新しいことは楽しい! 小学校の先生を辞めてパン職人になった 羽渕みな子さん

一度しかない人生、元気なうちにやりたいことをやる。とはいえ、やりたいことはそう簡単に見つかるものではないが、今回、紹介する女性は定年を控えた57歳の時にやりたいことを見つけてしまった。「小学校の先生はほんとうに好きだったんですよ。でもパン作りが楽しくてパン屋になりたかったんです」という羽渕みな子さん。小学校の先生を辞めて、パン屋になっちゃった羽渕さんに話を伺った。
- 羽渕みな子(はぶち みなこ)
ポカポカパン店主
1962年生まれ。兵庫県三田市出身。三田暮らし。
大学卒業後、養護学校教諭を経て小学校教諭となる。専門は国語。娘さんに誘われてパン教室に行き、パン作りの楽しさを知る。2019年に34年間勤め上げた小学校教諭を退職。同年4月にレコールバンタンキャリアカレッジのブーランジェリーコース(現:ベーカリーコース)に入学し、本格的なパン作りを学ぶ。在学中に自ら交渉し「パスカルさんだ一番館」で販売を開始。すぐに売り切れるほどの人気となる。2020年3月に同校を卒業。「パスカルさんだ一番館」での販売を続けながら、2022年1月に自宅横に「ポカポカパン」をオープン。土日限定で常時、50種類から60種類の焼きたてパンを提供。

忙し過ぎる教師生活の息抜きで始めたパン作り、もっと作りたい!
兵庫県の南東部に位置する三田市にある各駅停車の小さな駅、広野駅に2022年1月にオープンした「ポカポカパン」がある。名前の通りお腹も心もポカポカにしてくるパン屋である。店内には焼き立てのパンの香りが漂う。あまりの種類の多さにどれを買おうか迷っている間にも次々にパンが焼きあがってくる。「さあ、トマトピザが焼けました」、「宮崎産マンゴーのサンドイッチはいいマンゴーが入った時だけしか作らないんでお勧めですよ」。生クリームの間にゴロンとでっかいマンゴーが入っている。すごいボリュームだ。食パン、ハンバーガー、サンドイッチにクリームパン、きなこメロンパンにウインナーパン、焼きそばパン、その数常時50種類以上だ。店主の羽渕みな子さんは、長年小学校の教諭を務め、57歳の時に「パン屋になりたい」と退職した。熱心な先生だった羽渕さんの周囲は、彼女なら定年まで務めあげるはずだと思っていたに違いない。誰にも相談せず、突如、パン屋になりたいと教諭を辞めて未知の世界へ飛び込んだ。その思い切りの良さはどこから来たのであろうか。羽渕さんに話を伺った。

羽渕みな子さん(以降、羽渕)
小学校の先生時代は無茶苦茶忙しかったんです。平日も遅くまで仕事してて土日もずっと仕事でした。2人子どもがいるんですが、申し訳ないくらい仕事ばかりしていました。パン屋になろうと思ったのは、娘がたまには息抜きにとパン教室に誘ってくれたのがきっかけです。行ってみたらめちゃめちゃ楽しかったんです。
羽渕さんは小学校の先生なので全教科を指導していたが、中でも国語教育に力を入れており、時間の許す限り子どもたちのためになる指導を考え、休みも返上して仕事に打ち込んできた。まったく未知の世界だったパン作りは、知らないことだらけ。焼き上がりを待つ間のどきどきワクワク感、出来上がりの達成感。次はどんなパンにしようかと考える時間、どれも今まで経験したことがない楽しさだった。なんせ、初めてパンを作ったのだから。

羽渕
私、焼きたてのパンを食べたことがなかったんです。なんておいしいんだろうって思いました。パン作りが楽しくて楽しくて、もっと作りたいって思ったんです。手で生地をこねてると気持ちがおだやかになって癒されました。教師をしながらで忙しくて家でパン作りをする余裕はないです。57歳まで小学校の先生を続けてきて、やるだけのことはやってきたし、これだけ頑張ってきたんだからもうええかなって思って、パン屋になるために学校を辞めました。

小学校の先生がそこまで忙しいのだろうかと思われるかもしれないが、羽渕さんは既定の授業だけでなく、子どもたちの資質を伸ばし、意欲的に学ぶ力を養うために独自のカリキュラムを考案し、実践してきた。実際に実践してきた授業の研究発表の資料を見せてもらったが、子どもに寄り添ったカリキュラムを見せてもらい、これはいくら時間があっても足りないはずだと感心した。子ども達が楽しみを見つけながら発想力、表現力、考える力を伸ばすために綿密な工夫が凝らされていた。

