お客さまの笑顔が見たかっただけ! 思い出に残る1日をつくり続けるカリスマ添乗員 平田進也さん

日本旅行にとびきりの旅を用意してくれる“おもしろ旅企画ヒラタ屋”がある。1980年に日本旅行に入社以来、添乗員としての豊富な経験とサービス精神を生かした唯一無二の「平田進也と行くツアー」は発売するとすぐに売り切れるほど幅広い層のファンを持っている。“あの世に持っていけるのは思い出だけ”と、お客さんの笑顔を見るために日々邁進し続けている平田さんに話を伺った。

- 平田進也(ひらたしんや)さん
1957年生まれ 奈良県吉野郡出身。1980年日本旅行入社。入社当時からすでに笑いをとる添乗員として活躍し、名物添乗員となる。添乗員としての豊富な経験とお客さまを楽しませるトークや変身芸を生かした「平田進也と行くツアー」は発売するとすぐ売り切れるほどの幅広いファン層を持つ。2009年日本旅行内に「おもしろ旅企画ヒラタ屋」を立ち上げる。全国の観光大使をはじめ、見てきた現場の知識を生かした地方創生にも力を入れている。

大学時代に出演したテレビ番組のプロデューサーのアドバイスで添乗員になる
1975年11月にスタートし1984年10月まで放送されていた朝日放送の視聴者参加の恋愛バラエティ『ラブアタック!』という番組があった。当時の中高生、大学生であれば誰もが観ていたといっても過言ではない大ヒット番組である。平田進也さんは大学時代から日本旅行に入社後もその番組からオファーがあり、出演し続けた。その回数はなんと27回だというから驚きである。実はあの百田尚樹さんもこの番組の常連だった。
平田
僕は本当はテレビ局に入りたかったんですよ。番組を作るとかしたかったんです。ところがね、ラブアタックのプロデューサーの松本修さんから別の方向を勧められたんです。
プロデューサーの松本修氏とは『探偵!ナイトスクープ』をプロデューサーとして立ち上げた人物だ。
平田
君は人を笑かすことが得意だし、コミュニケーション能力が高いから誰とでも友達になれる。あんたは旅行の添乗員なんか向いていると思う。バス旅行に行って“バスガイドさんのマイクを奪って独壇場におもろいことしゃべったらええ。そんな面白いバスの舞台ないで”と。当時の僕は旅行も行ったことがないし、時刻表の読み方も知らない、飛行機も乗ったことなかったんです。
松本修氏からお前のマインド持って添乗員をすれば“ウケる”と背中を押され、旅行社への就職を目指した。旅行業界は当時の人気職業で、4次面接まである難関だったが見事合格。日本旅行に就職が決まった。平田さんが入社した1980年代の始めの旅行業界は慰安旅行が花盛りで、新入社員に命じられた最初の仕事は慰安旅行の契約を取るための営業だった。
平田
飛び込み営業で、行く予定も決まっていないところに慰安旅行を売りに行くわけです。苦虫を嚙み潰した顔で行っても相手にされません。モノを売るだけだったらあかんとお客さんから学びました。
まるで道化師やないか! 出る杭は打たれ、出過ぎた杭は抜かれる
日本旅行の社員になってからもテレビ局から出演依頼の声がかかった。今度は日本旅行の社員としてテレビに出演した。こんな楽しい旅行があるとサービス精神たっぷりに話す平田さんはとにかく目立った。
平田
まるで道化師やないかとい言われました。しかし、それを助けてくれたのは視聴者です。出過ぎた杭は打たれるいいますが、出過ぎた杭は抜かれるんです。それでもお客さんがそれを許してくれたんです。
平田さんがテレビに出演しツアーを紹介すれば、そのツアーにはお客さんが集まった。当然会社も利益を得る。いくら周囲から目立ちすぎるといわれ続けてもテレビ出演は増えて行った。
当時、朝日放送のアナウンサーだった宮根誠司さんとの出会いは平田さんにとって大きな財産となる。
平田
