かっこよい人

みんなが笑っていてほしいから
心で描く絵本作家 長谷川義史さん

長谷川義史さんは、大阪を拠点に活躍してる人気の絵本作家である。これまで手掛けた絵本は150冊以上、そのダイナミックな筆遣いで描かれる個性豊かな登場人物にほろりとしたり、懐かしかったり、クスリと笑ったり、あったかい気持ちになったり。自分が経験したことをベースに物語を考えるという長谷川さんの絵本の世界には、いつも「笑いと平和」がベースにある。還暦を過ぎた今も精力的に絵本を描き続けている長谷川さんに創作への思いを伺った。

長谷川義史(はせがわ・よしふみ)
1961年・大阪府藤井寺市生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーターを経て、2000年『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』で絵本作家デビュー。これまでに150冊以上の絵本を手掛けている。2003年『おたまさんのおかいさん』(解放出版社)で講談社出版文化賞絵本賞、2008年『ぼくがラーメンたべてるとき』(教育画劇)で日本絵本賞、小学館児童出版文化賞を受賞。毎日放送『ちちんぷいぷい』のコーナー「とびだせ!えほん」(2012年~2022年)では、関西を中心に各地を訪れスケッチを描き続けた。また、年間約100回もの絵本ライブを全国各地で開催。近著に『とびだせ長谷川義史 ぼくの歩いてきた道』(求龍堂)がある。
目次

絵本作家になるきっかけは芝居のチラシ

今年の7月に出版された『とびだせ長谷川義史 ぼくの歩いてきた道』(求龍堂)の表紙は長谷川さん自身の自画像である。初対面の長谷川さんを見て、絵本から飛び出してきた主人公が動き出したのかと思った。切り揃ったパッツン前髪、丸眼鏡に愛嬌のある髭、絵本の表紙そのままだ。大阪市北区にある日本一長いと言われている天神橋筋商店街の近くにある長谷川さんのギャラリー「空色工房」で、お話を伺った。絵本作家になる2000年までは、どんなお仕事をされていたんでしょうか?

長谷川
最初はディスプレーとか看板の仕事をしていました。ずっと、絵は描きたかったんで、イラストレーターに一番近いグラフィックデザイナーの仕事ができる小さなデザイン事務所に潜り込みました。なんでもいいから自分の絵でお金がもらえる仕事をしたかったんです。バブルの恩恵はまったく受けてないですが、景気はよかったんで小さな広告の仕事でワンカット描かせてもらったり、こぼれてきた仕事をちょっとずつしていました。

その頃から絵本を描きたい気持ちはあったんですか?

長谷川
グラフィックデザイナーは商品やクライアントに向けた絵を描きます。それはそれで勉強になったんですが、いつか、1冊まるまる自分の絵が作品になる絵本作家にずっと憧れていました。でもどんな絵本にしたいとかのイメージとかは持ってなかったです。こんな絵本を描きたいというのが普通でしょ。ただ絵本てかっこいいなあ、いつか作ってみたいと思っていました。

絵本を描いて出版社に持ち込んだりされていたんですか?

長谷川
絵本はまったく描いてなくて、なりたいと思っていただけでなにもしてなかったんです。きっかけは、大阪で芝居のチラシなんです。僕が描いた芝居のチラシを見た編集者がわざわざ東京から大阪に会いにきてくれて「あなた絵本描けます」と言うてくれたんです。どこの誰かもわかれへん奴にですよ。芝居のチラシは、ストーリーを1枚の紙に表現して、お客さんの想像力を掻き立てないといけないものなんで、チラシを見て「この人は物語を描けるんじゃないか」と思ってくれた見たいです。棚から牡丹餅や思て、「描きます、描きます」と即答しました。

すごいチャンスが舞い込んできたんですね。それで、どんな絵本になったんですか?

