かっこよい人

30年余りの警察官人生から一転、第二の人生はカレー店の店主

京都市内の中心地、三条通り室町西入るにある欧風カレーハウス「ガーネッシュ」の店主・吉野明彦さんは、30年余り京都府警で働いていた元警察官だ。殺人や強盗といった凶悪事件を扱う捜査一課で、検視官も務めた。第一線で活躍した吉野さんが、第二の人生として選んだのは自らカレーを作り、カレー店を開くことだった。52歳で早期退職し、まったく未知の世界へ飛び込んだ。なぜ180度違う人生を選んだのか。「ガーネッシュ」は今年で8周年、全く悔いはないという吉野さんに、今の思いを熱く語ってもらった。

吉野明彦(よしの・あきひこ)
1960年 東京都生まれ。1978年 京都府警に入る。京都府警では、主に凶悪事件を扱う捜査一課や鑑識課に所属。検視官、京都府警警察学校の教官も務める。2013年、52歳で早期退職。カレー修行、ディズニーシーでのアルバイトなどを経て、2014年、京都市内に欧風カレーハウス「ガーネッシュ」をオープン。今年で8周年を迎えた。
目次

京都の烏丸御池駅から歩いてすぐのところにある欧風カレーハウス「ガーネッシュ」の昼休憩の時間に吉野明彦さんを訪ねた。「さあ、入ってください」吉野さんが笑顔で出迎えてくれた。店に入ってすぐに「なんて掃除が行き届いているのだろう。ピカピカだ」と感心する。京都府警時代は主に捜査一課に所属していた。テレビやドラマによく登場する凶悪事件の捜査をする部署である。検視官や京都府警警察学校の教官も経験した。そんな30年余りの警察人生に幕を下ろし、今までとは別世界のカレー店の店主になった。カレーを作るのは、もちろん吉野さん自身だ。今年、8周年を迎える吉野さんに、第二の人生にカレー店の店主を選んだ理由を伺った。

一回、すべて捨てちゃおう 警察官からカレー屋を目指す

吉野
捜査一課というのは、ほら、よくドラマにでもなるようなところですよ。「警察を辞めて飲食業をします。カレー屋になります」と言ったときは、誰もが「50歳を過ぎて、そんなことできない」と思ってました。こんな危険なことないですからね。今年で8周年ですが、我ながらよう乗り越えた思います。今思うと、逆に怖さを知らないからできました。

30種類ものスパイスを調合して作られるカレーは、本格派だ。まず、メニューの多さに驚かされた。トッピングの種類も多い。
すごいメニューが多いですが、大変じゃないですか?


吉野
メニューはお客さんの言いなりです。定食屋なら毎日通ってもいろんなメニューがありますが、カレーを毎日というわけにはいかない。飽きられないようにしようと思っていると、どんどんメニューが増えました。

ふわとろオムレツチキントマトカレー

定番のカレーに加え、ルーローハンカレー、ふわとろオムレツチキントマトカレー、牛タンカレーと数え上げればきりがない。カレーうどんまである。アルバイトはいるが、基本、調理から接客、経営も吉野さんがこなしている。なぜ、カレー店だったんだろうか。

吉野
一回、すべて捨てちゃおう。まったく違うことをしようと思ったときに、人と接する仕事にしようと。「元気にしているか?」と声をかけたり、常に人が出入りする仕事がいい。人は普通、美味しいものを食べているときは怒らない。人の笑顔を作る仕事をしたい。なら、飲食業だってね。

料理はもともとお好きだったんですか?

吉野
単身赴任をしているときは、よく自分で作っていました。部下も呼んでふるまってました。みんなうまい、うまいと言ってくれた。カレーは、当時からスパイスから作っていまして、評判が良かったです。まあ、上司が作ってくれてまずいとは言えないですよねえ。

東日本大震災 検視官として任務に就く

「一回、すべて捨てちゃおう」と吉野さんを決意させたのはなんだったのか。きっかけは、東日本大震災だった。2011年3月11日、東日本大震災が起きた。全国の警察官が支援部隊として被災地に向かった。京都府警で検視官を務めていた吉野さんもその一人だ。多くの部下と共に石巻市内に行くことになった。今だから話せると、検視官としての体験を語ってくれた。

吉野
阪神淡路の震災の時は捜査一課の巡査部長でした。このときは、検視官の上司に付いて回るという感じだったので通常任務でしたが、東日本大震災のときは、階級も上がっていました。検視官の立場で、2,30人の部下と共に宮城県の被災現場に行きました。震災後、2週間足らずのときです。自分が責任者で、部下に指示する立場でした。検視官というのは、お亡くなりになった方が病気なのか犯罪なのか自死なのか、事件性がないか調べる入口です。一番、やっちゃあ駄目なことは、間違えることです。それを「事件を眠らす」っていうんです。なんでこの話をするかというと、「ご遺体はすべて震災で亡くなった方なんですか?」ということです。震災のときの統計は、死亡原因はすべて震災によるものになっています。震災の日に自殺された方もいるかもしれない。震災のときは、それがゼロだった。ゼロはない!
「検視官としてはっきり言います。ゼロだという自信はない」

