの里」に戻そう。小財さんと「能勢けやきの里」との縁は、農家と繋がりたいという思いから始まったそうなのだが、それがどうして苦労をかって出てリニューアルオープンに至ったのだろうか。

小財
一番長く、食品関係の仕事にも関わっていて、食の大切さを身に染みて感じていました。輸入に頼っている日本はこのままでは食べ物がなくなってしまう危機が来るんじゃないかと真剣に思ったんです。そうなる前に農家さんと繋がりたいと思いました。農家さんと繋がっていれば何とかなるんじゃないかって。直接、農家が出荷して販売している「能勢けやきの里」に行ったんです。

小財さんが住んでいる吹田市から車で約40分のところに「能勢けやきの里」はある。農家と繋がろうという思いだけだったのだが、ここで再び「何とかしてあげたい」という気持ちが沸き起こった。「能勢けやきの里」を運営しているのは、地元の農家有志であったが、高齢化で後継者なし、展望なし、資産なし、実行力なしのないない尽くしだった。ほとんどボランティア運営で、存続の危機は毎年のように訪れていたという。そこへひょっこり登場したのが小財さんだった。

小財
最初は、手作りビニールハウス内のピザ窯部の手伝いを頼まれたんですが、今までは地元のおじいちゃんたちの自主運営だし、少々問題があっても目をつぶってもらっていた営業だったんですが、違法建築、消防法、保健所等、いろいろ違法なことだらけでした。何とかしてあげたい気持ちはやまやまだったんですけど。

2022年暮れのことである。実は、過去この場所に道の駅を作るという話が持ち上がった時もあったそうだが、諸事情で自然消滅してしまったという。ピザ窯部の手伝いを断った小財さんに翌年の1月に、「能勢けやきの里」の理事長から連絡が来る。今度は手伝いではなく、運営にかかわって欲しいというのだ。また、「何とかしたい」という思いがふつふつと湧いてきた。

小財
運営するメンバーも少ないので野菜が並んでもすぐに完売してしまうし、何もしないと自然消滅か閉鎖しかありませんでした。このままではどうしようもない状態を見かねてしまい、まともな建物と加工場を建設して地元の活性化を図って、若い人にも継承していけるようにと考えて引き受けました。都心にも近いし、発展の可能性はいっぱいあるんです。

そこからが大変であった。ノウハウは今までの経験で持っていたが、いかんせん、なかなか前には進まなかった。発言するためには理事にもなった。しかし、古くからの慣習や昔ながらの人付き合いのやり方から脱却してもらえず、新しいことや新しい考えなどをなかなか受け入れてもらえなかった。

小財
やることが多すぎて多すぎて。

それでも何とかしなければと、奮闘する。運営メンバーは、過去に野菜直売所をテントから加工所を備えた建物にしようと試みたこともあったが頓挫。おまけにコロナ禍もやってきた。どうせ今回も…という空気に何度もなった。しかし、小財さんはあきらめなかった。

小財
成り行きで、農業経験はゼロですけど、畑や田んぼを借りて野菜やお米作りも昨年から始めました。
農産物を育てることの大変さを、ホントに実感しました。だから安く売ったりは、安易にできないんです。

こうして、他のメンバーを励まし説得し、何度も何度もあきらめそうになりながらも国の補助金と能勢町からの支援、有志の資金融資などで、悲願の建物が完成した。こうした資金調達に関する書類作成や建物の設計の企画や交渉をしたのは小財さんである。2024年4月、農山漁村発イノベーション整備事業として、振興交付金事業に採択も決定し、その年の11月にリニューアルオープンにこぎつけることができた。

小財
建物はなんとかできましたけれど、本当の意味でのスタートには至っていません。何度もアイデアを出して来ましたが、なかなか動いてもらえないんです。せっかくリニューアルオープンしても思っていたようには変わっていません。農事組合法人なので理事のみんなの同意がないと前に進めないんです。能勢を活性化しようとしているだけなのに「なんでえ~」って思いますよ。

腹も立つし、愚痴もいいたくなるが、なぜか小財さんは始終笑顔で話をしてくれる。その理由はなんなのだろうか。

小財
能勢でたくさんの知り合いができたんです。だから今は野菜直売所だけを変えるのではなく、過疎化解消、農業活性に関心のある周囲の方にも声をかけて、外から変えて行こうと外堀を固めるために動き始めました。積極的にちゃんと動いてくれる可能性のある方に声をかけています。

―努力が実っているわけでは決してないが、「やらなければよかったと思うことはひとつもないんです」と小財さん。食の未来、能勢の地域活性化のために、小財さんの第二章がスタートする。

小財誓子さんインフォメーション

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文・湯川真理子

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