長谷川
「どういうものを描きたいの?」と聞かれても恥ずかしながら何もなかったんです。絵本は出したかったのに、描きたいことを描いてと言われたら、なんにも考えてなかったことに気づきました。でも側で聞いていた嫁はんが編集者に「1か月後に原案を提案させます」て言うたもんで、出すしかなくなりまして。1か月後に3つ思いついたものを提案したら編集者に「みんなええ」言われました。

ここまではまさに棚から牡丹餅、順調満帆のはずだったのだが、ここから「えらいこっちゃ」が始まった。1枚描いてはダメ、3枚までいった時点でまた描き直す。思いもかけない試練が長谷川さんを襲う。

長谷川
ストーリーはまとまっていたんですが、絵にとてもできない。描けなくって。描いては直すを繰り返して1年半くらいかけて、なんとか形になったものを出版社に持っていったら「出しましょう」と言ってくれたんです。ところが、その編集者は「もう一回、描きましょう」と。

えっ、出版社がオッケーを出したのに、編集者からダメ出しが出たんですか?

長谷川
はい。でも僕は正直ほっとしたんです。恥ずかしい話なんですが、もう一回やり直すチャンスがもらえたと思ったんです。ボツの悲しさよりやり直せる喜びのほうが勝っていました。

それから1年後にやっと本人も納得し、編集者も納得してくれた絵本が出来上がった。あの棚から牡丹餅の話があってから3年の月日が流れていた。そうして初めて世に出た絵本が『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』(BL出版)である。「ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんのおじいちゃんは、どんなひと?」 5歳の男の子の素朴な質問から、時がどんどんさかのぼり、おじいちゃんからおじいちゃんへ、そのまたおじいちゃんへと続く、命のつながりを教えてくれる絵本だ。こうして、やっとデビューにこぎつけたのだが、それからぷつりと仕事が途絶える。

デビュー後、3年目にして絵本作家を名乗る

長谷川
本が一冊できて、わーい、わーいと喜んで満足していたんです。感想もいっぱいもらいました。絵本は一冊出せばすぐに次の話が来ると聞いていたんですけど、1年間、なんもけえへん。今度こそ、一からやろうと思ってました。2年後に、やっと別の出版社から依頼がきて、『おたまさんのおかいさん』(解放出版社)という絵本を描きました。この絵本で講談社の賞もいただきました。やっと、すごい仕事やなあって実感して、このときから自分であえて絵本作家を名乗るようになりました。この頃は、しばらくあほほど描いていました。「月間絵本」と言われていたくらいです。

毎月のように絵本を出していたため、ついたニックネームが「月間絵本」だった。絵は子どもの頃から好きだったという長谷川さんは、学校で落書きしたり、ペラペラ漫画を描いたりしていた。ペラペラ漫画を見せるとみんな笑ってくれる、その反応がすごく嬉しかったそうだ。そのときの気持ちは今も変わらず持ち続けており、大人になっても自分が面白いと思うことを描くと決めているという。

テレビに出たら恥ずかしいことはできへん

毎日放送『ちちんぷいぷい』『土曜のよんチャンTV』内で放送された人気コーナー『とびだせ!えほん』では、長谷川さんが関西を中心に街歩きをしながらスケッチをし、その絵を毎回、スタジオで披露した。街をぶらっと歩いて、感じたことを絵で表現するというこのコーナーは、2012年4月から22年3月まで10年間も続いた。

長谷川
テレビは知らん世界やし、楽しそうや思て引き受けたんです。なんや知らんおっさんが何の目的もなく情報もさほどない、ただ歩いてるなんてコーナーがこんなに続くとは思ってもなかったんです。だから、最初はあんまりはりきってやらんとこって、テレビの人がやれっていうからやってる、失敗しても僕の責任ちゃうという感じでした。やっているうちに形になってきました。10年も続いたんで、歩いていたらよく声をかけられるようになりました。ありがたいことです。テレビに出てたら恥ずかしいことはできへん。

大阪人がみんなおもろい、うるさいわけやない!

