モロッコを愛しオリジナルブランドをオープン 好きを仕事にする“難しさ”と“幸せ” 大原真樹インタビュー

今回お話を聞いたのは、モロッコ雑貨専門ブランド「Fatima Morocco(ファティマ モロッコ)」を運営する大原真樹さん。モロッコに出会い、“好き”という気持ちを原動力に、道を切り拓いたひとりだ。そんな大原さんに、これまでの人生の歩み、そして仕事を通して好きを伝えることについて聞いた。

- 大原真樹
1965年生まれ。
アパレルメーカーに勤務し、モロッコ雑貨に出会う。
2005年に「ファティマ モロッコ」を立ち上げ、翌年独立。年間100日以上をモロッコで過ごしながら活動。2013年にはコスメブランド「フルールドファティマ」を設立し、ブランドを通してモロッコの魅力を発信している。
憧れのファッション業界へ
モロッコ雑貨専門ブランドの『ファティマ モロッコ』を運営されている大原さんですが、以前はアパレル業界で働かれていたと拝見しました。
大原真樹(以下、大原)
ファッションは子どものころから好きでした。原宿はトレンドの聖地で、毎週のように原宿に繰り出していました。当時は、ロックファッションやタケノコ族なんかが流行っていたんです。
家が厳しくてアルバイトができなかったので、お買い物は限られたお小遣いのなかでやりくりをしていました。何回も何回も悩んで、原宿に行っては帰り……。でもそうした制限があったおかげで、コーディネートの組み合わせ力が鍛えられたのかもしれませんね。
大原
高校を卒業してからは、アパレルメーカーに就職し、ショップ店員をしていました。洋服は好きだったのですが、そのころはまだ若かったですし、そこまでファッションに詳しくなかったので、むしろお客さんから学ばせていただくことも多かったですね。
お客さんはどんな方がいましたか?
大原
配属先が原宿だったので、やはり洋服が好きな方が多かったです。当時はDCブランドが流行していて、いろんなブランドが台頭していました。ファッション雑誌『anan』も、そのころに生まれたと思います。個性が豊かで、とても楽しい時代でした。売れようが売れまいが、とにかく個性的なものが多かった印象です。
ファストファッションが当たり前になりつつある現代とは、かなり違いますね。そこからはどういったキャリアを歩まれたのでしょうか。
大原
会社で取り扱っている商品は海外から輸入しているものが多かったので、自然と自分も海外で仕事をしてみたいと思うようになり、バイヤーを目指すことにしました。バイヤーになるには英語や計算など身につけなければいけないことがいくつかあったのですが、一個一個クリアしていって、27歳のときにバイヤーになったんです。
バイヤー時代は、どんな国を訪れたのでしょうか?
大原
主にパリ、ミラノ、ロンドンですね。憧れていた仕事だったんですけど、いざやってみるとすごく大変でした(笑)。というのも、当時はセレクトショップの走りの時代だったんです。買い付けでは莫大な予算を割り振りして、1か月近くその国に滞在してとにかく展示会を回るような日々で。いまみたいにパソコンなんてないから、毎日電卓を叩いて、デジカメもないから仕入れる商品はデッサンして、日本にファックスで送っていました(笑)。
それは大変ですね……。
大原
信じられないですよね(笑)。しかも展示会に「明日来ます」なんてことはないから、オーダーはその場で即決。決断力も求められる仕事でした。でもいま思えば、そういう“現場力”みたいなものは、バイヤー時代に身についたと思います。
独立から運命の出会いへ
32歳のときに、フリーのスタイリストに転身したと伺いました。会社勤めを辞めたのはなぜでしょうか?