吉野さんは、検視官時代のまなざしになっていた。これまで慎重にずっとやってきた。震災までは「事件を眠らす」ことはこれっぽっちもなかったという自負があった。しかし…

吉野
俺が俺を許せなかった。

心が晴れなかった。検視官としての役割を果たせなかったのではないかと自問自答した。そして決意をする。「一回、すべて捨てちゃおう」と。警察官人生に幕を下ろした。

ふるさと東京へ そしてディズニーシーのキャストになる

吉野さんが生まれ育ったのは東京だ。警察官を辞めて、1度、故郷に戻った。故郷の海山が懐かしいと思う人がいるように、吉野さんにとっては、都会の雑踏がなつかしく落ち着いた。警察官時代から部下の指導や管理の参考にしようとビジネス書はよく読んでいた。その中にディズニーランドの書籍もあった。飲食業につくなら最高の接客を学ぼうと、オリエンタルランド(ディズニーランド)のアルバイトに応募する。このとき52歳。受かるとは思ってもいなかったのだが…

吉野
私が受けたときは、50代は私だけでした。ショーの案内をするキャストに配置になりました。40人から50人のキャストがいるんですが、みんなアルバイトです。ほとんどが20代の中、5,6人だけ私のような年齢がまじっているんです。

その年齢の人たちの顔ぶれがおもしろい。元警察官の吉野さん、元学校の先生、ディズニー好きの現職の眼科医というツワモノ揃いだ。20代の若いキャストに交じると、立っているだけでもアルバイトを統括している管理職のようだ。現職の眼科医のキャストは、勤務医だったので勤務時間外で働いていたそうだ。

吉野
笑顔で立っていないといけないんですが、笑顔はいいんですが、つい、警察官時代の立ち方になるんです。一本立ちで腕を組んで立つわけです。長時間、立ちことが多かったんでこの立ち方だと疲れないんです。

立って見せてくれたその姿は、かなり様になっていて、ちょっとカッコいいが、ディズニーシーのキャストが腕組みをして立ってはいないはず。1年間のディズニーシーでのアルバイトで笑顔もさまになってきた。加えて有名カレー店や飲食チェーン店でもアルバイトをし、衛生面や食品管理などを学んだ。元々警察で培った情報収集力が役立ったという。

警察官時代に培った情報収集力を発揮

吉野
他の飲食店に納品に来る車をみて、ああこの食品を仕入れているんだとか調べました。納品時間も大体わかってくる。中央市場に行って仕入れの状況を調べたり、市場の人に何号の玉ねぎがいいとか聞き出しました。

こうして、カレー店を開業するために必要なことを調べていった。聞き出すのもお手の物だ。店がある京都市中京区の衣棚町(ころものたなちょう)は、祇園祭の街である。2022年は山鉾巡行と神輿渡御が、3年ぶりに執り行われた。今年の夏は、196年ぶりに「鷹山」が復興した。吉野さんは「鷹山復興保存会」の会員だ。カレーは30種類以上のスパイスを駆使して作られている。「ガーネッシュ」の名物カレーは「鷹山カレー」である。祇園祭の「鷹山」の曳山をイメージしたカレーで、ライスは鷹山の曳山に、ヒレカツは車輪に見立て、メレンゲにたまごがの黄身がのってある。ベースになるカレーは吉野さんがすべて作っている。一口目にはフルーティーで甘口カレーかと思うのだが、後から辛さが追いかけてくる二段カレーソースだ。

鷹山カレー

吉野
カレー屋になって後悔はまったくない。面白いですよ。2年位前にレトルトの販売を始めました。

レトルトのカレーは、すべて吉野さんが作っている。店のカレーの味がそのまま家で楽しめる。今は業者に頼んでレトルトにしてもらっているが、今後はレトルトの食品加工業を自身でできるように準備も進めている。他の人の分も製造していこうと計画中だ。レトルトカレーのほか、スパイス類の販売もネットで始めた。京都府警の後輩が人生相談にも来るという吉野さんに、常に心掛けていることを聞いた。

レトルトカレーはネットでも購入できる
店内に飾られているスパイス棚

横を向いたり後ろを向いたらつまずく

吉野
警察時代からですが「横を向いたり後ろを向いたらつまずく」ということですね。横を向いたらつまずく。後ろを向くと碌なことはない。後ろ向きの仕事は取り返しがつきませんが、前向きの失敗は取り返しがつきます。

人生を進んで行く上で、周りの人のことや過去のことが忘れられず、横を見ては、自分の位置を確かめたり、後ろを振り返り過去のことを悔やんでみたりと、思い切りがつかないことが多々あることが事実です。しかし、横ばかり見ていたら、先に進むのにつまずいてしまい、後ろをばかり見て後悔ばかりしていると前の壁に当たってしまいます。人は忘れてはならないこともあるのですが、忘れなければならかいこともあるんです。上手くできたもので記録は自然と薄れて行きます。その先の未来には、いくつになっても新たな世界が開けるはずです。止まっている場合ではありません。常に前向き積極姿勢で、迷いや恐れは打開できるはずです。

就活の相談をされたとき、吉野さんはこうアドバイスをした。「あんまり横をむくな。親の期待に応えてええとこへ就職するのもいいが、最終的には自分がどうしたいかや。人生はあっちゅう間や。あかんかったら辞めたらええねん」

「自ら選んだ人生に悔いはない。おもしろいです」という吉野さんは常に状況を判断し、前向きだ。京都に行ったら一度「ガーネッシュ」を訪ねてください。一見、強面の吉野さんが笑顔で出迎えてくれます。一度食べたらまた食べたくなるはずです。貴重なお話をありがとうございました。

欧風カレーハウス ガーネッシュ

住所
京都市中京区三条通室町西入る衣棚町59-2

電話番号
075-221-3537

取材・文=湯川真理子

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