かっこよい人

“今日をめいっぱい生きるだけ”バングラデシュに学校を建て続けて40年、学んだ生徒は約3万人!笑顔と自然体が原動力の岩下夫婦の店は「だいじょうぶ屋」

ここは、兵庫県の丹波篠山市、神戸市内から車で約1時間、関西で黒豆といえば、丹波の黒豆と誰もがいう場所である。篠山の静かな城下町にひときわ異彩を放つバングラデシュカレーと、エスニックな服を販売している店が「だいじょうぶ屋」だ。訪ねていけば、笑顔で向かえてくれる夫婦がいる。訪ねて行った人は、誰もがほっこりした気分になって「また、来ます」と言って帰っていく。バングラデシュカレーを作るのは岩下八司さん、そして、服を販売しているのは岩下啓子さんだ。共にバングラデシュへの教育支援活動を続け、1985年から学校を建て続け、建てた学校、47校(2024年1月現在)、そこで学んだ生徒は約3万人にも上る。決してありあまるお金があったわけでもなく、それどころか、「だいじょうぶ屋」で得た利益のほとんどは支援に使っている。

「お金がなくてもなんとかなる」という八司さんの言葉の意味は深く、愛情に溢れていた。「だいじょうぶ屋」の岩下夫妻に、話を伺った。

岩下八司(いわしたやつし)さん
昭和24年生まれ。兵庫県丹波篠山市出身。サラリーマン時代にバングラデシュから出稼ぎにきた青年と出会ったことが契機となり、教育支援活動を始める。兵庫県丹波篠山市で啓子さんとともに「だいじょうぶ屋」を営む。
1985年12月:初めてバングラデシュ訪問
1988年12月:村のボランティア活動開始
1989年12月:バングラデシュに教育支援P.U.Sを立ち上げる
1996年01月:仮校舎にて学校開校(生徒数100名)、関西ハカルキ中学校開校
1998年12月:学校としての政府の認可取得(生徒数250名)
NPO法人P.U.S. JAPAN「村を良くする会」を設立し、現地での学校建設支援や学校に通えない子どものための里親さがしを続けている。また、日本各地で震災、災害時に被災地への支援活動を行なっている。
学校建設数47校(2024年1月現在)生徒数約1万人
岩下啓子(けいこ)さん
昭和24年生まれ。兵庫県丹波市出身。将来の夢は花嫁さん。56歳のときに八司さんと結婚。八司さんとともにバングラデシュの教育支援を行なう。「だいじょうぶ屋」で販売している服や小物は、1人でネパール、バングラデシュへ出向き、注文、買い付けをしている。
目次
バングラデシュの子どもたちの写真(だいじょうぶ屋店内)

お金は惜しいと思ったことがない。バングラデシュ支援のために自宅を売却

バングラデシュとの出会いはなんだったのでしょうか。

八司
大阪でバングラデシュから日本に研修に来ていた青年に会ったのがきっかけや。「なぜ、僕が日本で働いているのか、僕の国を見てくれたらわかる」と言われたんです。頭で考えて判断しても間違うことが多い、僕はいつも体験学習なんで、バングラデシュへ行ったんです。

当時、八司さんは大阪で会社員をしていたが、このとき以来、何度もバングラデシュに通い、自身の目で見て体験していった。そこで女性の教育の必要性を肌で感じたのだ。

八司
バングラデシュは活気があって、日本のように悩んで引きこもっていることもない。今日一日をめいっぱい生きてると感じたね。

何度か通ううち、バングラデシュの別の一面を見ることになる。大阪で出会った青年のバングラデシュの小さな村に行ったときのことだ。そこで、八司さんは、厳しい現実を目の当たりにした。男尊女卑が厳しく、学校に通うことができない女性が多いことに気づく。

八司
字が読めない女性が多いんです。女性が教育を受けられる学校がない。字が読めないことで騙されたり、仕事もなかったりするんです。15、6歳で結婚した女性が台所の隅で手紙を握って泣いてたんです。手紙が読めないってね。字も書けないので返事も書けないて。

貧困や地理的な制約、文化的な課題がバングラデシュの村の教育問題の要因だった。八司さんは、女性が読み書きができないことで騙されたり、苦労していることを見聞きするのが辛かったという。彼女たちが読み書きができたらどんなに生活が変わるだろう。教育を受けることさえできれば、貧困からの脱出につながるのではと。今から40年前のことだ。

八司
最初は文具を送ることから始めました。そのうち、学校建設ならできるのではと思ったんです。

学校建設をするための資金はどうされたんですか。

八司
自宅を売ったんです。

八司さんは、会社勤めである。せっかく建てた自宅をそんなに簡単に売却できるものだろうか。

八司
タイミングがよかったんですな。ローンを精算してもけっこうプラスが出たんです。バングラデシュに行く前に不動産屋に頼んで、売れたら売っといてと頼んでたら、バングラデシュから帰ってきたら、“売れました”って。帰ってきたら家なき子や。

その後は、家賃を払うのはもったいないと、社宅付きの会社を探して就職し、ずっと社宅暮らしを続けたそうだ。
その後、現地の住民と話し合いをし、行政とも折衝を重ね、学校建設を支援するために特定非営利活動法人P.U.S. JAPAN(村を良くする会)を設立した。以来、今も支援続けている。

八司
お金は今も昔も一度もおしいと思ったことはないですね。最初は、肩に力が入ってましたよ。今は感・即・動です。感じたらすぐに動いています。

交際0日で結婚。啓子さん56歳!