大原
もう少し、自分の好きなことをやってみたいなと思って。アパレル店員時代も、バイヤー時代も、仕事はすごく楽しかったのですが、自分が好きじゃない商品でも仕入れたり売らなければいけないことが、ずっと自分のなかで引っかかっていて。もちろんその経験も勉強になったのですが、もっと自由に挑戦したいと思いました。
組織にいる以上、100%自分の意思では物事って決められないじゃないですか。しかも私は、先輩の言うことでも、納得いかないことは納得いかないと思ってて。いま思えばちょっと変わり者でしたね(笑)。成功も失敗も、自分の責任で全部やってみたかったんです。
それに、会社というのは自分がいなくても回るものですからね。そこにいるのは自分じゃないな、というのも感じていました。
そこから独立してブランドを立ち上げることに?
大原
バイヤー時代に、会社の新規店舗を見る機会があって。そのお店の内装が、モロッコだったんです。それがモロッコとの初めての出会いでした。すごく魅了されて、実際に行ってみたいなと思ったんです。
モロッコのどういったところに惹かれたのでしょうか。
大原
いままでに見たことのない世界だったんです。「バブーシュ」を筆頭に、絨毯やかごバックなど、自分の生きてきた世界では見たことがない刺繍が施されていて、そのデザイン性に惹かれました。それからずっとモロッコに行ってみたいと思っていたのですが、当時はモロッコに関する旅行誌がほとんどなかったので、ずっと妄想を膨らませる日々でした。そして、37歳のときに初めてモロッコに行ったんです。
念願のモロッコはどうでしたか?
大原
10日間ほど訪れたのですが、自分の想像を超えた世界でした。雑貨が可愛いのはもちろん、建物や景色、モロッコはとにかく“色”に溢れている世界なんです。すぐもう一度来ようと思って、また半年後に行きました。何度か訪れるうちに、「仕事にしよう」と思い始めてきたんです。
仕事をすると決断したのは、どのタイミングだったのでしょうか。
大原
40歳のときに、改めてモロッコを1か月ほどかけてじっくりと巡ったんです。すでに「何かしたいな」と言う気持ちではいたのですが、その1か月で仕事を始めるという気持ちは、確信へと変わっていきましたね。
売ることは伝えること
改めて、大原さまから見てモロッコとはどういう国ですか?
大原
モロッコはフランスの保護領だったので、フランスを始めとしたいろんな文化が混在している国なんです。モロッコは北アフリカにあるのですが、土着性はそこまで感じず、洗練された部分を持ち合わせています。イヴ・サンローランの別荘もモロッコにありますし、世界で活躍するデザイナーがモロッコに魅了されているんです。
「パリのエスプリ」も効いていますし、モロッコはアラブの文化やイスラムの文化、アフリカの文化のちょうど“交流地点”になっているので、そういったいろんなものをミックスした雰囲気が、そのままモロッコの魅力になっているんだと思います。
多面性がある国なんですね。仕事をすると決めてからは、まず何をしたんでしょうか?
大原
まずは“モロッコの生活”を理解するようにしました。モロッコは国教がイスラム教なので、日本とはかなり文化が違いますよね。たとえば1日に5回お祈りをしたり、暦は西暦じゃなくてイスラム暦だったり、独自の女性観があったり。初めてのことばかりだったので、何度も通って学びました。
たしかに、イスラムの女性観は独特なイメージがあります。
大原
イスラムの男女は一緒に作業をしないんです。「Fatima Morocco(ファティマ モロッコ)」の商品は一緒に発注をしているのですが、作業内容は男女で完全分業になります。たとえばバブーシュだったら、刺繍は女性、縫製は男性と、作業内容も、作業場所も分かれているんです。公務員や役所などは男女同じ職場のこともあるようなのですが、伝統工芸の場合はほとんど分業ですね。
なるほど。そういった男女観の違いなども含め、モロッコの文化に触れてみてどうでしたか?