長谷川さんは、どちらかというと物静かな印象を受ける。そんな長谷川さんが常々思っていることがあるという。

長谷川
大阪人はみんなおもろい、うるさいと世間一般はいうけれど、控え目な恥ずかしがりやなところもあるんです。普通に大阪の街に生まれて育ってきたからか、僕はファンタジーはよう書かん。森に熊さんがおるけど、森にいる熊さんは人間の言葉はしゃべらへんし。ファンタジーは恥ずかしいんです。リアリティーの中でおもしろないと何か嫌なんです。

長谷川さんの絵本は、自らの体験や記憶から発想する物語が多い。幼いころに亡くなった父親のこと、女手一つで育ててくれた母親のことも長谷川さんの絵本の世界の中で新たな命が吹き込まれ、生き生きと描かれている。月間絵本と言われた時代から比べ、最近はゆったりと描いているというが、そうは見えない。

長谷川
まだまだ出したい本はいっぱいあります。基本はおもしろい本です。やせ我慢はしたくないんで、「ここの箇所をついていったら商品として売れる」的なことはやりたくない。紙がもったいない。常に子ども目線で作りたいんです。子どもが「幼稚園いやや、行きたくない」いうのには、彼らなりの理由がある。「下駄箱がいっぱいで靴が入らへんから」だったり「カスタネットばかりやらなあかんから」「大きな声であいさつするのが恥ずかしい」だったりね。大人は子どもは元気溌剌で大きな声で挨拶することをよしとするでしょ。幼稚園いややいうてるのは僕だけと違うと、子どもを安心させたいんですけど、幼稚園はいややを連呼するような絵本はあんまり売れへん。

今度はこんなテーマで描きたいというのはあるのでしょうか?

長谷川
僕はテーマはないねん。なんか知らんけど、これ描きたい!って思って描く。テーマは後からついてくることはありますけど、テーマありきでは描かない。押し付ける手前で引いてやめておかんとね。読者に余地を残しておかんとあかんと思う。余白と間が大事。今の時代、なくなってきてるでしょ。余白も間も。はっきり言うてやらんと安心せえへん。商業ベースだけでやられると場が荒らされて困ります。

今まで描かれた絵本で一番好きなものはありますか?

長谷川
そりゃあ、優秀な子もいれば、働かん子もいるけど、どれもかわいいです。

煮詰まったり、気分転換したいときは、街の中を散歩するそうだ。各地で開催している絵本ライブも知らない街へ行けるのが気晴らしになるという。常に自分に正直で、自分を裏切らない創作を続けている。「大阪人がみんなおもろい、うるさいわけやない!」という恥ずかしがり屋で物静かな長谷川さんだが、大阪魂ともいえる「笑い」の精神は創作には欠かせない。大胆な筆づかいで描かれるユーモラスな絵に、子どもも大人もついつい顔がほころび笑顔になってしまう。長谷川さんが生み出す絵本には「みんなが笑っていてほしい。幸せになってほしい」というメッセージが込められている。

お話しを伺った長谷川さんのギャラリー「空色工房」
オカピぼうやのちいさな冒険・原画

絵本作家 長谷川義史さん最新情報

初作品集『とびだせ!長谷川義史 ぼくの歩いてきた道』(求龍堂) 好評発売中

長谷川義史・著『とびだせ! 長谷川義史 ぼくの歩いてきた道』書影
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  • 著者:長谷川義史
  • 出版社:求龍堂
  • 発売日:2022年7月8日
  • 定価:2,970円(税込)

「とびだせ!長谷川義史展」

絵本作家、長谷川義史さんの展覧会が開催されます。

  • 姫路文学館:2022年6月25日(土)~9月4日(日)
  • 大丸ミュージアム<京都>:9月17日~10月3日

ほか全国巡回予定。情報は展覧会公式ツイッターをチェック!

取材・文=湯川 真理子

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