旅行を売るだけではなく、面白いことやろうて宮根さんと約束したんです。おもしろい旅行を考えてやり始めたらお客さんがあんたと行きたいとなったんです。僕は普通の添乗員がやらないことをやりました。すると、旅行が終わるときにお客さんが目を輝かして“平田さん、こんな楽しい旅行なかったで”って言うてくれるんです。次はどうやれば申し込めるのと聞いてくれるんです。うれしかったです。
平田さんのツアーを経験したお客さんは、次にどんなツアーを企画してくれるのか、待ち望んでくれた。バレンタインともなればお客さんから大量のチョコレートが届いたという。
“旅行業界の杉良太郎みたいなもんです”と平田さん。そんなありがたいお客さんになにかできないかと企画したホテルでのランチ会には、300人ものお客さんが詰めかけた。
みなさん、ここで忘れてはいけない、平田さんはあくまで日本旅行の社員である。
しんどいことをしないとお金はもらえないとバスの中ではしゃべりっぱなし
バスの走行中、平田さんに休憩はない。目的地に着くのがバスの移動であるが、平田さんのツアーのお客さんは移動中のバスの中を楽しみにしている。車内は笑い声でいっぱいだ。誰一人寝るお客さんはいない。平田さんは移動中は休憩して席に座ることはない。
平田
3時間でも4時間でもしゃべり続けますよ。しんどいことせんとお金なんかもらえないです。僕は2日に1回パックをするんです。身ぎれいにしておかないといけません。お客さんに言うんです。あんたらパックしてないからそんな顔なんです。やれば僕みたいにむき卵みたいになりますよっていうたら、みなさんのってきます。笑顔になります。
平田さんのサービス精神は留まるところを知らない。例えば、ツアーの食事のときには手作りのケーキを振舞う。スーパーで買ってきたスポンジケーキにイチゴにみかん、キュウイをのせ、ホイップクリームにきのこの山、たけのこの里を飾り付ける。時間もかかればお金もかかる。決してパティシエが作ったケーキのような出来栄えではないが、お客さんはなんでそこまでしてくれるのかと感動してくれる。喜んでくれる。
韓流ドラマブームで年間3万人を韓国へ運び、売上げはなんと8億円
平田
最大のピークは韓国ドラマブームの時です。年間にして3万人、チャーター機を4機で1日2000人を運んだこともありました。
このときの年間売り上げは8億円を超えたという。道化師と言われようが、目立ち過ぎだと言われようが、お客さんは付いてきてくれた。何を言われてもやり続けることで会社も認めてくれた。人を喜ばしたい、笑ってもらいたい、人の笑顔が見たい一心でやり続けてきた結果である。
平田
僕のツアーは1人で参加される方が多いんです。1人で参加された方が、ツアーを自分の居場所のように思ってくれるんです。最初は1人で参加した方が、今度は旅で知り合った方と声をかけあって同じ部屋で泊まられたもします。
平田さんのツアーに25年間参加し続けている93歳の女性がいるという。あなたが次にどんな旅行を考えてくれるのか楽しみだといってくれる。その女性のためにも辞められない。
平田
60歳を過ぎたら今まで頑張ってきたのだから自分も大切にしてほしい。自分が楽しいなという時間を作って欲しいんです。
お客さんにとって特別な非日常を体験できて楽しい笑いがあふれる旅を企画し続けてきた平田さん。“あの世に持っていけるのは「思い出」だけ”平田さんの著書のタイトルである。お客さんの笑顔を見ることが生き甲斐であり、旅こそが居場所だと平田さん。だから体力が続く限りお客さんに笑ってもらい、楽しんでもらえる旅を提供し続ける。
平田進也さんインフォメーション
日本旅行 おもしろ旅企画ヒラタ屋
https://www.nta.co.jp/hirataya/
ラジオ番組
訪ね歩いた全国各地の旅情報をつづるOBCラジオ大阪 『平田進也の「耳からトラベル」』(毎週土曜日 12:30~13:00)
著書『あの世に持っていけるのは「思い出」だけ』


- 著者:平田進也
- 出版社:サンマーク出版
- 発売日:2024/4/4
- 価格:1,650円(税込)
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