大原
いままで自分が生きてきた世界が常識だと思っていたのが、覆されました。自分の世界がいかに小さいものだったのかを実感して、すごくいい経験になりましたね。それまでも仕事で海外経験はありましたが、行ったことのある国はすべて先進国でしたし、ここまで文化の深いところまで目にしたのはモロッコだけです。モロッコに魅了されて25年が経ちましたが、まだまだ知らないことだらけですよ。
改めて、異国のブランドを立ち上げるのは大変だったかと思いますが、金銭的なやりくりはどうやっていったのですか?
大原
開業当初は自己資金で行いました。あまり無駄なことや無理なことはしたくなかったので、できる範囲で始めました。最初は仕入れもひとりで小さな規模から始めて。ただ、オリジナル商品を作ることは決めていました。
仕入れるだけでも大変そうですが、さらにオリジナルを作るとなると、乗り越える壁も多そうですね。
大原
そうですね。たとえば、イスラムは宗教絡みの行事があるんですけど、そういうときはみんなお休みに入ってしまうんです。なので、宗教や生活習慣を理解してから発注をするようにしました。あとは、日本のアパレルブランドとして展開していくには品質があまり良くなかったので、そこも改善しましたね。デザインはなるべくモロッコのテイストを壊さないように、でも品質は日本に合わせるようにしました。
海を跨いで品質管理をするのも、難しそうです。
大原
まずは腕のいい職人を探したり、良質な素材探しから始めました。ブランドの営業も自分でやりましたね。知り合いに紹介したり、電話をしてアポをとって、お店に商品を持っていって説明して。いまみたいにSNSも発達していなかったですからね。最初はもう自分の行動のみでした(笑)。
それから会社が成長し、ちゃんと結果が出ているというのが本当にすごいです。
大原
もちろん商売なので、売り上げは大事です。スタッフも抱えていますので……。でも、売れりゃいいってわけでもないんですよね。「売る」っていうのは、その商品の背景や、どんな使い方ができるのか、どんな魅力があるのかを伝える“責任”を持つことだと思うんです。
それがスムーズに売り上げにつながればいいのですが、やっぱり売れないものもあるわけで。それでも伝えていくことは大切だと思っています。「モロッコって何?」って聞かれたときに、「こういうものがあるんだよ」と伝えるのが自分の責任だと思っています。……誰に頼まれたわけでもないんですけどね(笑)。
モロッコに出会い、現在に至るまで多くのことを乗り越えてこられたかと思います。これまでを振り返ってみて、どうでしょうか?
大原
大きな問題にぶち当たったときこそ、そのあとは上がっていくんです。私も、これまでに眠れない夜は何度もありました。コロナになったときもそうだし、火山噴火の影響で飛行機が飛ばなくて、商品が全然来なかったりとか……(笑)。でもね、解決しないことはないんです。「明けない夜はない」じゃないですけど、人生には波があります。
私もそうでしたが、問題が起きて落ち込んでしまっているときは、その世界しか見えなくなってしまいがちですよね。でも、ずっと谷底にいることはないんです。いつかは上がります。だからずっと悩んだままでいるなんて勿体無い。デンと構えて、楽しんだ方がいいんですよ。
あとがき
質筆者はまだ32年しか生きていないが、それなりに挫折し、傷ついたことはある。でも、不思議といま振り返ると、意外と人生はなんとかなっている。
落ちているときは何も見えないような気がするけど、時間をかけて、できることから始めたら、気がつくと人生の波はゆっくり上がっている。そう考えると、くよくよしている時間はたしかに勿体無い。だってどうせ落ちたぶん人生は上がってくるんだから。それがわかるだけで、人生は少し生きやすくなる。
大原さんはたくさんの経験をしてモロッコのオリジナルブランドを立ち上げる、というものすごいことを成し遂げている方だが、きっと何度も谷底を渡り歩いてきたのだろう。それでもいつか人生というものは上がってくると信じてきた人だからこそ、大原さんの言葉は強く響いてくる。同時に、「何があっても大丈夫」と、自分でも気づかなかった“強い自分”を引き出してくれるようだった。
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