啓子さんは、八司さんが代表を務める「P.U.S. JAPAN(村を良くする会)」の会員ではあったが、2人が顔を合わすのは、年に一度、会費を渡すときだけだったそうだ。結婚したきっかけはなんだったのだろうか。

啓子
それが、カレーを食べに来るか?って誘われて、カレーを食べに行ったんです。それがおいしくて。カレーに釣られたんです。そのときお酒を飲んでふらふらになって、泊めてもらったんです。そしたら、八司さんが結婚しようって。私は好きかどうかもわからなかったんですよ。

当時、本音で生きて行こうと決意していた八司さん。その本音が、啓子さんへのプロポーズだった。八司さんの勢いに押されるように、交際ゼロ日で、結婚した。

啓子
みんなそれぞれに与えられた適齢期があると思うんです。私の子どもの頃の夢はお嫁さんになることだったんです。ずっと結婚したいと思てて、100回見合いしたんですが、結婚できなかったんです。でも突然、56歳の時に結婚できたわけです。

年齢を気にしている女性に啓子さんはこんなメッセージをくれた。

啓子
年齢を気にせえへんかったらいつまでも若くいられると思います。

八司さん、3年間家を留守にする

結婚してからは、八司さんの行動に啓子さんは驚かされることになる。被災地の支援に出かけ、八司さんは3年間も帰ってこなかったのだ。八司さんは「わしだけあったかい思いをしてるわけにはいかん」と、すぐさまかけつけたそうだ。八司さんは、日本各地の災害時には、炊き出しなどの活動を続けている。

啓子
最初はびっくりしました。3年間、家に帰ってこなかったんです。でも最近は、慣らされてしまって。

八司
嫁がおらんかったら、わしの人生はない。

思い立ったらすぐ行動する八司さん。そんな八司さんを啓子さんは笑顔で見送り、笑顔で迎える。“心の中で感謝している、僕の人生は幸せや”と、キッチンでバングラデシュカレーを仕込みながら、照れくさそうにいう八司さん。

バングラデシュで学校に通う少女たちと啓子さん

財布がからっぽでも心が幸せやいうことが一番

二人の店、「だいじょうぶ屋」には、ご近所さんが野菜を持ってきてくれたり、遠方からも2人のインスタを見てきたと、若い人たちが訪れる。


バングラデシュカレー

八司さんの作るバングラデシュカレーは、現地のお母さんから教わった本格派的なスパイスの効いたカレーである。八司さんが、ホームステイに行った先で出してくれたカレーがおいしくて、それをできるだけ再現しているそうだ。香辛料などはバングラデシュに行ったときにたくさん買ってくる。
「辛いの大丈夫か?」と心配してくれる八司さんの言葉通り、ちょっぴり辛口ではあるが、すこぶるおいしい。焼き立てのもちもちのポロタ(南インド発祥の薄焼きパン)とよく合い、病みつきになる味だ。

バングラデシュカレーのレトルト

実は、このカレー、レトルト食品になっている。「6千個売れると現地で小学校が1校建つ」そうだ。「だいじょうぶ屋」でいただくカレーより、少し辛さ控え目だ。
支援を続けて40年、夫婦に気負いはまったくない。極めて自然体である。

八司
財布がからっぽでも心が幸せやいうことが大事や。今日一日のことしか考えてないしな。

傍らで啓子さんもうなずいている。

八司
啓子は小さい時からいじめにあってごっつう辛い思いをしてきたんやけど。そういう辛い経験があるから、人の話を聞けるんかな。初めてきた方でも辛かった話を打ち明けたりするな。わしより聞き上手や。

ここに来ると、誰にも話さなかったような辛い話を啓子さんに話す方が多いという。啓子さんは、ずっと耳を傾ける。そして、話し終えた後は、誰もが来た時より元気になって帰っていくそうだ。それが二人の幸せでもある。
毎年のように開催しているバングラデシュツアー「やさしさに会いに行く旅」には、常連さんも多い。ゲストハウスやホテルでの宿泊するだけでなく、村でのホームステイもある。子どもたちの家に家庭訪問して、一緒にベンガル料理を作り、一緒に歌い、踊る、心がほかほかになるツアーだという。次回は、2026年1月17日~23日までの5泊7日の予定である。以前、拒食症で悩んでいた20代の女性が、このツアーに参加してから、ごはんをちゃんと食べられるようになったのだという。

八司
なんとかなるさ。資金ゼロでも40年活動を続けてこれた。まだ、76歳やで。動けるうちに動かないと。

八司さんは、なんの気負いもなく言う。夫婦にとって、バングラデシュへ行くことも支援することも生活の一部である。人にしてあげたことは忘れるが、してもらったことは忘れないのだと八司さん。
今日一日をめいっぱい楽しむだけだという2人の「だいじょうぶ屋」には、少し疲れた人や悩みを持っている人、そして、二人の笑顔をみたい人がやってくる。

だいじょうぶ屋インフォメーション

バングラデシュツアー

「やつし&けいこと行くバングラデシュツアー」チラシ

詳細は「特定非営利活動法人P.U.S. JAPAN」ホームページをご覧ください。

だいじょうぶ屋

住所
兵庫県丹波篠山市呉服町51

定休日:火曜日

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文・湯川真理子

※掲載の内容は、記事公開時点のものです。情報に誤りがあればご報告ください。
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