かっこよい人

歳を重ねても笑顔と元気を取り戻してもらいたい!手の温もりで美容の新しい可能性を次世代に伝え続ける岡山京子さん

歳を重ねると笑顔が少なくなる方がいる。しかし、美味しいものを食べたとき、オシャレをしたとき、心がちょっと元気になる。長年、美容業界で指導を続けてきた岡山京子さんは、いくつになっても美しくなってもらいたいと独自の福祉美容を考案した。そこには温もりのある手の力と長年、美容業界に関わってきた技と工夫を駆使し、利用者に無理をさせず、たちまち誰もが美しくなれるテクニックがあった。

岡山京子(おかやま・きょうこ)・ペンネーム:岡山真理亜(おかやま・まりあ)
1957年生まれ。京都府宇治市に生まれ、大阪で育つ。大学卒業後、商社に勤務。美容師の資格を取得後、ブライダル業界でエステ、着付け、メイク、ヘアーと幅広い分野を担当。豊富な経験を活かし、理美容専門学校での人材育成や 企業スタッフ研修に携わる。美容と教育、美容と福祉、美容と健康をテーマに美容の新たな可能性を見出し、2015年10月「一般社団法人ヒュッゲ美育協会」を立ち上げる。
・一社)ヒュッゲ美育協会 代表理事 管理美容師
・一社)日本エステティック協会 認定指導講師
・一社)日本エステティック業協会 認定講師
・公社)日本毛髪科学協会 認定指導講師
・CIDESCO インターナショナルエステティシャン
・CODES-JAPON ソシオエステティシャン
目次

いつまでも素敵で元気に年を重ねてもらいたいから生まれた”ヒュッゲ美育”

長きに渡り理美容専門学校で理美容師、エステティシャンを育ててきた岡山さんが、美容の新たな可能性を見出し、独自に立ち上げたのが「一般社団法人ヒュッゲ美育協会」である。

ヒュッゲとはどういう意味なんでしょうか?

岡山
ヒュッゲ(hygge)とは、デンマーク語で「人と人との心のふれあいから生まれる安らぎのある心地よい空間」という意味です。年齢に関係なく、誰もがちょっとしたことで綺麗になれるんです。ヒュッゲといったら“ユッケ”と間違われるんですけど、私が広めている福祉美容は、アロマ、色、音楽、触るという言葉に頼らないコミュニケーションなので、ヒュッゲという言葉を付けました。

車椅子でも寝たきりでもシワがいっぱいあっても美しさをあきらめない、あきらめさせないという思いで活動を続けている。

岡山
美容は単に容姿を美しくするだけじゃないんです。人を元気にする役割も持っています。

高齢になればなるほど美容から遠ざかる人は多い。“年取ったらやりようがない” “シワだらけの顔だからあきらめている”という声が聞こえてきそうだが、決して、濃い化粧をして別人のように変身させるというやり方ではない。岡山さんの手にかかれば、あれよあれよという間に驚くほど美しくなる。しかも自然だ。

岡山
高齢者の方でもちょっとしたことで綺麗になるんですよ。みなさん、それに気が付いていらっしゃらないだけなんです。私はその方が本来持っている美しさを引き出しているだけなんです。

傍で見せていただいたが、手の温もりで自然な化粧をほどこしていく。髪を整え、ちょっとしたスカーフやアクセサリーでまるで別人のように見る見る変わっていく。“おや、これが私?”と自分の顔に驚き、綺麗な自分に見惚れてしまう。

さちこさま90歳 (左)ヒュッゲサービス提供前 (中・右)提供後
よしこさま 89歳 (左)ヒュッゲサービス提供前 (中・右)提供後

岡山
まず、ハンドマッサージでコミュニケーションを取るんです。手でひたすら触ってあげるんですよ。相手の手の温もりも伝わってきます。手をやさしくマッサージするだけでも人は変わります。

リウマチで動きにくくなった方の手をやさしくマッサージする岡山さん

手から始まり、触れ合うことで気持ちを伝える。温かな手でふれあうコミュニケーションは心も満たしてくれる。ハンドマッサージやメイク、ネイルはソシオエスティックの実践法で行なわれる。ソシオエステティックとは、人道的、福祉的観点から精神的、肉体的、社会的な困難を抱えている人に対し、医療や福祉の知識に基づいて行う総合的なエステティックのことである。岡山さんは、CODES-JAPONのソシオエステティシャンでもある。