小学校の教諭に打ち込んで来られてきた姿を見てきたご家族は、先生を辞めてパン屋になると言ったときの反応はいかがでしたか。
羽渕
主人は反対するに決まっていると思ったんで相談しませんでした。案の定、学校を辞めてパン屋をやりたいと言ったらなんでそんなことするねんて言われました。でも今ではパンの配達とかを手伝ってくれているんで、助かっています。
小学校の先生仲間にも相談せず、生徒たちにも内緒だった。みんなが知ったのは羽渕さんが辞職を決めた後である。
羽渕
生徒には「先生はパン屋さんになりたいねん」と言ってお別れしました。ときどき教え子や保護者の方がパンを買いに来てくれるので、とっても嬉しいです。
いくつになっても新しいことは楽しい!いざ、パン修行
趣味でパンを作るという選択肢はなかったのですか。
羽渕
先生はやるだけやったので、違うことをもう一度やってみたいって思ったんです。いくつになっても新しいことは楽しいです。最初からパン屋になろうと決めていました。
2019年に34年間勤め上げた小学校教諭を退職し、同年4月には本格的にパンを学ぶためにレコールバンタンキャリアカレッジのブーランジェリーコース(現:ベーカリーコース)に入学した。ここの講師陣はすべて業界の第一線で活躍しているプロで、パン職人やパン屋の開業を目指している人たちにための学校で、教諭時代に通ったパン作り教室とは一線を画していた。
羽渕
学校の先生がずっと教える側ですけど、パンの専門学校では教えてもらう側なんで、覚えることがたくさんありました。新しいことはなかなか覚えられないし、パン職人は経験の世界なんで練習して復習しないと、なかなか頭に入らなくて苦労しました。
自嘲気味にいう羽渕さんだが、行動力とチャレンジ精神はすごかった。在学中に自ら交渉して「パスカルさんだ一番館」で販売をさせてもらえることになったという。
羽渕
最初、「パスカルさんだ一番館」では50個から60個を販売させてもらいました。今でも販売を続けさせてもらっています。
「パスカルさんだ一番館」での売れ行きはすごく、初日は開店30分後に売り切れた。すごい。羽渕さんの作るパンは、溢れんばかりに具材が入っているボリュームたっぷりのものが多く、地場野菜を使っているので野菜の鮮度も抜群なのでシャキシャキである。
羽渕
実家が農家をしていたこともあって、地場野菜を使いたいと最初から考えていました。先生をしていたときも感謝されることはありましたが、パンはダイレクトにお客さんが喜んでくださるので楽しくて仕方がないです。

パンは焼きたてが一番!念願の実店舗「ポカポカパン」を開業
念願だった実店舗「ポカポカパン」をオープンしたのは2022年である。実店舗はどんなイメージのパン屋にしようと考えられたのでしょうか。
羽渕
オシャレなんじゃなくて、人が来やすい雰囲気づくりを意識して店を作りました。三田の野菜を使うことと具だくさんのパンにしようと決めていました。
種類が大変多いですが、全部で何種類ぐらいあるのでしょうか。
羽渕
今は50種類から60種類くらいです。たくさん同じものを作るのではなく、少しずつにしてたくさん種類を作っています。季節ごとにやってみたいメニューがあるんです。いろんなメニューを試したいんです。
それだけの種類のパンを焼くのは大変だと思うのですが、何時くらいから準備をされているのですか。
羽渕
店は土日オープンで、平日は「パスカルさんだ一番館」に出す分を焼いているのですが、だいたい朝の3時半か4時くらいにはパン作りを始めます。焼き立てのパンを提供したいので、朝が勝負です。
パン作りは羽渕さんとあと1人、パン職人を雇っている。店での接客は5名のパートが交代制で来てくれている。パートに来てくれているのは羽渕さんの友人ばかりだ。今でも月に一度はパン作りの師匠に来てもらって学んでいるそうだ。先生時代と同様、パン屋になってもやはり忙しい羽渕さんである。
羽渕
教え子や保護者の方も来てくれるので嬉しいです。今年で4年目になりますが、最初は大赤字、次の年は中赤字、今は小赤字ってところですが、お客さんは年々増え続けています。
作りたいパンが多すぎて今までに作ったパンの種類は100種類を超えているらしいが、自分でも把握できていないそうだ。まだまだ増えそうである。
最初はなんでパン職人を目指したころは反対していたご主人も今では、農家に行って野菜を仕入れ、パンの配達、店舗の掃除、店の前の花の手入れなど一手に引き受けて助けてくれているそうだ。オープン当時から一緒に働いてくれているパン職人の方には教えられることも多く、パン作りの指導もしてもらったという。
羽渕
主人の応援もとても助かっています。お客様にも恵まれています。周りの人たちに支えられて好きなことをわがまま勝手にできている私です。
楽しいことをしているから毎日が忙しくても旅行に行ったりできなくても後悔はないと羽渕さん。なんでパン屋になるの? と周囲に言われてが、“やりたいから、楽しいから”と始めた新しい人生。初めてパンを作ったときの感動は今も継続中である。