岡山さんが目指し、広めているのは美容の技術によって人を癒し、励まし、その人が本来の自分を取り戻すための美容だ。

岡山
言葉以外の五感をフル活用しています。サービス中は、オルゴールやアルファ波の音楽をかけながら、お客様のお好きな色をお聞きし、ネイルやリップカラーを選んでいます。

ヒュッゲサービスで使用されるネイルは、日本画の顔料である胡粉(ごふん)で作られた水性ネイルで、刺激臭がなく爪にも優しい
アロマで香りを楽しむ
子どもとその保護者対象のセミナー・色で深層心理が分かる

高齢者だけでなく、子どもたちの教育にも力を入れており、子どもとその保護者を対象にしたセミナーも開催している。子どもたちのSOSを色でキャッチし、気づいたことを保護者に伝え、アドバイスをするというものだ。

岡山
若い方々には手の技術だけでなく、心の技術も伝えたいんです。寝たきりの方にでも着付けができるんですよ。

車椅子の方にヒュッゲサービスをする岡山さん

どのように着付けをされるんですか?

岡山
写真に残すための着付けなので簡単に着られるように工夫をしています。例えば、車椅子の方の場合は普通の帯結びはしません。身体への負担が少なくご本人も楽ちんなように工夫をしています。

かおりさま 66歳 (左)ヒュッゲサービス提供前 (右)提供後

実際、ヒュッゲサービスを受けた後の自分の写真を見て、誰もが驚く。こんなに変われるんだと。岡山さんは、理美容師やエステティシャンを目指す方だけでなく、鍼灸師、看護師、介護士の方々にもこのサービス、技術を伝えていきたいと考え、精力的に働きかけている。

岡山
鍼灸を学ぶ専門学校や介護関係のところに、突然、ヒュッゲ美育の導入をしてほしいと連絡をするので、怪しいやつかと思われることもあるんです。

そういって岡山さんは自嘲気味に笑うが、少しでも多くの方々に伝えていきたいという思いが強い。「美容」は単に容姿を美しくするだけじゃない、人を元気にする役割も持っていると岡山さんは言う。

美容との出会いは19歳

美容との出会いはいつ頃のことでしょうか。

岡山
オシャレはずっと好きだったんですが、本当の意味で美容のことを考えるようになったのは、19歳のときです。ワシントン州のヤキマに短期留学したときに、カルチャーショックを受けました。

ワシントン州のヤキマ地域の最初の住人はヤカマ族インディアンであると言われている場所である。

岡山
マウント・レーニア(ワシントン州の最高峰の山)が観たいっていう軽い気持ちで選んだ場所だったんですが、ホストファミリーのお母さんに言われたことが私の心にずっと残っています。

どのようなこと言われたのでしょうか。

岡山
水は大切なんだからお風呂は10分以内、シャワーのときは顔を最後に洗うとかいうことです。日本だと、お風呂はかかり湯してから湯船に浸かるように教えられましたし、お風呂に入るときに水が大切だからとか考えたこともなかったんです。顔を最後に洗うとシャンプーの液が顔に残らないので肌にもやさしいです。今なら理解できますが、そのときはカルチャーショックでした。もっと、自分を綺麗にしなさいって。19歳だったのに、14、5歳の子どもにしか見られませんでした。見かけだけでなく中身も子どもでした。

自分が考えていた美容とは違った。美容はお金をかけて綺麗にお化粧をすることだけではない、本質を教えられたような気がした。国が変われば風習も違う、そして、なにより日本の文化を聞かれても何も応えられなかった自分を恥じた。

ロサンゼルス空港・19歳の頃の岡山さん

この短期留学で日本文化を理解しておくことの大切さを身に染みて感じたという。そして、同じ頃、大阪でも自分の顔と向き合うきっかけになった出来事があった。当時の岡山さんは、美容室も上手いと評判のところでカットをしていたし、おしゃれにはちょっと自信があった。ところが…

岡山
似顔絵の先生の助手のアルバイトをしたんです。そのときに似顔絵の先生に“自分の顔、分かっている?”って言われたんです。おかっぱヘアで動きも少なく前髪もサイドも左右対称に真っすぐ揃えていました。そしたら、定規を顔に当てているみたいって。最初は意味が理解できなかったんですが、髪の動きが少なく真っすぐな線のカットだと顔のゆがみが明確に分かってしまうから損をしているよと言うことです。

シンメトリーな顔は一日ではできない。片方だけでモノを噛み続けると片方だけが発達するし、左右の視力が異なるままだと目の大きさや眉の高さまで違ってくるのだ。

岡山
鏡を通して見る顔が自分の顔だと思うのではなく、生活習慣も身体のゆがみも顔に影響します。若いときにそういうことに気づいて欲しいので、高校や理美容学校で自分の顔に向き合う授業を取り入れています。

美容は外見だけでなく、内面も含めて磨いていかなければならないことや自分の顔を理解して、その人が持つ本来の美を引き出し、導く仕事であること。この2つの出来事は、50年ほど前に言われたことではあるが、今も鮮明に記憶しているという。

主婦から美容の世界へ!

岡山さんは大学卒業後は、商社に勤務し、その後は結婚し専業主婦になった。

岡山
私、子どもが生まれる日にも美容室でシャンプーしてフェイシャルを受けてから入院したんです。私の妊娠を本人より先に気づいてくれたのも独身時代から私のフェイシャルを担当してくれたエステティック担当の美容師さんなんですよ。

ご自身が美容の仕事を始められたのはいつからでしょうか。

岡山
エステをしてもらうのは大好きでしたが、自分でやろうとは思っていなかったんですよ。結婚後は専業主婦をしていましたが、夫の事業がうまくいかなくなってそれどころではなくなってしまいました。私も働かなきゃとハローワークに行ったんです。そこで見つけたのが美容室の仕事でした。ヘアーサロンとエステティックメニューもあってブライダルに力を入れていたので、そこでヘアー、エステティック、着付け、メイクをすべてやりました。そのときに、美容師の資格を取得してはと勧められて、働きながら通信の美容学校に入学しました。

美容学校の合格発表の日、大規模の地震が起こる。1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災である。当時、岡山さんは神戸に住んでいた。岡山さんは、避難所に出向き、疲れ果てている人たちの髪を整え、カットをした。そして、その人数分の笑顔にも出会った。

岡山
神戸に住んでいたこともあって忘れられない日になりました。避難先に行ってカットをして喜んでいただいたときに、この仕事で食べて行こうと決意しました。頑張って人を元気にするぞ!って。

以来、岡山さんは美容の道一筋に歩み、フリーでブライダルサロンの仕事を開始する。その後、美容学校のエステティックコースの立ち上げを任され、どんどん指導者としての仕事をする機会を得、理美容専門学校でのエステ部門の指導を頼まれることも増えていった。岡山さんが社会に送り出した理美容学生は5,000人以上にのぼる。

手の温もりがつくり出す「美のチカラ」を若い世代へ

まどかさん 60歳 自分へのご褒美にヒュッゲサービスを受けた

岡山
美容はお金をかけて化粧をするだけじゃないんです。若い方にも老いるということを知ってもらいたいんです。年を重ねて耳が聞こえにくい、目が見えにくい、体が思うように動きにくい方にはやさしさが必要です。ドライヤーのかけ方ひとつとっても違うんです。今はお客様は性別、年齢、国籍を問わず多様化しています。美容が担うのは技術だけでなく、様々な人に寄り添える心の技術も必要です。

岡山さんのそんな思いから生まれたのが手の温かさで世代を超えて人を美しくする「ヒュッゲ美育」である。

岡山
手のマッサージをすると、相手の温もりも伝わってくるんですよ。

次世代に笑顔と元気を伝える活動を使命と考え、車椅子でも寝たきりでもシワがいっぱいあっても美しさをあきらめない、あきらめさせない。手の温もりがつくり出す「美容のチカラ」で心も元気にしてあげたいという強い思いで活動を続けている。

取材の別れ際に、岡山さんに“お母様のこと、たくさん、触ってあげてね”とメッセージをもらった。我が母、94歳。ヒュッゲサービスを受けさせてもらい、変貌した自分に驚き、最初はきょとんとしていたように見えたのだが、その翌日、何人もの知人に写真を送ってほしいと母に頼まれた。

岡山京子さんインフォメーション

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文:湯川真理子
写真提供:岡山京子さん
取材協力:西日本ヘアメイクカレッジ

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